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-分かっていますか?何が問題なのか- ㉙愛着のある橋が『世界遺産』になること

これでよいのか専門技術者

(一般財団法人)首都高速道路技術センター
上席研究員

髙木 千太郎 氏

公開日:2017.09.01

1.フォース橋(Forth Bridge)

 私がなぜここで『フォース橋』の話をするのかと言うと、外観が不格好ではあるがフォース湾にそびえる様に建つ姿は、スコットランドのシンボルのごとく映え、心に響くものがこの橋にはある。昔からある石造りのアーチ橋も良いが、近代化、人が考え出した材料で知恵を絞って形を決めた技術者の心意気が鋼橋『フォース橋』から強く感じ取れる。『フォース橋』は、1880年代に新材料として扱われていた鉄材・鋼を大量に使用し、最先端の構造設計理論と施工法によって建設した革新的で工学分野の奇跡とも言われる土木構造物である。

 写真‐1で見ての通り、その外観は装飾と言ったものが一切なく、側によると、威圧的とも思われる巨大な鉄の塊、綾取りのような構造部材の組み合わせから受ける美しさを肌で感じ、感動する。
『フォース橋』は、鉄道が長距離内陸輸送の主役となる時代の設計・施工技術の発展を示すモニュメントとして高く評価されている。このような理由もあって、今から2年前の2015年に、驚くなかれ、橋単独で世界遺産として指定を受けた。私としては今から20数年前、最初に『フォース橋』を目にして感動したこと、そして世界遺産となったこともあって、どんな姿に変わっていくのかと興味深く、訪れる機会を狙っていた。

 その願いが叶い、今年の夏、三度この橋を訪れることになった。私の持つ『フォース橋』への熱き想いを、ぜひ読者の多くの方にも知ってもらおうと思い、今回の執筆となったのだが。写真‐2を見て、緑と青く澄んだ海と調和し、映える赤色のモニュメント、スコットランドの人々がこよなく愛する『フォース橋』、美しいとは思いませんか? 皆さん。

 それではここで、『フォース橋』の諸元をおさらいしよう。設計は、イギリスの技術者Sir John Fowler(ジョン・ファウラー)とSir Benjamin Baker(ベンジャミン・ベーカー)である。そもそもフォース湾を跨ぐこの位置に橋を架ける案は、1818年に遡り、James Anderson(ジェームズ・アンダーソン)の吊り橋案が最初であった。
 しかし、ジェームズ・アンダーソンでは鉄道を通すことが可能な吊り橋の設計は困難と判断したのか、当時有名な設計者であったThomas Bouch(トーマス・バウチ)に設計のお鉢が回ることとなった。トーマス・バウチの設計は、ジェームズ・アンダーソンと同様な吊り橋案ではあったが、残されたスケッチを見ると、吊り橋としてかなり剛度をあげた設計となっている。
 トーマス・バウチの幻となった吊り橋案は、1878年第二次世界大戦の時に、北海に向かって中央に位置する、要塞として使われていた『インチガービ島』から工事を開始した。しかし、不幸な出来事がトーマス・バウチを襲った。それは、フォース湾より北側に位置するテイ湾を跨ぎ、Dundee(ダンディ市)とWormit(ウォーミット)を繋ぐ、彼が設計したTay Rail Bridge(テイブリッジ)が強風によって6両の列車もろとも崩落したのだ。
 時は、『フォース橋』建設開始から1年後の1879年12月28日。4年の歳月を費やして完成した全長3.5㎞のテイブリッジ崩落事故は75名の命を奪う大惨事となった。これは、『テイブリッジの悲劇』とも言われ、ビクトリア時代の工学会に衝撃が走り、その結果、トーマス・バウチの名声は地に落ちた。当然、彼が設計し着工したばかりの『フォース橋』の工事も中止となった。

 余談ではあるが、私もイギリスで、書籍『The Fall of the TAY BRIDGE』(図-3参照)を購入して読み、どのような橋なのかとダンディ市に現在のテイブリッジを見に行ったことがある。その理由は、テイブリッジが崩落したことで、その後耐風設計の導入や脆性破壊し難い金属材料の開発、そして最も重要なメンテナンスの必要性を認識させる転機となる事件ともなったからなのだが。
 当然、その場に行ったからには、事前許可も取らずにテイブリッジのダンディ側にある鉄道事務所を訪れ、テイブリッジを保安している技術者に安全に長く使うための種々なコツを質問してみた。担当している彼は、見知らぬまだ若かった日本人の私に、テイブリッジの図面を広げて親切に、そして熱意を持って説明をしてくれた。彼から、毎日、昼夜となく雨の日も風の吹く日も橋の状態を見守り、不備があれば直ぐに手を入れることを聞いた時には、やはり重要なことは「これだ! メンテナンスの決め手は橋への愛情だ」と思った。ここで本題に戻すことにしよう。
 事故調査委員会は、トーマス・バウチの設計上の誤りを追求、原設計が新たな横風の許容条件である56ポンド/平方フィートを満たすことが無いと判断し、1881年に彼の考案した設計案は破棄された。その後、先に示したジョン・ファウラーとベンジャミン・ベーカーが設計することになった。

 フォース橋の全長は8,094フィート(2,467.05m)、中央の2径間が1,700フィート(518.16m×2連)、両サイドの側径間が680フィート(207.3m×2連)、両サイドの進入取り付け路160フィート(51.2m×15連)の構成である。構造的には、608フィート(207.3m)のカンチレバーアーム(片持ち梁)が支間中央に位置するトラス桁350フィート(106.7m)を支える構造となっている。
 護岸から見て威圧感を感じるのは、桁下高さ150フィート(45.72m)とトラス主塔高さ361フィート(110.3m)の綾取り形状の鋼材がそびえたっているからかもしれない。フォース橋に使われている鋼材重量は、51,324t、リベットは、4,200t・650万個と建設当時のイギリスにおける鋼材生産能力から判断すると先にも示したように膨大な量である(写真‐3参照)。
 私の推測では、『フォース橋』に高品質な鋼材を提供できたのは、当時新たに開発した鋼材製造用のシーメンス・マルタン平炉工程が寄与したものと考えられる。
『フォース橋』の建設工事は、建設位置を見ると両岸とも岩だらけの状況で資材を置くにも、架設に必要な作業構台を造るにも至難の業であったと考えられる。特に、北海に向かって右側のサウス・クイーンズフェリー側(Dalmeny・ダルメニー駅側)の急峻な斜面を切り開いて工事を行なうことは、現在の施工機械を持ってしても難工事となったであろう。
 フォース湾内の橋脚基礎は、ケーソンであることから、圧搾空気下での施工は下部工建設工事に従事していた労働者にとってケーソン病との戦いでもあった。鋼製カンチレバーの架設工事は、中央主塔3基同時に開始されたようで左右に張り出しながら組み上げる手法は現在と何ら変わってはいない(写真‐4参照)。要するに、施工機械等は合理化が進み、施工速度は速くなったかもしれないが、基本的な施工法は進歩していないと言うことだ。

 施工開始から7年、昼夜連続の工事の後、1889年12月に工事は竣工。その後、総重量1,880t・50両の車両を使った載荷試験を行い、カンチレバーのたわみ1インチ(25.4㎜)を確認した後、日本の鉄道で行う『開業監査』と同様な全線走行試験を何度か行い、構造物確認の検査が終わった後にいよいよ開通式典を迎えることとなった。翌年の春、1890年3月4日に、ウェールズ皇太子(後のエドワード7世)が金メッキリベットを『フォース橋』に打ち込んで開通式典を終えたと資料にある。
 『フォース橋』の建設工事には記録によれば、約5,000人の労働者が従事、工事に絡んで亡くなった方は、73名(57名とのデータは、本工事および工事期間中)と報告されているが、これだけの大工事で当時の国内外の他の事例と比較して考えてみると、異常に少ないと言える。
 さらに、建設時に設立されていたSick and Accident Club(病気、事故互助会)の支援、補助体制が、建設従事者や家族に手厚くなされていた資料を読むと、さすがイギリス・大英帝国と言わざるを得ない。以上が、今から128年前に竣工した『フォース橋』の諸元と建設概要である。次に、『フォース橋』のメンテナンスについて考えてみよう。

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