道路構造物ジャーナルNET

第93回 「包括管理」と「群管理」

民間と行政、双方の間から見えるもの

植野インフラマネジメントオフィス 代表
一般社団法人国際建造物保全技術協会 理事長

植野 芳彦

公開日:2023.10.16

インフラにおける「数」のリスク
 市町村道をどう考えるか

3.“包括管理”“群管理”
 インフラ・マネジメントを実行していると、数の壁に突き当たる。私は「数のリスク」と呼ぶ。予算規模に対し管理数が少なければ、問題は無い。リスクは小さい。しかし、これに意外と気づいていない。1件1件の管理をしているうちは、良かったが、自分の管理対象の数が見えてくるとそうはいかなくなる。数が多いこと自体がリスクなのである。高度成長期には、多くのものを持っていた方がよかった。政治家先生方も、「あの橋は俺が作った」、「あの道路は俺が作った」と自慢していたがその時代はそれがありがたがられた。しかし、管理する時代になるとそれが仇となる。

 一時期、「橋はいらない。ダムはいらない。道路もいらない」と言われたこともあったが、それも間違っていることは皆もうわかってはいる。しかし、要らなくなった橋や道路は存在する。今、TVで「ポツンと一軒家」という番組が人気だそうであり移住も推奨されている。これはこれで間違いではなく、そういう多くの選択肢は大いに結構であると思うが。インフラの管理からすると、多少不便な思いを個の方々にしてもらわないと、いけない時代に来てしまった。誰も言わないが不便さを共有する時代に、もう来てしまったのである。

 インフラの多くは、税金で賄っている。この税収が減少傾向にある。人口も減り、ますますその傾向が顕著になってきている。ネットワークとして広域にわたる道路や橋やトンネルなどは、様々な面で存続が必要であり、十分な管理が求められる。しかし、例えば、市町村道に関しては、一律にそうはいかない。さらには上下水道などは、様々な新たな動きはあるが、お財布が違っているので、インフラと同様には考えられない部分がある。 

効率的にインフラ管理の生産性を上げるために、「包括管理」や「群管理」が重要
 現在の業務の効率化のために「包括発注に切り替える」と言う発想は当たり前

 10年ほど前から「橋梁トリアージ」と言うことを言い、社会にインパクトを与えたが、理解者は少ない。初期のころは「そんなことはとんでもない。長寿命化、予防保全で対応する」と言われていたが、最近同調する意見が出てきた。こんなことは真剣に考えれば当たり前のことなのだ。私は富山市と言う中核都市で2,300橋と言う橋を管理するのは難しいと思ったから述べただけである。意地でも全数管理していくという強い意志があるならばそれでよい。しかしそういう議論は無く、なんとなく全部管理しなければならない、ということだけで皆さん述べていた。潤沢な予算と人員が有るのであれば何千橋でも管理していけばよい。

 ここで、笹子から11年がたち道路法の改定から10年、全数近接目視から2巡目が終わり3巡目へ、第2フェーズと言われているが、何が進んだのか? 前述した新技術の導入も、当たり前の話である。ここで、より効率的にインフラ管理の生産性を上げるために、「包括管理」や「群管理」が重要だということ。これもやっていれば当たり前の話なのである。造る時代には1橋1橋造っていればよかったが、管理するのはそうはいかないのである。数全体がのしかかってくる。

 「富山市橋梁マネジメント基本計画」を策定するときに、職員にアンケートを取り、仕事の中で何が一番大変だと思うか?に対しての答えが「発注業務」である。私は、そんなの隙間時間でできるだろうと思うのだが(また顰蹙を買う)。仕様書の作成や積算、業者選定などに時間がかかる。確かに仕様書の作成は中身を吟味しなければならないので一番重要である。しかし、業者選定が厄介だというのである。そうであるならばできるだけ負担を下げてあげるには発注の数を減らさなければならない。仕様書で本来重視すべきは、資格要件や実績などであるはずが、そこまでつかみ切れていない。つかみ切れていないというと語弊があるが、これも経験や業界の常識が知らないのである。結局、プロ意識が甘くなっていると感じる。

 議会などで、新聞に載っているような災害や事故に関しては、当局の対応を責められるが、職員の負担を軽くして、本来やるべき仕事をしてもらうという発想にはならないのだろうか? 本来やるべき仕事とは、将来を見越した政策的仕事である。将来のために政策立案することが、重要である。本来はこれが当局の仕事であるはずである。現在の業務の効率化のために「包括発注に切り替える」と言う発想は当たり前のはずである。将来のための政策的業務を立案し、議会と検討し市民のためにやるべきだと考えているがいかがか? 後追いでは、なかなかそうはいかない。

「構造物群」 集約して「道路構造保全対策課」で管理
 「地域の群」 本来はこれをまとめるのが政治家の仕事

 そして「群の管理」であるが。これも当たり前の話。

 まずは「構造物群」である。これは合理的な管理を完ぺきにこなすためには、現在の富山市ではなるべく管理部署をまとめるしかないと考えた。いわゆる精鋭部隊が、同様なレベルで管理していく必要がある。従来通りの分業では思考に差も出るし、合理的でないので、できるだけ構造物を集めている。当初は橋梁だけであったが、トンネル、擁壁、ボックスカルバート、大型道路付属物(標識等)、大規模のり面、等を集約し「道路構造保全対策課」で管理するようにした。メンバー職員の負担は増えているが、この部署で新技術の導入の試験施工などもやらせているので効率は上がっているはずである。


橋梁、トンネル、擁壁を集約し「道路構造保全対策課」で管理

 もう一つが「地域の群」であるが、これは難しい。地域性や住民性、文化などの様々な要素が作用する。私は、当初富山市周辺の市町村を一緒にやろうと考えていた。富山市長も、「広域で見てやれ」というので、富山県内の市長会や議長会で講演し、「もしよろしければ一緒に取り組みましょう」と提言したが、同調してはもらえなかった。それぞれの事情がある。しかし一番大きい要因は、市長、議員、職員のそれぞれのプライドだと思う。これに関しては半分あきらめている。歴史性、地域性、住民性で、これらが複雑に関与して、まとめられない場合がある。県や国の関与もある。なのでなかなか、まとまらない。本来はこれをまとめるのが政治家の仕事である。しかし、それぞれの都合でなかなかうまくはいかない。1市1町、状況は異なり、考え方も違うからである。どこも一緒と言うわけにはいかない。かつて平成の大合併と言う時にもうまくはいかなかったのがあらわしている。

ご広告掲載についてはこちら

お問い合わせ
当サイト・弊社に関するお問い合わせ、
また更新メール登録会員のお申し込みも下記フォームよりお願い致します
お問い合わせフォーム