「分からないことは聞け」
1.はじめに
前回の話の中で、何人かの方が「分からないことは聞け」と言うことに同調して下さった。昔からそうだ。
わからなければ聞けばよい。世の中には様々な人がいて、やっていることも、やってきたことも様々である。「聞くは一時の恥、聞かぬは末代までの恥」と、言うことが言われている。昔は良く、国の方や県の方から質問が来た。「悪いけど教えてくれない。」そういわれることが、うれしかったものだ。世の中過剰な反応が起きていて、聞いてはいけないと思っているのか? プライドが高すぎるのか? プライドは、時には必要ですが、修行中には邪魔になるだけ。
「自治体の実態がわからない。」霞が関や民間の人々は言う。「何をどうやればよいのか? わからない」と正直な自治体も言う。それは当たり前なことなのだ、自分で入り込んで体験していないし、聞ける人間もいないのだから。だから、聞いてほしいのだが、ほとんど聞いてこない。私はある意味そのために富山市に行っていたのだ。これでは先に進まない。情けない。しかし、自分のポリシーとして聞かれなければ話さない。頼まれなければ対応しない。当たり前なのだが、これが方針である。
「導入が可能である技術が有れば」
2.新技術考
インフラ・マネジメントに新技術を導入し高度化効率化を図るというのは、正当な考えである。しかし、どうもそれをまともに理解できていないようである。こういう話には条件が付く。「導入が可能である技術が有れば」なのであるがそれも忘れ去られている。前回、インハウスエンジニアの心がけを書いたが、インハウスエンジニアは、研究職でもコンサルタントでもない。実際に物事に対応する実務者でなければならない。しかも、限られた財政の中で有効に実施していかなければならないので、まじめな人ほど悩むところは大きいだろう。こういう時に相談すれば的確な答えを出してくれる上司が必要となるのだが、インフラ・マネジメント的思考を持った方は、ほとんど居ないのが実情である。そして、国と県、自治体とは全く異なる条件でやらなければならない、NEXCOも旧公団関係も同様である。それぞれに条件が異なるのが実情である。参考にはなるかもしれないがあまりにも作った時からの条件が違いすぎている。土木の世界は、技術開発が最も遅れている分野であり、開発行為が積極的には行われてこなかった。さらに周辺技術、例えば電子機器などを積極的に現場に導入することも、あまりされなかった。最近やっとである。
その反面、経験が豊富な熟練の技術者も少なくなっている。元請けの監督も、下請けの管理者、専門職の熟練工も少なくなっている。なので相談しようにも聞けない場合も多いのではないだろうか?その大きな原因は、ビックプロジェクトはもちろん、公共事業の減少による技術の継承がうまくできていないからである。技術を継承するということは、机上の学びだけでは済まない。実際に造ってみないと間隔がわからない。まあ、この辺も最近の世の中の考え方は間違っている。とだけ言っておこう。こういうことで議論するつもりはない。みんなが認めるのであればそれはそれで構わない。「技術の伝承」と「新技術の導入」は一見違ったことの様であるが、同じだと考えている。技術者として、適切な判断ができる人間を育てれば問題は解決する。しかし、これは、机上論では解決はしない。実践を積み、真実を見極める力が必要だ。
「評価された物」が忘れ去られている
「一番手は嫌だけど二番手ならば・・・」と言う意識
ここで、多くの皆さんが勘違いしているのは、インフラ・マネジメントにおける新技術の導入は、研究ではないというところが問題である。できれば、ある程度実証されたもの。もしくは官側と一緒に確認していく気概があるかどうかである。たぶん多くの自治体に持って行くと、「実績は?」と聞かれるはずである。それをどう解決するのか? と言うところが重要になる。そういう事態が起きることは10年前から予測できていたので、私は富山市でフィールドの積極提供と言うことをやっている。実際の現場を使ってもらい、実証してもらうのが目的なわけである。しかし、意外と真意を組んでくれるところは少ない。
立派なカタログを作り著名な先生方の名前を使って、認めさせようというところもあるが中身がよくわからない。講演をすると、時折「なんで新技術は使われないのか?」と言う質問がくることが多い。それは、いくつか理由があるがまずは、持って行き方を間違っているからである。前述のように大学の先生方のアドバイスをもらったからと言って、完全なわけではない。自治体側からすれば、理解し辛なければ使われない。「よそで使ってよかったら・・・」と言う意識が働く。他の分野よりも公共事業にかかわる分野は「実績」が重きをなす。失敗したら大変だという公務員特有の感覚による。「一番手は嫌だけど二番手ならば・・・」と言う意識である。
しかし、意外とコンサルから提案されると安易に使ってしまう場合は多い。失敗してからでは遅いのだが業務の流れでそうなってしまう。だから業者はコンサルに営業に行く。安易に使ってしまい失敗する例は多々ある。すべてが悪いというのではない。私個人的な意見としては日本の官庁はコンサルに頼りすぎなのである。いろいろやってくれて便利ではある。しかし、適正な判断は経験からくる。もっとも経験がない現場の状況を彼らに聞くのは軽率であり、また酷でもある。適当に答えておけばそれでよいというわけでもないが、これが相手によってはそうなってしまう。それだけ難しいということである。
かつては「技術審査証明」や「技術評価」と言う制度が国にはあったが最近は「NETIS」が主流になってきて、これらの「評価された物」が忘れ去られている。忘れ去られているというよりも全く認識されていない。実績を問う実態においては、これらの制度をうまく利用するか新たな制度が必要である。「技術審査証明は」費用と時間がかかりすぎるきらいがあるが、やはり第三者が1つの技術を理解して評価するということはそういうことであると思う。正直、私はNETISでは物足りないし評価しない。かつて「技術審査証明」に関わったので、その大変さも知っているが、本来は新技術を認めるということはきちんと評価されなければならない。。本来、これを行うのはどこがやるべきなのか?新薬の認定と似ていると考える。
あなた方は営業する場所を間違っていないか?
売り込みに行って、100件回って1件うまくいけばすごい成果
何度か業者さんに言ったことがある。「あなた方は営業する場所を間違っていないか? お金はどこから出るのか? 税金ですよ。コンサルからお金をもらうのか? コンサルに営業に行き仮に使われても失敗すれば今度は2度と使われない」。きちんと役所に説明し実証する、自分たちの製品に自信があるならば、そういう努力が必要だ。またここで今度は知り合いを頼って、安易に紹介してほしいと言ってくる。長年の付き合いの中で十分な信頼関係があっても、それば別である。なかなかそういうわけにはいかない。子供じゃあないんだから、自ら売り込む努力は必要だ。商売にするのならば。私の気性として安易に他人を使って営業してくるものは好きではない。だめもとで、自ら提案してくればよいのだ。これまで、さんざん新技術とか新事業と言われるものをやってきた。
知り合いの社長さんが言っていた。「売り込みに行って、100件回って1件うまくいけばすごい成果だ。数件だけ回って採用されようなんて虫が良すぎる」。そういう努力が必要なんだ。私自身、民間時代に役所に売り込みに行き課長説明までこぎつけ、説明し終わって帰ろうとしたときに、部屋の入り口で、再度振り返ってお辞儀をしようとしたときに、先ほど説明した資料を、課長さんが、ごみ箱に捨てる姿を確認し目が合ってしまった。お互いにバツが悪かったが、そんなことは良くあることだと感じた。無駄足であるが、それはお互いの判断なので仕方がない。
またある時は、作成したパンフレットを不在の担当者の机の上に置き、役所の玄関を出た瞬間に携帯に電話があり「今どちらに?」と言うので「玄関です。」というと、良かったら戻って話を聞かせてほしい。と言う。急いで戻って話をすると。「ちょうど上司から難しい案件を言われて、関連が有るので相談に乗ってほしい」と頼まれた。業務には実現しなかったが、必要とされただけうれしかった。仕事とはそういうものではないだろうか?
正々堂々と、提案し説明し認めてもらえばよい
「感性と度量」を磨くためには、多くの経験が必要
安易に、成功を目指していると失敗する。今の方々は、失敗を恐れ、安易に使ってもらうことを考えるが公共事業とはそうはいかない。指名参加願いすらも出てていないのに使ってくれと言う業者もいる。「指名参加願いは、出しているんですか?」と言うと「なんですかそれ?」と言うような業者もいる。最低限のルールも知らないで、仕事を取ろうとするものが、結構最近増えている。インフラ・マネジメントに異業種や新規参入者が増えている証拠であるが、この辺はきちんと勉強してから参入してほしいものである。それができないから、問題を起こす。
結局は民も官も学もそうだが、安易な技術は使われない。自分たちでよいと思っても役所のガードは固い。役所側は、果たして技術を評価し感覚でもよいので良いのか悪いのか判断できる能力に欠けている。民間の方は、そこに対して、説明しなければならないのだから大変であるが、それをクリアーしないと、先に進まない。ここで、知り合いの先生方や有力者を使って安易に参入するのは、かえって自分たちばかりではなく、同業者の道を閉ざしてしまいかねない。インフラ・マネジメントの行き先を危うくするのでやめてほしい。正々堂々と、提案し説明し認めてもらえばよいのである。認められなければ酒でも飲んで「あいつは理解できないな」と愚痴でも言ってほしい。とにかく双方の理解と感性と度量が必要なのである。
ここで言う「感性と度量」を磨くためには、多くの経験が必要である。机に座っていたのではできない、多くの修羅場と失敗を重ね、研鑽していくことが求められる。何も失敗したことが無い方々は、素晴らしいと思うが、味わいに欠け、いつか失敗する。