道路構造物ジャーナルNET

第83回 新技術としての非破壊検査技術

民間と行政、双方の間から見えるもの

植野インフラマネジメントオフィス 代表
一般社団法人国際建造物保全技術協会 理事長

植野 芳彦

公開日:2022.12.16

4.やっとここまで、しかしまだまだこれから!

 そもそも、我々の目的は何なのか? と前回申し上げた。しかし、「ひび割れを拾うこと」が目的化して、それだけで診断しようとしている。当たり前のひび割れと重大なひび割れも一緒なのか? そして1つの橋の話で膨大な時間を割いている。では、役所側の役割は何なのか?
 私が富山で取り組んだ中で、一番の失敗は「橋梁トリアージ」だったと考えている。これは戦略的に、きつい表現をあえてしたのだが、それは失敗であった。一般のインフラ老朽化やマネジメント思考を理解できていない人たちにとっては、かなり厳しい表現だったのだろう。
 普通であればわざと厳しめに言い、危機感をあおるのが良いかと思ったが、やはり人間は自分の経験や知識、普段の行動や考えの範疇でしか考えられないのだ。長期的な思考や未知の事柄への判断はできないのが普通である。だから、他人の考えや長期的な視点。将来の予測はできない。しかし、先導者はそうはいかないはずなのだ。未来を考慮して、リスクマネジメントを示していかなければ、将来はない。残念ながらそれができなかった。いまだに揉めているものもある。80:20の法則はここにも生きていた。従来の延長線上が80で、将来を考慮できるのが20%。
 現在では、「橋梁マネジメント」とでも言えばよかったと考えている。日本の建設産業は分断化が進み、設計・施工の分離の原則のもと、設計は設計、施工は施工という分野にほぼ完璧に分かれてしまっている。そして、近年の維持管理である。しかし、維持管理に関してはなぜか、点検の部分を設計屋に任せるようなことが行われている。自然体ではないと考える。
 そして近年、物をつくるということに対して希薄である。公園の遊具と橋梁を同じように考えたり、安易に形だけ真似すればよいと考えていたのだろうな、と思える構造物を発見する。こうなると、あとはリスクしかない。自己の利益を追求し仕事はしたものの、将来にわたり、多くの人々に危険と財政的負担を負わせることになる。もっとも、それすら理解できないかもしれない。


「植野塾」での川田工業富山工場見学。橋梁製作を肌で感じてもらうために

「トリアージ」は緊急性が重要である。もう10年も経ってしまえば、あとは通常の点検と維持管理である。まあ、10年経ってしまったのだから仕方ない。あとはリスクが残されただけ。財政的リスクもそのままであるということだ。非常事態に当たって、リスクは減らしておこうという考えだったが、徒労に終わった。あとは、丁寧に時間をかけてやっていくしかない。膨大な時間と予算があればよいが、そうではないという難しい条件が加わっているだけである。常時下では、全体をマネジメントしていくしかない。災害でもくれば一気に考え方は変わる。

5.まとめ

 髙木千太郎さんも書かれていたが、残念なニュースとして、川田忠樹氏のご逝去が、私にとっても非常に残念であった。学生時代に「橋梁」という月刊誌の連載を読み、「だれがタコマを落としたか?」を読んで以来、勝手に「吊り橋の神様」として感じていた。その偉大な経歴などは髙木氏の文章に示されている。
 私は大学受験に失敗し、本来の希望とは違う土木工学を専攻することになり、研究室配属になった折に、どうせならと橋梁の研究室を希望した。それまでほとんど勉強はしなかったが、橋梁に関しては勉強した。社会に出てからは、老舗だが弱小橋梁メーカーに在籍したが、本州四国連絡橋の工事が真っ只中で、数橋関わることができた。川田工業さんとは、同じ栃木に工場があるメーカーということで、JVなども組んでいたが、何よりも日本橋梁建設協会の委員会などで同社の方々との交流もあり、まじめなしっかりした企業だという印象であった。


本州四国連絡橋の現場(筆者30代)。キャットウオークの上で

 川田忠樹さんと初めて直接対面したのは、30代の時に「プレビーム合成桁設計施工指針」(第2版)の改定で、当時、財団法人国土開発技術研究センターにいた私が、委員会を担当したときであった。この時に、髙木さんとも初めてお会いして、「ああ、これがかの有名な」と感激したものであった。
 委員会のメンバーは錚々たるメンバーであったが、川田忠樹氏のプレビームに関する並々ならぬ思いを感じ、「技術者たる者こうあらねばならない」と強く感じた。その後も時々お会いする機会はあり、なかなかじっくりお話しできる機会はなかったが、覚えていてくださったようで、10年ほど前から、年に1度くらいではあるが、直々に呼ばれ「橋梁談議がしたい」ということを言われ、「私のような未熟な者でよいのか?」と思ったが、橋梁の話、特に吊り橋の話をされるときは、非常に楽しそうで、私も非常に勉強になった。「人を育てるというのは、こういうことなのではないか?」と、お話を伺いつつ感じたしだいである。


プレビーム合成桁橋の現場(土木女子への説明会)

 私のような中途半端な者にとっては、僭越ではあるが、“師”と言える方の一人だと思う。非常に残念であり、まだまだいろいろお話を伺い、ご指導を賜りたかった。我が国の吊り橋技術に貢献された偉大な方が亡くなられたことは、我が国の吊り橋が今後どうなっていくのか不安ではある。お別れの会では、展示されている1点1点が非常に貴重なもので、やはりすごい偉業をなされたのだと感じた。
 日本の橋梁界は、どうも変な方向に行きつつあるように思える。デザイン重視(デザインが悪いというのではない)で、技術論争が弱くなっている。最近ではつくることすら、減ってしまっている。時代が変わったのかもしれないが、やはり技術の伝承にはある程度の橋梁がないとならない。


技術の伝承には新設が必要

 現に近年では、まともな吊り橋は国内では10年に1橋、あるかないかである。富山の吊り橋は、そういった意味でも丁寧にじっくりやりたかったが、途中でケチもついてしまい非常に残念である。個人的に、腹が立って仕方がない。皆さんには、技術者の技術への思い、志がおありだろうか?
「川田工業 創業100周年記念式典」の際に、お話をしていただき、握手をしてくださったのが、私の宝である。
(次回は2023年1月16日に掲載予定です)

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