道路構造物ジャーナルNET

第32回 阪神淡路大震災の復旧にかかわった経験(その1)

次世代の技術者へ

土木学会コンクリート委員会顧問
(JR東日本コンサルタンツ株式会社)

石橋 忠良

公開日:2022.04.01

2.3 被害調査しながら復旧法を考える
 私は国鉄時代、構造物設計事務所での勤務が比較的長かったです。この組織は、日本全国の構造物の設計指導や、変状の相談、災害時の復旧の指導、技術基準の作成など、実務の技術をすべて指導する組織でした。災害時には、現地に行って復旧方針を提案し、図面を作るなどをしていました。そのような経験から、この時も被害状況を見ながら、それぞれの構造物ごとに復旧方法を考えては、メモをしながら歩きました。
 高架橋の復旧は、倒壊したものは柱が折れたものが中心なので、梁とスラブをジャッキで持ち上げて、柱のみ造りなおそうと考えました。これは交通渋滞がひどく車が動かない状況で、資機材を多く使う方法は適さない。また、早期復旧には、大型重機の片押し施工よりも、すべての柱に1人の人間を配置して、一斉にジャッキアップするほうがはるかに工期は早いと判断しました。
 この判断の原点は、私が仙台の現場で新幹線建設の時に、1978年の宮城県沖地震に遭遇し、建設途中の構造物に多くの損傷が生じ、それを復旧した時の経験があります。このときに、多くの桁を支持するシューの移動防止機能が壊れ、桁がシューから落ちてしまいました。この落ちた桁を持ち上げて、シューの上に戻して、シューの移動防止を復旧する工事を数多く実施しました。重い桁の移動は大変かと思っていましたが、施工方法を工夫することで、数百tもある桁を簡単にジャッキで持ち上げ、簡単に水平移動ができました。1日に何連もの桁を復旧した経験を思い出しました。このときは、桁座からシューの上に持ち上げるので、高さは10cm程度でしたが、今回は荷重が小さく、持ち上げる高さが5m程度と大きいことが異なっています。
 ジャッキの大きさは高架橋の柱の大きさから100tの能力があれば十分と判断し、100tジャッキを集めてもらうこととしました。これも知り合いのジャッキの専門家に問い合わせたら、掃いて捨てるほどあるから心配無用との返事をもらいました。オックスジャッキの白根さん(故人)と長い付き合いがあったので、100tジャッキを2,000台ほど集められるかと現地から問い合わせたら、このような答えでした。500tや1,000tなどは特殊なので数に限りがあるが、100tジャッキは町工場などにも多くあり、集めるのに問題はないとの説明でした。
 白根さんとは私が30代のころ、宮崎にリニアモーターカーの試験線があり、桁を振動させた状況で走行試験を実施する相談に乗ってもらっていました。スピードが速いリニアモーターカーの通過する寸前に桁を振動させる仕組みを、油圧ジャッキでどう制御するかということでいろいろ相談に乗ってもらいました。

 高架橋を見れば、どのような配筋か、どのような設計で断面が決定されているかは、構造物設計事務所にいた経験でほとんど判断できます。新幹線の設計は、工期を縮めるために、標準設計という設計図を事前に用意しています。高架橋だと、ほぼ高さ2mごとに用意し、現地に渡し、現地ではこれらを組み合わせて構造計画を行います。高架橋だけでなく、桁や橋脚の標準設計も用意していました。現地での高さやスパンの変更は、1ランク上のスパンや高さの設計図より、柱や梁の一部を除いて適用するのです。また基礎も、それぞれ直接基礎、杭基礎を用意して組み合わせるようになっていました。
 この標準設計を主に作っていたのが構造物設計事務所です。そのため、構造物を見れば、配筋状況や、応力状況はわかります。私も山陽新幹線、東北新幹線の標準設計は担当者としてかかわっていました。在来線も標準設計図集が用意してあり、一般的にはこれを組み合わせての構造計画が可能となっています。また、長大橋梁などの特殊橋梁も、ほとんどは構造物設計事務所が設計を担当していました。
 この仕組みは、設計のミスを少なくすることと、少ない設計陣で仕事をするための仕組みであり、またプロジェクトの工期を短くするための仕組みでもありました。東海道新幹線から山陽新幹線まで、それぞれ着工から開業までほぼ5年で実施してきているのはこれらの仕組みも貢献したのだと思います。その後の新幹線は非常に工期がかかるようになってしまいましたが、これは財源の問題が大きく影響しています。

 高架橋の柱の断面積から、柱の軸力は想定可能であり、ジャッキアップでの復旧をすぐに判断しました。70cm×70cmの柱が多く,断面積は約0.5m2なので常時は約50tの軸力が作用しています。柱の設計は耐震設計で断面も鉄筋量もほとんど決まっています。常時の状況での柱の軸力は10kgf/cm2程度が一般です。コンクリート強度は250kgf/cm2程度ですから常時は十分コンクリート強度は余裕があります。

2.4 PC桁の落橋
 順次調査をしながら歩いていくと、新幹線のPC桁が落橋していました。阪急今津線の上に架かっていたPC桁です。この桁はスパン30mのPC桁です。他社の線路上に落下しているので、すぐに撤去しないと他社に迷惑がかかるということで、PC桁を壊し始めていました。
 しかし、下を線路や道路で使っている上の大きなPC桁は造り直すとなると、施工条件も厳しく、最低半年はかかると思われました。高架橋は柱のジャッキアップで直るので数週間で復旧できると思っていましたが、この桁を造り直すと半年はかかってしまうだろうと考えました。
 高架橋など、ほかをいくら早く復旧しても、この桁を復旧しないと新幹線の開通はできません。どうするかしばらくここで考えていました。そこには、ゼネコンの研究所の所長や、各社の技術者など多くの知り合いが被害業況を調査して歩いていました。彼らに声をかけ、何かいい方法がないですかと聞きましたが、皆、撤去して造り直すしかないよとの返事でした。
 私は落下したPC桁の近くに行き、損傷状況をよく観察しました。


写真-9 阪急線の上のPC桁の落下
 
 私はそれまで、実験でPC桁を壊した経験もありました。また実際のPC桁のさまざまな損傷を見て、補修も行ってきていました。その経験から、落下した状況のPC桁の損傷より、より損傷の大きな桁も修復してそのまま使った経験もありました。落下したPC桁を詳細に観察したうえで、これを再利用しよう判断しました。壊してしまうと造り直しとなり工期が大幅に必要となるので、JR西日本の責任者の大阪工事事務所の所長のIさんにその現場から電話して、壊すのを止めてもらうことにしました。
 どのように再利用するかは、これらPC桁をどのように造るかを知っていることが重要です。PC桁は重いので、そのままの状況ではクレーンなどで持ち上げることができません。そのため、クレーンで持ち上げられる重さのI型桁を並べて据えつけてから一体にする設計を行っています。分割したものを並べて、それをつないで1つの橋としているのです。
 この桁は、単線4主桁が並列したものでした。4本のI型桁を並べて、単線用の一つの桁としたものです。これらのPC桁も標準設計であり、このようなPC桁の標準設計にも私はかかわっていました。
 撤去するのには造った時の逆で、クレーンで持ち上がる大きさに再度4分割し、道路や線路の上からクレーンで移動します。そこで補修し、壊れた橋脚の柱を造り直し、その上に再度据え付け、一体化するのです。下の道路や線路が使われ始めると、その上での施工は大変となるので、橋脚の復旧に支障しない位置に少し高く仮橋脚を造り、早期に線路や道路上に戻し、そこで桁を完成させるのと同時に橋脚の復旧も行い、桁をジャッキダウンする方法としました。先行して下の線路や道路は使われ始めますが、このような手順で、これらの下の鉄道や道路の運行に支障しないで復旧が可能となります。

 落下した桁には、H型鋼埋め込み型などもありました。これらもそのままでは重く、クレーンでそのままでは持ち上がらないものもありました。これらも、ワイヤーソーで、持ち上がる大きさに縦に切り、下の道路などに支障しない箇所に一度移動し、仮橋脚上で復旧し、橋脚を復旧してからジャッキダウンし再利用するように考えました。

2.5 河川橋脚の被害
 河川橋脚の被害は、鉄筋の途中定着部の損傷が中心です。これは1973年の宮城県沖地震など、以前から地震の都度生じていた典型的な被害です。橋脚の上にいくにつれて作用モーメントが減り、鉄筋を減らしているので、その減らした箇所で、残った鉄筋が降伏して伸びてかぶりを壊すことで生じる典型的な被害です。せん断ひび割れが大きく生じることがなければ耐荷力的には心配ありませんが、このままの外観では不安を与えるので、クラック注入と外周に20cm~30cm程度のRC巻きをすることが多く行われています。


写真-10 河川橋脚の鉄筋途中定着部の被害

2.6 支承の損傷と桁移動
 支承の水平移動防止の機能が損傷し、桁が移動することは以前から多くの地震時に見られた被害です。落橋防止などの補強が進められていたのですが、未施工のものなどでは桁が移動する被害が生じます。


写真-11 シューが損傷し桁が横に移動

2.7 調査1日目の終了
 19日の夕方には、調査チームは中間地点で合流し、六甲トンネルと、新大阪間の新幹線構造物の被害調査を終えました。それから大阪駅の近くのJR西日本の本社に車で向かいました。渋滞がひどく、夜の10時頃に到着しました(図-3)。
 翌日は、JR東日本のチームは六甲トンネルの西側の調査に行く打ち合わせを行いました。私は翌日の早朝のJR西日本の対策会議に参加してくれと言われ、残ることになりました。(次回に続く)


図-3 1月19日の午後の調査個所と工程
(次回は5月1日に掲載予定です)

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