道路構造物ジャーナルNET

第32回 阪神淡路大震災の復旧にかかわった経験(その1)

次世代の技術者へ

土木学会コンクリート委員会顧問
(JR東日本コンサルタンツ株式会社)

石橋 忠良

公開日:2022.04.01

 3月16日の夜、東北地方にまた震度6強の地震がありました。震度5以下ですと構造物の損傷はほとんどないのが今までの例ですが、震度6強以上ではある程度の損傷が生じるのが過去の経験です。
 緊急停止した新幹線が脱線し、電柱や構造物にも被害が生じました。新幹線の電柱や構造物も順次耐震性能の小さいものから耐震補強を進めています。新幹線の脱線対策は、脱線しても線路から大きく逸脱しないように、逸脱防止装置などがすでに実施されています。基本は、脱線は防げないが走行中でもレールに沿って走り続けて止まるという機構です。今回は停止中に脱線したようです。脱線は走行速度にあまり影響されず、車両の固有周期と高架橋の固有周期が横方向で近くなると共振して脱線するというメカニズムのようです。
 構造物のせん断先行破壊に関してはすでに補強を終えて、曲げ先行破壊のものも、順次耐震性能の低い構造物から行われています。今回の損傷もせん断先行破壊のような倒壊するものはなかったのですが、曲げ先行破壊で耐震性能の低いもののいくつかの構造物に損傷が生じたようです。これら損傷の生じた構造物も補強対象には選定されているので順次補強される予定とはなっていました。電柱は数が多いので、耐震補強が終わるのはまだだいぶ期間がかかるかと思われます。今はJRの現役の社員たちが、早期復旧に頑張ってくれています。

 今回は阪神大震災の復旧での経験を紹介します。あくまで私の経験ですので、復旧の全体像を紹介するのでなく、私の経験と感じたことを紹介します。その他にも、多くの災害復旧を経験してきました。地震被害の復旧としてはこの地震以外でも、新潟県中越地震や、東日本大震災などの鉄道の復旧にかかわりましたが、初めにこの地震被害の復旧の経験から紹介しようと思います。

1. 地震の発生と概要

 1995年1月17日の朝5時47分ごろに阪神大震災は発生しました。まだ列車はほとんど動いていない早朝であったので、大きな鉄道の死傷事故は幸いに生じないですみました。被害箇所は阪神地区であり、JR西日本のエリアです。
 この地震は、兵庫県淡路島の北端を震源としたマグニチュード7.2の兵庫県南部地震と名付けられました。神戸では震度7が観測されています(図-1)。


図-1 兵庫県南部地震の震源と各地の震度

 当時、すでに私はJR東日本に属しており、異なる会社での災害でした。しかし、私が入社したのは、日本全国組織の国鉄であり、1987年にJR各社に分かれるまでは、同じ会社でした。私自身も最初の勤務地は大阪でした。当時の大阪鉄道管理局の保線課と、尼崎にあった線路の修繕をする現場に勤務しました。
 また、1975年から4年間は仙台新幹線工事局という、東北新幹線を建設する組織に勤務しました。この組織は、福島県と宮城県の東北新幹線の工事を担当した組織で、それまでは仙台にこのような工事の専門組織がなかったために、北海道から九州までの既存の工事局から100名程度ずつ集めての1,000人規模の組織でした。私はここで、2年間は設計と積算を担当する組織におり、そのあと2年は、仙台市と名取市の工事を担当する現場に勤務しました。出身地域によりまとまって地域を担当する組織になっており、私の担当地域の関係者は大阪と北海道の出身者が多くいました。このような関係もあり、この災害の時点では、かつて一緒に東北で勤務して大阪に帰っている知人が多くいました。
 地震のあった17日は月曜日で、JR東日本の職場についてから、徐々にテレビなどから被害状況がわかってきました。当日、JR西日本の知人に電話で連絡しましたが、なかなか知人も被害の全貌がわからないようでした。翌日にはJR西日本の社長から、被害調査の応援の依頼がJR東日本の社長にあり、私が団長として14人で、19日の朝から大阪に向かいました。車や宿の手配は、被災しているJR西日本には迷惑になるので、頼めないということで、全面的にJR東日本で手配してもらいました。
 新幹線は京都まで動いており、そこから在来線で新大阪駅まで移動しました。そこからはJR東日本で準備してもらっていた車で動き、19日の昼に、JR西日本の本社でJR西日本の技術者と打ち合わせをして、新幹線の被害の調査を担当することとなりました。

2.新幹線の被害調査

2.1 被害状況
 当日の午後に、14名を六甲トンネルの坑口から北に向かう班と、新大阪駅から南に向かう班の2班に分けました。私は、被害のひどそうな六甲トンネル入口から北に向かう班に入りました。
 途中、高速道路の被害(写真-1)や、住宅の被害などを見ながら六甲トンネルの坑口に車で向かいました。高速道路はすでに撤去のために壊し始めていました。住宅も多く壊れていました。特に古い木造の日本家屋は大きな被害を受けていました。最近建てられたと思われるプレハブの家屋は、外観は健全に見えました(写真-2)。


写真-1 道路橋脚の被害/写真-2 住宅の被害

 高架橋の調査用紙は図-2に示すような記録紙をもって、被害状況を記録してもらいました。被害のあることの記録も大切ですが、被害のないということの記録も大切です。被害のないことを記録してないと、後から心配で再度調査をすることになったりします。


図-2  高架橋の被害調査用紙

2.2 新幹線高架橋の被害
 六甲トンネル坑口に着いたら、そこにつながる高架橋から被害は生じていました(写真-3)。


写真-3 六甲トンネル坑口近くの高架橋の被害

 被害状況は、今までに経験のないひどさで、多くの新幹線の高架橋の柱が折れ、スラブが落下していました。このような被害が生じるような地震が起きるとは、それまで思ってもいませんでした。ただ被害状況は、それまで多くの耐震に係る実験を行ってきた経験から、大きな地震が起きて壊れるのであれば生じうる当然の壊れ方ではありました。想定地震より大きい地震なので、設計上壊れる柱が壊れたのでした。設計上地震では壊れない梁はそのままの損傷のない状態で、柱が壊れたので落下していました。
 
 山陽新幹線の高架橋はラーメン構造で、その接続部には単純桁を挟んだゲルバー形式となっています。そのため、桁を受けている高架橋の柱が壊れると、桁が落下してしまうということも生じます。写真-4はその桁が落下して、レールに枕木が付いた軌道が見える状況になっています。軌道はバラスト軌道なのでバラストは落下してしまっています。


写真-4 高架橋と高架橋の間にある桁も落下し、レールと枕木が見えている

 写真-5は1層の背の高い高架橋の被害状況です。背が高いためにせん断破壊せずに、曲げ破壊が生じたために、柱の端部が損傷していることがわかります。曲げ損傷の場合は、変形性能が大きく、損傷が生じても倒壊しにくく、大きな地震に耐えることができることを示しています。


写真-5 1層の背の高い高架橋はせん断破壊せず、柱端部の曲げ損傷であった

写真-6は2層の高架橋の被害状況です。1層目の柱がせん断破壊したためにスラブが中層梁まで落ちてしまっています


写真-6 2層高架橋は柱のせん断破壊が見られ、これは上側の柱が倒壊した

 写真-7も2層の高架橋の被害です。この高架橋は1層目の柱もせん断破壊し、2層目の柱もせん断破壊して斜めにせん断面でずれ落ちている様子がわかります。


写真-7 2層高架橋の柱のせん断破壊

 写真-8は4本足のラーメン橋台といわれる構造物の柱がせん断破壊したために、その上の桁も落下してしまった状況です。


写真-8 ラーメン橋台の柱がせん断破壊し桁が落下

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