道路構造物ジャーナルNET

-分かっていますか?何が問題なのか- ㊻高齢橋梁の性能と健全度推移について(その3)‐将来に残すべき著名橋になすべきことは‐

これでよいのか専門技術者

(一般財団法人)首都高速道路技術センター
上席研究員

髙木 千太郎 氏

公開日:2019.01.31

1.橋梁とトンネル部門のプロフェッショナルエンジニア

 どこの雑誌に載っていた記事であるか定かではないが、30年以上前、まだ駆け出しの若手技術者であった私が興味深く読み、理想の技術者像を思い描いた時の話をしよう。その記事は、キリン(現役バリバリの橋梁技術者)とゾウ(異色の著名なトンネル技術者)、聞き手の鼎談、『特集 海峡横断 BRIDGE vs TUNNEL』であった。キリンとは、本州四国連絡橋公団の成井信氏(第一建設局鳴門管理事務所)、ゾウは、日本鉄道建設公団海峡線部の北川修三氏である。橋梁技術者・成井信氏は、私が東京港連絡橋(現在のレインボーブリッジ)の設計・積算に携わっていた前後から何度かお会いし、高度な橋梁設計・施工技術についてお話をお聞きした方である。成井さん(本州四国連絡橋公団を辞められた後もお会いし、橋梁の現場にも嫌な顔一つせずに足を運んでいただいたのもあり、本人にはご迷惑かもしれないが、成井氏ではなく、親近感を持って成井さんと呼ばせていただく)は、とても気さくな方で、私のような未熟な技術者にも紳士的な接し方をされ、長大橋設計・施工の困難さや、海外、特にヨーロッパの橋梁技術や材料について、機会あるごとに話していただいた。ここで、私にはとても出来ないと思った、成井さんの経歴について話をしよう。

 成井さんは、大学時代に橋梁、特にコンクリートに関する技術を学び、卒論も「コンクリートのせん断」問題とお聞きしている。成井さんは、大学卒業後は国内ではなく海外でより多くの技術を学び、研究を深めたい、との意欲から、欧米の大学への留学を強く望んでいたらしい。成井さんの強い海外留学への願望からか、自らの道は自分で開こうと決意し、自分の論文を世界的に有名なドイツの著名な橋梁技術者フィリッツ・レオンハルト(Fritz Lionhardt)氏に送ったそうだ。その論文が、偶然にもレオンハルト教授の目に留まり(教授も成井さんと同じテーマの研究を行っていた)、一気にドイツ留学への道が開かれたそうだ。
 しかし、成井さんのドイツ留学の道が厳しい状況には変わりは無く、レオンハルト教授の推薦だけでは入学が許可されず、当時の西ドイツ政府の交換留学試験の受験と試験合格が留学許可条件となった。西ドイツ政府の試験を受けると言うことは、日本の大学推薦や日本政府の支援を受けずに留学することであり、成井さん本人の努力は並大抵のことでは無かったであろうと推測する。成井さんの能力は当然疑う余地もないが、それよりも、短期間にドイツ語を交換留学試験合格レベルまで引き上げるべく努力し、試験に合格したことをお聞きした時(私がこの事実を聞いたのは、本州四国連絡橋公団で数多くの成果をあげられた後のことであるが)は、私自身も「海外に行って、勉強してきなさい!!」と尻を叩かれているような気がした。その後成井さんは、シュツットガルト大学に留学、最新の世界橋梁技術を4年間かけて学んで帰国された。友人もいない(私が勝手にそう思っている)、あのどんよりした雪雲のような雲が覆う、冬のグレー色・ドイツを考えると、成井さんの世界の最先端技術を修得しようとする向学熱意は凄いものだと感じた。これから後は私が見た鼎談の記事からの引用である。

 成井さんがドイツ留学から帰国したのは、1977年6月であった。ところが、国内の一般的な採用試験の時期は過ぎて、就職難の時期でもあったことから簡単に就職先が決まったのではない。成井さんの持てる技術を活かすように仕組まれたのか、運よく本州四国連絡橋公団の民間人登用(現在の経験者採用?)があり、ドイツで学んだ最先端の知識を実務で活かそうとの意気込みで、本州四国連絡橋公団に就職された。その後、成井さんは、本州四国連絡橋の設計・施工・製作に携わり、私がお会いした時にはプロフェッショナルエンジニア、雲上人のような存在であった。

 次に話を移そう。成井さんと相対する北川修三氏とは全く面識が無いが、専門がトンネルでもあることからか多少の親近感がある。その理由は、私が橋梁に関係する仕事に就かなければ、トンネルに関係する仕事に就く可能性が高かったからである。私が橋梁部門に進むか、トンネル部門に進むか迷っている時である。機会あって、神奈川県の南西部に位置する真鶴で、日本道路公団が施工していた『真鶴トンネル(真鶴ブルーライン』の掘削工事中の坑道に入り、暗闇の中、切羽の奥から身震いするような地鳴りを体感した。何とも言えぬ恐怖感が我が身を包み、私にはトンネル工事は向かない、これは駄目だと、尻尾を巻いて逃げた。その結果が橋梁に携わる道を選択した理由である。私は閉所恐怖症では無いと思っているが、臆病者なのかもしれない。
 北川修三氏の経歴も変わっていて、大学は理学部で地質が専門であったが、就職先は土木技術者の塊、鉄道建設のプロ集団である。北川氏は、卒業時に本州と北海道を結ぶ、青函トンネル工事に携わりたいとの強い意志があり、日本鉄道建設公団に就職している。日本鉄道建設公団では、青函トンネル、上越新幹線・中山トンネルなどの難工事をトンネル屋としてすばらしい成果を残し、トンネル部門の高度なプロフェッショナルエンジニアと評価されている。さてこのあたりで、私が最も興味のあった鼎談の要点に話しを移そう。第一は、『橋&トンネルの魅力』である。鼎談の詳細な説明は省略するが、橋については、『ロマン、未来への夢がある橋』であった。
 成井さんの話すには、「橋は、・・・単に川や海峡の対岸を結んで人や物の行き来が便利になると言うだけでなく、心理的にといいますか、地元の人や利用者に対してある種の感動とか、印象とかを与えていると思います。例えば、対岸の町に嫁いだ娘に橋が出来たことによって、気安く会いに行けるようになる。そうしてそういう風に対岸が近くなった、つながったと言うことが、橋によって視覚的に感じとることが出来て安心するわけですよ。」これからは成井さんが携わっていた本州四国連絡橋建設現場での話となる。「よく子供たちが写生に来て。橋の絵を描いていくんですが、彼らも心の中でそういうことを感じていて、思い出していくんじゃないでしょうか、橋にはロマンがあり、未来への夢があるような気がします。・・・」である。橋は、倒れた樹木が偶然にも小川を跨ぎ、それを動物が渡っていくのを見た人間が、丸太を渡したのが始まりである。水で分断された地域を3次元で結び、人や動物の往来を可能としたのが橋なのだ。織姫と彦星に例えられるよう、何と夢のある構造物と思えませんか、橋は。成井さんの話、愛する娘と出会う機会創り、長大橋、海を渡る本四連絡橋を描く子供心を引き合いに橋のロマンを語るのは、橋屋と呼ばれたかった私にとって、心を打たれるものがあった。

 一方トンネルについての北川氏は、橋のロマンを語る成井さんとは異なったコメントであった。「トンネルと言うのは、・・・非常に地味な仕事です。だから出来上がったもの(作品)について非常に感激したとかいう経験は自身にはそんなにないのです。実際工事をやっていく中で、非常におもしろいなと思いましたのは、設計にしろ、施工にしろ、はっきりいいましてセオリーが無いのです。専門書に書いてある通りにやってもそれでうまくいかないことの方がむしろ多い。そうすると悪く言えば、個人プレイに走って独善的なものになりかねないのですが、逆によく言えば、個人のやる気なり個性なり、そういったものが非常に生かされやすいのです。だから大体どこの現場に行っても、おれが一番このトンネルのことをよく分かっているのだという主が、一人二人います。それは若い人もなれるし、もちろん年輩で経験を積んだ方もなれる。とにかくめぐり合わせなり、あるいはやる気なりで、かなり個性を生かせる仕事だと思うのです。・・・」

 確かに、私が見ている完成したトンネルは、坑口は確認できてもその先は、内壁のみで見えがかりの部分は限られている。トンネルは、どのような工法を使っても、材料は異なったとしても、トンネル内壁は一様で、よほどのプロでない限り、それらの痕跡を確認することは困難である。しかし、トンネル工事は、橋梁のような派手さと周辺住民が工事のステップを確認できる可視化は不可能ではあるが、その場に立つと、隠れた真の技術者魂を感じる。難工事で有名な16年を費やして完成し、作業員の命を救った『救命石』など、当時の逸話が残る東海道線『丹那トンネル』、世紀の難工事と言われ、映画『黒部の太陽』にもなった黒部第四発電所の建設における、『大町ルートのトンネル掘削工事』など、数多くの語り継がれるトンネル工事史がそこにはある。私も、『中央自動車道・恵那山トンネル』の建設現場を見させていただいたが、確かに工事にセオリーは無く、個人のやる気や個性が私にも感じ取れた。私がそう感じたのは、当時の日本道路公団が過去の経験を基に、最先端技術を集めて開発した、トンネル掘削機・『発破併用馬蹄型掘進機』が結局期待通り機能せずにお払い箱となった解説や、その後の断層破砕帯を抜く難工事概要をお聞きした時である。こんなことを書くと、田島氏や定塚氏(両人とも道路トンネルのプロフェッショナル・日本道路公団)から怒られるかもしれないが、私個人として感激してお聞きしたので見逃してください。このようなこともあり、相応しくわないかもしれないが、私はトンネル屋には『男気』を感じている。
 北川氏の自らの仕事についての発言が続き、「私自身もそんなに数多くの工事を経験しているわけではないのですが、割と自分なりの個性を燃焼できたという自負はあります。それが何と言っても、トンネルの魅力ではないかなという気がします。」と締めくくられた。なんとも羨ましい自らの評価に、私は専門技術者としてのプライドと満足感を感じて読み終えた。今回、私が紹介した話を読んで、読者の皆さん、成井さんや北川氏のように、チャレンジしたいと思いませんか?世界に示す日本の高度な土木技術を国内で。
 ここに、今回私が紹介した鼎談の挿絵(私の手元に残っていた記事の切れ端を転写)を図-1に示す。キリンが成井さんで北川氏がゾウであるらしいが、少なくとも成井さんのお姿はこのようなスマートな体形ではなかった。成井さん、もし私の連載を見ていたらごめんなさい、あくまで私感ですから悪気はありません。ここらで、読者の多くの方々が期待??している既設橋梁の分析結果に話題を変えよう。

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