道路構造物ジャーナルNET

㉑「標準設計」

民間と行政、双方の間から見えるもの

富山市
建設技術統括監

植野 芳彦

公開日:2017.08.16

5.おわりに

 今後、人口減少や社会システムの変化に伴い、公共事業のあり方や質に対して求められる物が変化してくる可能性は大きい。しかし、社会インフラを構築し守っていくという、我々の役割に変化はない。今回話した標準設計の話から設計と言う行為に関して甘く見ていることはないだろうか? 私が社会の出たのは、1980年代であった。本州四国連絡用の工事がピークのときである。高速道路の建設や首都高速、都市内高速なども実施され、膨大な事業量に対応していた。それに比べ、最近は事業量も減り、新規の設計も減少している。おそらく、設計を実際に担当する量も減少しているし、技術の伝承も昔のようにはいかない。事業量が多かった時は、皆必死でどうしたら「手間が少なくなるか」「作業人工を下げられるか」「現場の作業が楽になるか」と「考えた」。ツールは時代によって変化するし、進歩する。其れを活用していくのは人間である。技術者としてツールを批判するのではなくて、どう使うかが重要なのである。ツールを使うだけの人間が、往々にして批判して「使い物にならない」と言う。しかし、それを考え抜いて作っている技術者も居る。現在盛んに使用されている、民間の設計ソフトもそうである。100%なんでも対応できるかと言うと、そうでは無いことを理解しているか?


今こそ集約化、最適化、標準化のプロセスが必要なのだが……

 最近、職員も民間も考えなくなってしまっている。ソフトに載らなければ出来なくなってしまっているのだが、それでは技術者とは言えない。職員も民間も勉強しなくなってしまっている。事業量が減収する中、経験できる数は減少するので自らが意識を持って勉強していかなければ、真の技術者にはとうていなれない。
 プロであれば本来、よほどのことが無い限り、「これを使え」と言われたら理不尽でもやって見せてこそプロなのである。後から議論すれば良いが、最近は、最初に文句や能書きを言ってやらない。やろうとしない。コンサルにも居たので感じるが、コンサルなんて良い商売ではない。だから、大変なのである。こういうと誤解されるが、役割が違うということを相当無理してやっている。役所も悪い。本来無理なことを、便利だからと言うことで、やってもらってる。標準設計は、「使えない」と言って消されたのである。ここを考えてほしい。あとは、余計なことは言わないようにする・・・・・・。
(次回は9月16日に掲載予定です)

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