5.標準化
前に、標準化について書いたが、そのときに、編集者が心配してくれた。世の中には反対な方も多いのではないか? と。其れは、わかっている。長年、標準設計にかかわってきて、阪神大震災の後に、示方書を改定し、其れを反映した標準設計を造るはずであった。しかし、少し取り掛かったところで、建コン協の反対に遭い中断した。理由は「画一的な設計になる。」という理由であったが、果たして公共構造物で心配すべきことなのだろうか? 確かにランドマーク的な橋や本州四国連絡橋のような橋梁はデザインもそれなりに考えなければならない。しかし、あのような長大橋においても2次部材等は標準化している。
この辺が理解されなかったことで、今我々は大きなリスクを背負わされている。1つは、設計技量の低下である。これについては、あえて言わない。皆さんがどれだけ、気づいているか? である。もう一つは、維持管理の課題が増えてしまったことである。一件設計は、一つ一つ、違った設計になるので多くの構造物が、いちいち測定しなければ、寸法の確認が出来ない。点検のロボット化においても大きな足かせとなるのである。標準化されていれば、ロボット化は少しは容易であろう。社会の成長が進むと、生産性が問われるようになる。工業製品では当然、標準化⇒合理化⇒ロボット化と進んでいく。たとえば、自動車産業を考えてみると良く理解できる。ここで、また、工業製品と土木構造物は違うという意見が出てくるであろう。しかし、そういうところにこだわる割には、点検においても補修設計においても、配慮が足りない状況である。
6.技術者としての資質
建設後30数年たった、補強土擁壁が崩壊した。山の中なので、直接被害は無かったが、どうも、安易なので、今後が思いやられる。安易なのは職員、さらに興味が無いのか、直せばよいと思っている。また、これは橋梁に付随しているので、点検時に確認していないのか?疑問に思ったが?どうも、コンサルさんも橋の点検では橋しかやっていない。これって、お互いに、おかしいだろう!
崩壊した補強土壁
そもそもが構造物に興味が無いのだろう。業務としか感じていない。熱意が感じられない。これではインフラの管理なんてやって生けないのではないか? 少しは、愛着を持ち興味を持たなかったら、上辺だけで終わってしまう。しかし、世の中皆そうなのかもしれない。最近、シンクタンクやコンサルと話していると、だんだん腹が立ってくる。自分でやったことも無いのに、上辺だけのきれいごとを並べて、したり顔をしている。また、それを、ありがたがって聞いている連中がいるので、情けなくなる。バーチャルな世界で満足できるのは、技術者ではない。理想論が通るのは現実ではない。情けなくなるどころか、心寒くなる。
我々、技術者は実行して何ぼである。実行できなければ、価値が無い。きれいごとの上辺の仮想論をありがたがる人種もいると思うが、少なくとも私は違う。認めない。しかし、世の中、認めてしまう人たちが多いのも現実である。まあ、それはそれで仕方が無い。我が富山市でもそうである。
(次回は11月16日に掲載予定です)
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⑥役所側から考えてみる
⑤橋梁保全対策室を新設
④診断・補修について
③点検について
②自治体自体の長寿命化を図るために
①魅力ある提案が欲しい