道路構造物ジャーナルNET

③点検について

民間と行政、双方の間から見えるもの

富山市 
建設技術管理監 

植野 芳彦 氏

公開日:2016.02.16

 民間と行政の双方を経験し、何が見えるか? 書いてほしいとの話があった。執筆を引き受けたのは良いが全く書く内容に困った。しかし、これから大きく変化する、社会情勢の中で特に、何が今問題なのか? 我々は何をするべきなのかを考える一助になればと思い書くことにする。技術的内容よりも、一般論に近いものとなる。書くに当たっては、批判も罵声も大いに結構である。さまざまな考えの方が居て当然であり、私の考えが間違っているかもしれない。大いに批判していただきたい。今回は「点検」について、感じていることを書く。

橋梁の難易度によって点検業務を発注
 やったふり、分かったふりが将来に禍根を残す

1. 点検について
 橋梁の老朽化問題において、「点検」に関して重要視されている。道路メンテナンス会議等においても、たびたび、点検の重要性が説かれ、2㍍以上の全橋梁の近接目視点検が義務付けされていることは、皆さん衆知のことである。今まで、ほとんど点検すらされていなかった問題に関しては格段の進歩であろう。しかし、維持管理問題において「点検」は、ひとつのステップに過ぎない。ここに、膨大な予算をつぎ込んでしまっては、後が無いのである。富山市では、管理橋梁数が約2,200橋存在する。このうち、重要橋梁は224橋、残りが小規模橋梁である。本年度は、重要橋梁66橋と小規模橋梁610橋の点検を実施している。ここで、心配なのが、「点検の精度」である。過去の点検結果を見直してみると、精度に問題があったり、重要な劣化損傷が見逃されていたり、もしかしたら見ていないのではないか? と思えるような物もある。点検する者の、感性の問題が大きいと思う。
 そもそも、現実問題として、「点検」や「維持管理」に関する課題は、(日本の)コンサルでは無理なのではないか? と考えている。これは、貶なしているのではなく、日本のコンサルタントの生い立ちや実態を考えると、維持管理の現状とあわせ、そうなるのだ。特に、コンサルは少し不本意だが設計のプロなのだそうだ(ある講演会での会場からの意見)。しかし、現物を、あまり見ていない。維持管理においては、その、材料から設計、解析手法、製作・施工、運用、点検(非破壊検査法含む)、補修方法等の幅広い知見が必要となる。其れが、無理だからである。エンジニアリング会社のような物があれば、本来そこでやるべきであろう。本来、コンサルはその得意とする分野で活躍すべきである。便利や的に、何でもやる。できなくてもやる(やったように見せる)では、課題を増やしているだけである。これは、発注者も悪い。
 そして、点検はしっかりやらなければならないのだが、何らかの方策をもって、負担軽減を図らなければ財政が保たれないので、なんとか工夫していかねばならない。なんとなく、仕事になる。お金になるからと考えてやっている方々は、早めに撤退したほうがよいかもしれない。点検の発注の仕方にも、工夫が必要であると考えており、昨年度から少しずつ改革をしている。地元コンサルからの反発は大きいが、橋梁の難易度によって、地元と中堅、大手を分けて点検業務を発注することとした。当初は、地元と大手のJVも考えていたが、地元の抵抗に遭い、橋梁の難易度によりランクわけすることにした。
 点検の最大の課題は、それなりの労力(人工)を要することである。また、架橋場所により、かなり困難な場所もある。時間と労力を要するので、職員が自ら点検せずに、コンサルに委託し時間と経費を削減しているのである。この方向性が崩れると、何のためにやっているのかわからなくなる。ただ、やればよいと言うのでは、非常に事務的過ぎる。問題意識を持って対処しなければ意味が無い。ここで言いたいのは、「点検は、何のためにするか?」と考えてやっているか? ということである。現状を見ていると点検をやればよい、点検のことしか考えていないというのが問題である。役所は「国から点検を、やれと言われているから」やる。コンサルは「(仕事が減ってるから)点検でもやろうか。」という気持ちが大きいのではないだろうか?官も民も目的意識を持って点検を行い、きちんと判断していかなければ意味が無い。そして。コンサルさんは、わからない場合は「わからない」ときちんと報告することだ。「やったふり」「わかったふり」がその後の対処に問題を残す。

「木を見て、森を見ていない」状態
 最初に全体の外観を見極めるべき

2.セカンドオピニオン
 現在、「セカンドオピニオン」と称し、昨年度までに実施した点検業務の再点検を、職員と同行し実施している。まず気になるのは、「木を見て、森を見ていない」状態である。部材や細かいところは見ているが、橋全体での異常を気にしていないために、致命的な損傷が見つけれない。さらに、見づらいところを見ていない。
 富山に赴任する前に、某市の駅周辺開発に伴う新設跨線歩道橋梁のCMアドバイザーをしたことがある。メーカーでの仮組み立て検査に立ち会った時に、検査員として施工管理の設計事務所等も立ち会っていたが、皆さん橋梁メーカーの方の説明に従い、デジタルな数値の確認に追われていた。また、職務上デザイン上の課題に終始していた。ひねくれ者の私は皆とはずれ、全体の外観や溶接外観、連結部の隙間などをチェックした。なぜかと言うと、そういったものが将来の維持管理上の課題となる場合が大きいからである。現地での橋梁も同じで、最初に全体の外観をきちんと見極めるべきである。次に、橋梁に対する経験、知識不足であろう。「たかが、点検、されど点検」なのである、十分な知見の持ち主に点検してもらいたい。「点検・検査」をするというと、どうしても「なにか問題を見つけなければ」と、勢い余って、細かいひび割れなどを必死に見ている傾向がある。其れはそれで価値があるが、致命的な現象は、もっと大局的なところにある場合がある。
 さらに、点検して「見えなかった」「見られなかった」「わからなかった」という正直な報告が欲しい。これは、恥ではない。誠実な報告が欲しいのだ。点検は事実を見極めるためにやっている。見れない、わからないは当然出てくるのだ。失礼だが現在の日本のコンサルタントの実力ではその経験、実績から見ても、確実な点検や診断を行うには不十分である。「せめて写真だけは、ちゃんと撮っておいて」ともよく言うのだが、報告書にも、添付資料にも写真が少ない。まあ、撮っている写真を見れば其の業務をきちんとやったかどうかは明白になるが、それよりも、後々問題になった時に、さかのぼって写真があれば検討材料になる。それだけでも、価値はあるのだ。


点検結果の誠実な報告が欲しいのだ。(写真はイメージです)

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