2. 橋の寿命
我が家では、年末に義父が危ないということで大騒ぎをした。89歳である。到る所に持病が有り、かなり老朽化している。何度となく入退院を繰り返しているが、今回も何とか大丈夫そうである。しかし私の実父は、58歳でこれといった持病も無く突然に亡くなっている。そして、亡くなってから健康診断の結果が届いた。「異常なし」であった。人間の体はわからない物である。この二人の違いはと言うと、生まれ年は同じである。職業は2人とも公務員だった。しかも、同じ農林水産省。違いは、実父は途中から県に、義父は途中から民間に移った。違いといえば、義父は病院に頼って生きてきたかと言うのがある。そして診てもらった病院がダメならば、病院を変えてきた。本人たちも自分の寿命がどのくらいかはわかっていない。構造物にすれば物は言えないので、的確な点検を実施し、それが的確でなければ、点検を実施するコンサルを変えるということぐらいは必要である。これは、発注者が判断しなければならない。
よく「橋の寿命は何年ぐらいなのか?」という質問を受けるが、「個々の設計、作られ方、使われ方によっても違う」と返している。まず、設計年次により道路橋示方書の中身が違うので、その結果は当然、橋の寿命に跳ね返ってくるはずである。さらに、同年次の示方書を使用しても、個々の設計者による差も出てくる。作られ方、施工精度によっても大きな差が出てきてしまう。
打ち合わせ(文章内容と直接は関係はありません)
さて、では「長寿命化計画策定」なるものはどのように作られたのだろうか? 真剣に調査し十分な検討を行い、策定されたのだろうか? 台帳がない、設計計算書や図面が見つからないと言う中で、策定されている。さらに、調査は十分だったのか? さらにさらに、自治体の財政状況や、今後数十年間の財政予測なども十分検討されているのか?
自治体は、予算規模が小さく財政が厳しい。特に地方は厳しい。維持管理に予算が潤沢にあるわけではない。毎年の予算配分の中で、何とかやっているのが実態である。私は現状では予防保全などほとんど不可能なのが実態だと思う。また、失礼だがコンサルタントが作った長寿命化計画は実態に合っていないと感じている。発注者との議論や考え方のすりあわせが十分にできていないのが大きな原因であると思う。急かされて、十分に時間も無い中まとめているので、なかなか困難であったと思う。役所は、上から(国から)作れと言うから、とりあえず作らなければ・・・・。民間は、なんかお金になるらしい・・・。ということで、お互いに真剣に考えられたのだろうか? それが、今も亡霊のように生きていることが問題なのだ。ダメだったら速やかに見直す柔軟性が必要である。
富山市では、現在、完全に見直す作業に着手した。管理者としての作業分析から、財政まで可能な限り分析し、富山市の基本方針、コンパクトシティへ向けた方向性なども考慮し、持続可能な富山市マネジメントシステムを構築したいと考えている。