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②難問に立ち向かう!≪若戸大橋の4車線化≫

高速道路の橋とともに40年

中日本ハイウェイ・エンジニアリング東京株式会社
チーフエンジニア(橋梁担当)
宮内 秀敏 氏

 今回も私が携わった事業から、若戸大橋の4車線化を紹介したい。この改築工事は、極力交通を確保しながら、技術的にも過去に例を見ない吊り橋の大規模改造工事であり、課題が山積していた。この難問に、限られた工事期間、事業費と技術職員で立ち向かい完成させることができた。今まさに厳しい条件の下、本格化している高速道路あるいは高規格道路の老朽化に伴う大規模更新・修繕事業に通じる部分があることに気づき、参考になればと取り上げることにした。


事業の概要

 我が国における長大吊り橋技術の発展の歴史を振り返るとき、若戸大橋がその原点にあり、その技術が関門橋あるいは明石海峡大橋を代表とする本四架橋へと受け継がれていったことは、技術者の誰もが認めるところであろう。Golden Gate橋等のアメリカの技術を学ぶことからスタートを切った我が国は1960年以降吊り橋時代を終えたアメリカに代わって、その技術の継承者となったのである。

 若戸大橋は、歩道付の片側1車線の道路橋として、北九州市誕生直前の昭和37年9月に戸畑市と若松市を隔てる洞海湾に架けられ、同地区の産業の発展と人々の生活に欠かせない動脈として活躍してきた。しかし、我が国の高度経済成長とモータリゼーションに伴い、開通当時7,000台/日程度であった交通量も、年々増加の一途をたどり、昭和50年頃には慢性的な交通渋滞に悩まされるようになった。そこで、この問題を解消するために若戸大橋を2車線から4車線に拡幅することとなり、昭和62年に本線工事に着工、3年後の平成2年に完成した。



(左)図-1 若戸大橋の位置  (右)写真-1 4車線化された若戸大橋


 このプロジェクトは、道路延長2.1kmのうち戸畑、若松の両アプローチ高架部それぞれ0.7kmの区間は、2車線の既設橋に隣接して新たに2車線の高架橋を建設し、海上の吊り橋部0.7kmについては車道の外側にある歩道を廃止して車道とすることによって、4車線化を図るというものであった。この改築工事は、長大吊り橋を、交通を生かしながら改造するという、例を見ない難工事であったが、工事事務所長の強力な指導と柔軟な発想の下、請負業者、発注者双方の高い技術力とやる気のある優秀な若手技術者、さらには建設に携わった諸先輩、技術検討委員会の学識経験者とのコラボレーションにより、はじめて実現できたものとあらためて感じている。

 

突然の電話からすべてがスタート

 昭和61年晩夏、私の元上司であった若戸大橋工事事務所長から一本の電話があった。「今度若戸に来ないか?」てっきり現場見学へのお誘いと思い、「近いうちに一度お伺いします」と答えると、そうではなく、2年間でいいから若戸大橋の4車線化を手伝ってくれとのこと、いわゆる「1本釣り」であった。これが私と若戸大橋のなれ初めとなった。

 いざ赴任してみると、事務所内は異様な雰囲気であり、技術職員の多くは意識がもうろうとしているような状態であった。それもそのはず、ここ数カ月間は朝方まで残業をして疲労困憊となっていたのである。話を聴いてみると、数か月後に迫った工事発注の準備で忙しいとのことであったが、工事長以下全員が同じような状況で、冷静な指揮者が不在となっていた。これではまともな思考ができないし、著しく非効率で、ミスも多くなるのは必然である。人は、追い込みで1日や2日の徹夜はできるが、数カ月にもおよぶ長期戦は無理である。数日経って私(筆頭担当者の立場)は、次のように提案した。

 ①指揮官である工事長は、それなりに早く帰ってください。②担当者は、順番で早く帰ることとし、残業する者も日付が変わるまでには帰宅すること。

 それは、私の前任地が第二神明道路の拡幅事業の現場であり、大変な経験をしたことから言えたことであった。この決め事を実行したことで、仕事の能率は飛躍的に向上し、無事予定どおりに工事発注を終えることができた。振り返ってみると、若戸大橋の改築は特殊な工事であり、会社の積算システムが使えず手計算を余儀なくされたことへの一種の焦りから、事務所内が空回りしていたのだと思う。こういう時こそ、「急がば回れ」という言葉があるように、冷静にまず業務のプラン(マイルストーン)を組み立ててから仕事に取り組むことが、いかに重要かが身に染みた。


山積する課題

 この事業のおもな課題は次のようなものであり、すべてが厳しいものであった。

  ① 工事期間は、着工後約3年

  ② 事業費のシーリング

  ③ 利用交通への影響の最小化(車を通しながらの施工)

  ④ 鋼床版端支点の負反力対策

  ⑤ グース舗設熱影響の処理(1期、2期施工鋼床版の連結)

  ⑥ 改築による耐風安定性への影響

 若戸大橋の近くに迂回する道路はなく、さらに若戸大橋は片側1車線しかないため、施工計画を立てるうえで特に交通を長時間遮断しないことが必須であった。さらに、安全に、事業費を安く、短い工期で目標を達成するために、走りながら技術開発をしてその成果を取り入れるという、「吊り橋」だけに、まさしく綱渡りの世界であった。それでは、以下に若戸大橋の4車線化がどのようにして完成したのか、その主な部分についてアウトラインを紹介する。


吊り橋部の拡幅

 吊り橋部の拡幅はケーブル、主塔、補剛トラス等の主構造を改造することなく、床組より上部のRC床版を鋼床版に置き換えるものである。図-2に示すように、幅員は歩道を含めて15m確保されていたことから、2車線を4車線に拡幅できる。これは、およそ60年前に建設に携わられた諸先輩の先見の明によるものである。



図-2 建設時(上)と改築後(下)の比較


 この工事の最も重要なポイントは、拡幅工事着手時の36,000台/日という重交通をいかにして常時確保するかにかかっていた。施工方法は基本的には、図-3に示すように分割施工とせざるを得ないが、安全性の向上、工事期間の短縮を図る必要もあり、大型機械の導入により、当時としては画期的な機械化施工に挑戦している。(図-4、写真-2)全旋回の荷揚げクレーンや吊り橋上の各径間の3台の門型移動クレーンなど、現場に設置されたほとんどの大型機械が新造されたものであった。ある時、心配になって現場代理人に、「こんなに投資して大丈夫ですか?」と聞いたことがあるが、「ご心配なく」と笑っていた。



図‐3 分割施工の流れ


(左)図‐4 大型施工機械の配置図  (右)写真‐2 1期施工状況


 施工は①RC床版の撤去、②床トラス改造、③鋼床版の架設と大きく分けることができる。RC床版の撤去は、コンクリートカッター(ダイヤモンドブレード)によるブロック切断と部分的にコアボーリングによる連続削孔で行った。床トラス改造とはRC床版を撤去した後の、床トラスへの補剛材や支承台座の取付けである。これは1,000箇所にもおよび結果的に全体工程のクリティカルとなった。

 鋼床版は横トラス6径間分(25.2m)を1ブロックとし、施工を2期に分けるために生じる橋軸方向の継ぎ手は、架設時の調整および工期の短縮などから高力ボルト接合としている。この高力ボルト接合が難問のひとつでもあった。というのも、グースアスファルトの舗設熱(180℃)により、鋼床版が面内外にどのように動き、あるいは変形するのかが分からなかった。そこで実物大モデルによる舗設実験を行い接合部のディテールや、高力ボルトの締め付け方法を決定した。(表-1)なお、橋軸直角方向のデッキプレートは現場溶接構造とし、ボルト突出による舗装への悪影響を回避している。



表‐1 鋼床版の架設手順


 また、6径間連続桁である鋼床版のスパンが4.2m(=横トラス間隔)と短く、活荷重作用時の端支点部に負反力が生じるため、製作キャンバーを100mm程度付け、架設途中の支持方法に工夫をしたうえで、最終的に締め込むことで端支点に所定の反力を導入している。(図-5)



図-5 鋼床版端支点への反力導入


 なお、撤去したRC床版の搬出や新設の鋼床版の搬入・架設等ほとんどの作業は、アンカレッジに設置した全旋回荷揚げクレーンおよび吊り橋の側径間と中央径間に設置した3台の門型移動クレーンにより機械化施工を進め、現場を工場化することで安全と工期短縮を図っている。(図-4、写真-2)