道路構造物ジャーナルNET

②難問に立ち向かう!≪若戸大橋の4車線化≫

高速道路の橋とともに40年

中日本ハイウェイ・エンジニアリング東京株式会社
チーフエンジニア(橋梁担当)

宮内 秀敏

公開日:2017.10.01

耐風安定性の検討

 4車線化後の若戸大橋は、RC床版を鋼床版に取り換えることにより全体重量が約5%軽くなることや、歩車道間のグレーチングが路肩に移動することなどから、耐風特性が変化するかもしれない。これを確認するため風洞実験を行なったところ、図-6に示すように風速40m付近でねじれフラッター振動(最大で5°)が発生したため、検討を加え結果的に中央分離帯の下方、上方それぞれに1mの鉛直スタビライザーを取り付けることとした。
 このうち上方の1m分については、工事の途中で車線切り替えに使用し、廃棄処分予定であった仮設ガードレールを3段重ねして使用することとした。(写真-3)これも工事費縮減の一貫の策であり、われわれ若手技術者の発案が採用されたものであった。


図-6 風洞実験結果

写真-3 耐風安定性対策

アプローチ高架橋

 アプローチ高架橋の一般部は近接施工となるものの、既設橋と干渉せずにどうにか施工することができる。しかし、アンカレッジに架かる第一径間部については、今まで2車線の橋梁が座っていたアンカレッジ上のスペースに新設橋を割り込ませる必要があることから、図-7に示すように複雑な施工手順を踏まなければならなかった。戸畑側を例に紹介すると、①既設橋片側の張り出し床版をカットする。②新設橋の位置に仮橋を架設する。③交通を仮橋側に切り回し既設橋を撤去する。④既設橋側の新しい線形位置に新設橋を架設する。⑤再び交通を既設側に戻す。⑥新設位置に、一旦撤去していた既設橋を工場で改造し再架設するといった具合となる。なお、②で架設した仮橋は、使用後別の径間の新設橋として再使用する。これも工事費縮減のひとつの手段である。


図‐7 戸畑側高架橋第一径間の施工手順

 その他のアプローチ高架橋の技術的な特徴として、基礎杭の近接施工(オールケーシング全周回転工法+動態観測施工)が挙げられるが、ここでは説明は省略する。

交通規制

 拡幅工事開始以前の若戸大橋は、交通量が36,000台/日にもおよび、特に朝夕のラッシュ時には著しい交通渋滞に悩まされていた。このような状況の中で工事期間といえども全面交通止めを行うことは、北九州市民の生活、経済活動に大きな影響を与えるため、到底理解が得られるものではなかった。そこで、片側交互交通規制を原則として、詳細な設計検討、綿密な施工計画を策定し交通規制を極力減らすために大型施工設備を導入したが、以下の作業時には数分~10分程度の交通規制が必要となった。
  ① 門型クレーンの設置、撤去時
  ② 撤去RC床版の車道上横断時
  ③ 鋼床版の車道上横断時
  ④ 工事進捗に合わせた車線切り替え時
 また、工事の進捗に伴う車線切り替えも検討を重ねできるだけ回数を抑えたが、若戸大橋の4車線化工事での車線切り替えは合計12回におよんだ。なお、車線切り替えに当たっては、交通安全のため事前にラジオ、チラシ等を活用して広報にも力を注いだ。お知らせのチラシやポスターを、一戸一戸お願いをしながら配って歩いたのを思い出す。
 現在、全国で本格化している架け替えや床版取り替えなどの大規模更新・修繕事業についても、道路ユーザーや近隣の方々の理解を得て十分な施工環境を整えることが、耐久性のある構造物を構築するために極めて重要となる。

おわりに

 4車線化の施行前に36,000台/日であった交通量は10年後には、47,000台/日にも増加しており、朝夕のピーク時には再び渋滞が慢性化するようになった。このため、現在では沈埋トンネル構造の若戸トンネルが洞海湾の湾口側に建設されている。いずれにしても、当時我が国の橋梁技術を駆使して建設された若戸大橋が4車線にパワーアップし、北九州地域の大動脈として、その誕生から55年経った現在も活躍していることに感動を覚える。 
 若戸大橋の4車線化事業は、当時の日本道路公団で最も過酷な現場のひとつであった。時間がないからと十分な計画も立てず突き進むと、途中で行き詰ることとなり事業の遂行が危うくなる。困難な事業ほど“急がば回れ”マネジメントがきわめて大切となる。事業全体の着地点を見極めて、設計条件、施工条件、必要な技術開発の大枠を決め、それに合わせて限られた人財を適切に配置することの重要性をこの現場に勉強させてもらった。冒頭でもふれたが、構造物の劣化による大規模更新・修繕事業も技術的にも施工条件的にも様々な難問が立ちはだかると思われるが、発注者、施工会社が一体となって乗り切っていきましょう!
 余談ではあるが、筆者が4車線化工事に携わっていた時、戸畑側のアンカレッジの中に建設当時の資料が入った古ぼけたスチールロッカーがあった。その中に吊り橋ではなく、斜張橋案の完成予想図を発見し驚いたことを今、懐かしく思い出した。あの完成予想図は今どこにあるのでしょう。(もらっておけばよかった。)

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