道路構造物ジャーナルNET

第96回 災害対応

民間と行政、双方の間から見えるもの

植野インフラマネジメントオフィス 代表
一般社団法人国際建造物保全技術協会 理事長

植野 芳彦

公開日:2024.01.19

1.はじめに

 今これを書いている途中で、北陸で大きな地震が発生。亡くなった方々、被害を受けられた方々には、心から哀悼の意を示します。

 耐震は大丈夫かと年末に話していたところだった。老朽化と耐震は別物ではあるが密接に関係する。国土強靭化とは言っているが、わかって言っているのだろうか?さんざん富山に居るときは耐震の話をすると「市民に不安を与える。富山は立山に守られているから大丈夫だ。」と言う方が多かった。耐震性の悪さを指摘するなとも言われた。しかし、どうだろうか・・・・。

 2024年1月1日、能登半島を震源とするM7.6の地震(令和6年能登半島地震)が発生し、石川県を中心に広い範囲で地震被害が報告されている。今回は能登の珠洲市で震度7、富山では5強、小山市では3であったが、今回の揺れは、東日本大震災を思い起こさせられた。あの時は緊急地震速報よりも早く、猫のミーが気づいて、「どうする?」と顔をみてきたので、玄関を開けてすぐ外に出た。小山は6弱であった。家は壊れるかと思うほど東西にゆがんで揺れていた。電線は、シャンシャンシャンとなり、庭の石灯篭が崩れて飛んできた。正月早々、嫌なニュースである。


橋台に入ったクラック/道路の液状化(いずれも著者提供、富山市内で撮影、以下注釈なきは同)

段差/伸縮付近の損傷

 昨年は、どうも政治の混迷で終わった。何をいまさら言っているのか?あんな話は何十年前から出てたのに、誰もまともに追及しなかった。それは、我々の世界にもある。先月、JICAの研修をしていて、雑談で東南アジアの国々の方に言われたのだが、いわゆる発展途上国において、「日本に造ってもらったものは50年もつかもたないか?だが、欧米の国々で作ってもらったものは100年たっても使える。これはなぜだと思うか?」という質問があった。これには皮肉もあると思う。なぜだと思いますか?

 私が言ったのは、そもそもの設計思想の違いだろう。日本ではイニシャルを安く抑える設計思想が善だと思われている。しかし、欧米は長持ちするトータルで考えるのが善。この違いではないだろうか?インフラ・メンテナンスにおいて、この設計思想の違いが今後大きなリスクとなるだろう。

 また、富山市職員、その他被災された地域の職員の方々、ご苦労様です。たぶん長期戦になるでしょうが、お体に気を付けて、頑張ってください。あなた方は、地域の守護神です。

2.災害対応

 老朽化対策と耐震対策等を含めたリスク対策は、それぞれ異なるように感じられるが、実は「リスクマネジメント」としては、同様の物である。起きるかどうかわからない、災害へのリスク。そして経年劣化によるリスク。これらを複合的に考えるのがインフラ・マネジメントであると考える。さらには、これを考えなるべく防ぐのが、土木技術者の役割であると考えるのだが、なかなかそれを教えるところはない。

 「国土強靭化」と言われて来たが、我が国の国土は非常にリスキーである。いたるところに活断層が走っており、今回の地震もそうであるが「未知の活断層」などと言う物も多々ある。詳しい解説は、それぞれの専門家の方に任せるとして、管理者としてどう対処すべきかの考えを述べさせていただく。

 富山市に居る時に、架け替えが必要な橋梁に対し「耐震性」の話を出すと「市民が不安に思う」と言うことを言われた。これは「なるほどな? 公務員としては市民の不安をあおってはいけない」とも感じたが、「富山は立山に守られている」と言うことに対しては反発した。「何を宗教的なことを言っているんだ。立山教? か、宗教は本当に人間を守ってくれるのか」と感じた。そんなことで、市民を守れるわけはない。なるほど、今回は富山の方々においては、未経験の震度5強であったようであるが、幸いにも被害は小規模である。しかし、歴史的に見れば、150年ほど前にも来ているのである。

 ということで、私が感じたのは、「これは耐震に関しては、かなり遅れているな。」と言うことであった。管理する橋梁などの現場に行くたびに、当該橋梁はもちろん、県や国の作ったものを見ていると、どうも、おかしなものがある。そもそもが耐震設計を満たしていないと思われるもの。耐震補強はしてあるものの無意味なものも多い。つまり、そもそもが作った時から、おかしなもの、さらには大使補強が無意味だったり、意味のないもの、まであるのでは?という疑念を抱いた。

 耐震設計に関しては、今からでは、30年ほど前になるが阪神大震災発生時に、「道路橋震災対策委員会」を担当した。当時35歳だった。発生後2か月で「復旧仕様」その後1年で「道路橋示方書改定」と非常にタイトなスケジュールであり、文字通り多くの方々が不眠不休で、これに当たった。当時関係した方々はそれぞれ偉くなり、もう現役も引退されている方が多いが。非常に大変であった。大変であったというよりも死ぬかと思った。しかし、この時のことが今回も被害を少なくしている、1要因ではある。

 昨年末に、複数の方に「緊急輸送路などの耐震化は大丈夫なんだろうか?」との質問を受けた。私は、皮肉を込めて「緊急輸送路に関しては緊急3か年計画などで、とっくに対処されているんではないですか? そのはずですよ。実際にはできてないと思いますが」と答えた。阪神大震災から30年以上経過しその後、東日本大震災や熊本地震が発生している。震災直後は、大騒ぎをして、現地に皆さん入っていく。しかし、どうも、だんだん薄れてしまう。

 阪神大震災を担当したときに、実は私はしばらく調整や対応で自分自身は、現場に行きたかったが、行く暇がなかった。少々時間が経過してから、内緒で、1泊2日で現地を見てきた。あくまで内緒である。とてもとても、現地に出張している時間的余裕がなかった。毎日毎日、執務室のいすを並べて寝ていた。疲労がたまってきて、精神的にイライラ常にしていた。「地震とか耐震」と言う言葉を聞くだけで腹が立った。どうしたら、疲労が取れるか仮眠する場所を事務所の中で探した。更衣室の長ベンチ、会議室の机の上、床の上、応接室のソファーの上・・・・等。結果、あかせない場所のソファーが一番寝心地が良かったのを覚えている(笑い)。結果私は2時被災者であり、その後地震が起きるたびに、恐怖を感じる。またああいう生活がくるかもしれない?と言うトラウマ。さすがに、今やれと言われると、もう体力的に持たない。辛いが、笑い話にはなる。この時の話で、ある上司が、「植野さん、体は大丈夫か?家庭は大丈夫か?」と心配してくださった。これには感激した、「ちゃんと見てくれている人が居る」と言うことは頑張れる要素になる。今の世の中、「働き方改革」とか言っているが、ちゃんと部下のことを見ている上司を育てることが重要なのではないだろうか? 足下には及ばないが、私もそういう上司になろうと思った(今となっては、それもできないが)。

 蛇足ついでに、この後、H8道示を出した後に、本省や国総研、地整の代表方々と、耐震設計の解説書を造ろうということになり、作成した。ある方が、「サルでもわかる耐震設計マニュアル」にしよう。と言い出してわかりやすい解説版を作ったわけであるが、ほとんど知られていない。当時、国交省の職員には配布された。ある講演を行った時に、この話をすると、前の方に座った方が、取り出して、「これですよね。これ」と言ってくれたことが数度あった。うれしい限りである。本来もっと活用されるべきである。世の中どうも、難しいことを言ったほうが評価されるようである。耐震設計を本当に理解している人間はどれだけいるのだろうか?

 ここで、言っておきたいのは、耐震設計の検討においても、様々な形で行われており、多くの方がかかわっている。それが世の中の安全安心そして、災害の最小化に役立っている。やった感を出したい方も居るだろうが、それもそれで、一般の方々やマスコミの興味引くためには必要である。難しい理論も必要であるが、優しく優しく解説するということも重要であり、特に技術者が居ないと言われる自治体には必要だと思う。私のような馬鹿者にはさらに重要である。

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