道路構造物ジャーナルNET

第94回 最終的な答えは当事者がその責任において決断しなければならない

民間と行政、双方の間から見えるもの

植野インフラマネジメントオフィス 代表
一般社団法人国際建造物保全技術協会 理事長

植野 芳彦

公開日:2023.11.16

3.“橋梁マネジメント・カンファレンス”と言う仕組み

 インフラ・マネジメントを実行していると、いろいろな壁につきあたる。これを解決していくのがマネジャーの仕事である。マネジメントと言うと、一般的には“管理”と訳されるが、私は「なんとかすること。」だと考えてきた。世の中では、いろいろ高度な難しいことを言う方々がいるが、それは俗な言い方をすれば「商売的な意見」である。各自や各社の“商売”の権威付けとしてそれは貴重なものであることは間違いないが、しかし、現場、実社会では、何らかの形で実行していかなければならない。実行していくためにはどうすればよいのかのほうが、重要である。様々な、仕組みや、技術を組み合わせて、実行していくのがマネジメントである。そういう意味では、役所やゼネコンの方々のほうが実績があることになる。単発の技術を自慢していても始まらない。いわゆる、技術や人、カネの“運用”が重要である。ここが日本人が苦手な部分なのではないだろうか? 運用を間違えば、成果が上がらないばかりか、実現が難しくなる。そういうじれはいくらでもある。

 マネジメントの理論は、合理的であり学問的に進んでいると感じているが、では実戦でどう使うか? である。実践で使えなければ意味がない。いくら能書きを言っても人は動かない。この辺が難しい。昔、新人の頃に上司から「土木は実学だ。虚業が流行っている(ある意味コンサルを揶揄した言葉)が、実際に物を作れなければ何にもならない。」と教わった。これは私が“裏設計”のバカらしさを問うた時の答えであった。だから、お前は頑張れということであったと理解している。

 最近の方々は、「実施する」と言うことを忘れている方々が多い。理論とは違い実施していくには工夫も戦略も必要である。富山市においては、「橋梁マネージメント・カンファレンス」と言う仕組みを作った。「富山市橋梁マネジメント基本計画」の、戦術の1項目である。これを毎年、1回は実施している。職員の負担もあるが、本来の目的は、第三者の専門家のアドバイスをいただき、その後に活かすことである。これによって説明責任を果たす材料が、できることが重要である。つまり、職員の、負担も下げることを狙った戦略思考である。

 先日話していると、職員がどこまで理解しているは別として、さすが先生方は理解してくださっている。職員は・・・と書いたが、他の方々の理解は無理であるということは想定済みである。先生方からは、「案件数を考えると、もっと回数を増やした方が良い」と言うご意見もいただいている。


橋梁マネージメント・カンファレンス

 その内容としては、毎年発生する特に大きな課題に関して、3人の専門家の先生方に、現場も見ていただきながらご意見をいただき議論をするということである。このカンファレンスを行うにあたり、インフラのマネジメントを行っていくうえで、大きな判断材料となる2つの項目に関する、専門家の先生方を招聘している。インフラの考え方として「社会的性質」に関する専門家としては大阪市立大学の佐野先生。「技術的性質」の専門家としては、金沢大学の深田先生と金沢工業大学の宮里先生からご意見を伺うことにしている。


社会的性質による評価

 これは、「橋梁トリアージ」の基本的考え方に合わせた評価項目である。ご意見もそういう方向でいただいている。ここで重要なのは、必ず説明だけではなく現場も見ていただくということである。実際の状況を目と耳と肌で感じていただきながら、ご意見をいただく。土木の最も重要な部分である。これは私が良く言う言葉であるが「現場を見れば匂いで分かる。」それなりの場数を踏んでいれば、1件下だけでも、なんとなく肌で理解でき、何か怪しいなと感じれば、そのあと詳細に見て行けばよいのである。これは、維持管理においては重要なことなのだが。

 この制度によって職員の議会対応や、住民説明の責任の負担軽減を行うことができると考えている。どうしても、議会では、地域住民等の利害関係者、当事者の意見が表立ってしまい冷静な判断ができない状況となることが想定できる。つまり無駄や利害が意見を左右し、合理的な判断、適正な判断がないがしろにされていく結果になりかねないのを、第三者の冷静な判断、意見としてお聞きしておくことにより、職員、当局としての判断を冷静に構築できるということを考えた制度である。

 世の中に、「正解値」を導き出すことは難しい。我が国においては「民主主義」と言いながら、声の大きい方々の意見が通ってしまい利害のある方々の意見が重要視されていく傾向にある。これは日本と言う国内における、ゆがんだ民主主義の結果であり、地方に行けば地方に行くほど難しい問題である。

 多くの方々は、専門家に相談すると回答が得られると、勘違いしている方々が多い。それが昔からかえって問題を引き起こしてきた。ちゃんと心得ている方々は、回答する側は、あくまでアドバイスとして、ヒントや参考意見を述べている。実は私もそうである。相談する側はというと、回答をえたい。判断もしてもらいたいという方々が多い。しかしこれは間違いである。期待外れとなるかもしれないが、相談する側は、答えを求めるのではなくて判断の材料を提示してもらうのが正しい。そこが世の中全般の間違いである。

 昔から、有力な武将は、軍師に相談し意見をもらうが最後の決断は自分でしてきた。軍師の判断とは真逆のことを実行する場合もあった。なので、決断は当事者が行うべきである。その当事者の長が行うべきなのである。決断には責任が伴うからである。なので、この「マネジメント・カンファレンス」についても、先生方に責任が及ばないように配慮している。これがわからない方々は、マネジメントすべきではなくマネージャーや“長”と名の付く職につくべきではない。

 先生方にはお忙しい中、カンファレンスに参加いただき、貴重な意見をいただいたことを感謝いたします。またこれは、多くの職員に同席してもらっているので、勉強になると思っている。これも、橋梁等のインフラ・マネジメントにおける一貫のマネジメントシステムなのである。富山市は、トリアージだけではないことを、ご理解いただけるであろうか? トータルのインフラ戦略なのである。

 しかし、実際には職員においても、先生方やコンサルに相談すれば答えが得られると思っているきらいがある。ましてや、上位官庁や土木研究所などに相談すれば回答が得られると思っているとすれば、それは考え違いである。参考意見や考え方過去の事例などの参考意見はうかがえるが、最終的な答えは当事者がその責任において決断しなければならない事項なのである。そして、当局は、当局としての考え方を示すのであって、最終判断は議会の承認や市長に委ねられることになる。これは昔も今も変わらない。

 何かあるといかにも当局の責任のような伝えられ方が横行しているがそうではなく、判断を下せる者に責任があるのである。私がそういう立場に居れば、私の責任となるが、当時も今もそういう立場にはない。意見を述べ判断を仰ぐのみである。職員もみなそうである。財政が理由となり、やるべきことができないのは、そのような判断があるからであり、それは国ならば国会、地方ならば地方議会で決められる予算が大きく影響する。

4.まとめ

 維持管理、インフラのマネジメントを行うということは、単発の作業だけやればよいというものでは無い。トータル的に考えて、全体の仕組みの中で、自分たちは、どう動けばよいかを考えないと、有効な対処はできない。ここのところを皆さん勘違いしている。マスコミや一部のコンサル、民間企業がそう考えるのは仕方がない実情がわからないからである。しかし、管理者の皆さんはここを考えないと、とんでもないことになっていく。いわゆる、トータルマネジメントなのである。

 「新技術の導入」を考えるにしても、1つにこだわりすぎると失敗する。これははっきり言っておく。すべてが網羅できる新技術は無い。複数の技術を重ね合わせて、実行しなければできないのである。これも世の中が違っている。日本人は昔から、何か性能の優れている、良いと言われる技術や物が出てくると、それに固執して失敗する。負ける。本来は運用が大事であり、(技術の)組み合わせも重要となることを忘れてしまう。これは、新技術、新技術、マネジメント、マネジメントと言いながら実際がわかっていない証拠である。結局現在は、実行者の時代ではなく、机上論者の時代なのであろう。

 何かあるとすぐにマニュアルを造ろうとする。学会でも研究会でも「マニュアル、マニュアル」となっていくが、そうなのだろうか? マニュアルの究極の形が「標準設計」であったが、それを否定した方々が、マニュアル、マニュアルと言っているのを見ると、私は滑稽に見えてしまう。目的は何なのか? マニュアルを作って実行はできるのか? マニュアルを作ることが目的となり実行がおろそかになる。本来は積算まで考えてもらわないと意味がない。まあ、この積算と言う行為自体にも問題はあるが、いまさら言ってもしかたがないであろう。

 さらには、物事の伝達である。結局、伝言ゲームで、末端まで届く過程で、ミスリードされてしまいかねない。ミスリードを権力のある方がやると厄介である。結局はうまくいかないばかりか、失敗する。特にマネジメントはそうなのではないだろうか?様々な自治体の方々と話していて、「うちは何々をやってます。」と言うところと「うちは、いろいろ試してみてます。」と言うところがある。これでどちらが正しいのかと言うと後者である。日本人は、なにか、「これはすごい」と言うのを求めがちである。一つの物、一人の人間をたたえがちだがそうではない。前述したが、答えがすぐ出るわけではなく、すぐ出せる人間もいないのが現実である。ただ、様々な知識や実行力をもって考えて試している人たちはいるので、そういう方々に聞けばよい。

 さらに、一部のマスコミの評価に惑わされてはいけない。彼らの仕事は事実を伝えることである。がどうしてもスポンサーには忖度し、最近は個人の意見、思想が入ってしまっている。ただ、世間受けするから、一般受けするからという記述には気を付けないと効果が無く無駄となり、ひいては事故を起こす。彼らは専門家ではない。何かの媒体で、それを多くの人々に伝えるのが仕事なわけである。まあ、この道路構造物ジャーナルも様々なことを言う人たちが居るが、記者の方々は多くの専門的現場を見て、多くの方々の意見を聞いてきているので、他よりもましなのではないか? 一般的なマスコミが責任をとれるかと言うと取らない。取れない。一般受けしそうなことを探して、取り上げているだけであり深いところは考えられていない。

 何よりも様々な工夫を実行するのは我々であるが、何せ問題は予算である。予算が無ければ何もできない。各種シュミュレーションを実施しながら、実行可能な、さらに言ってしまえばできるだけの措置を実行しているのが現状である。「予防保全」や「長寿命化」ときれいごとはもはや通用しないことは、多くの維持管理に、かかわる方々が感じているのも事実である。何も感じていないのは何も考えていないからである。「予防保全」や「長寿命化」は、潤沢な予算があって初めて実現可能となる。
最近、自治体の担当の方々と個別に話すと結構多くの方が、インフラ・マネジメントの考え方を理解されているのはうれしい。意外と民間側がずれている。これは危険だ。そしてそれが自分たちで理解できていない。

「予防保全」や「長寿命化」は、潤沢な予算があって初めて実現可能となる

 危うい状況である。若手は理解できていて上の方は理解できていない。

ご広告掲載についてはこちら

お問い合わせ
当サイト・弊社に関するお問い合わせ、
また更新メール登録会員のお申し込みも下記フォームよりお願い致します
お問い合わせフォーム