道路構造物ジャーナルNET

第91回 エンジニアとして生きる

民間と行政、双方の間から見えるもの

植野インフラマネジメントオフィス 代表
一般社団法人国際建造物保全技術協会 理事長

植野 芳彦

公開日:2023.08.16

4.エンジニアという世界

 結局は、自分がどうなりたいかで道筋は変わる。同じエンジニアでも様々な道がある。それはそれで楽しい世界である。何も一つにこだわる必要はない。その道は、自分で選べばよい。民間で純粋に実務家として、生きていくのか? 研究者や学者になるのか? 技術官僚になるのか? 自治体でインハウスエンジニアとなっていくのか? これによって人生の戦略も変わってくる。
 私は最初、橋梁メーカーにいて、モノづくりの面白さを感じていたが、コンサルの存在が気になり、コンサルに行ったが、それまでのシステム開発の経験が災いして(?)、標準設計の世界に入れられてしまった。これが30代であった。標準設計の世界に入ると、華々しい1件設計やデザインなどといった世界とは違う設計の基本の世界である。構造や安全性、合理性や生産性の向上に配慮しなければならず、基準的意味合いを持つ華々しい世界はあきらめた。自分自身やっていて決して面白くはなかった、数万ケースの試設計を行い、ひたすら合理性を求めていく。技術者としたら、面白くはない。しかし、世の中のためになるんだと鼓舞して標準設計、設計の合理化と取り組んできた。
 しかし、良く悪口を言われるが、標準設計はデザイン性を考えていないわけではない。コスト高だという方もいるがそういうわけではない。コストも評価しており、逆に1件設計よりも合理的である。大蔵省や会計検査院にも説明を行い、問題はないはずである。逆にデザイン設計や他の1件設計のほうがコストは上がるはずである。何よりも道路橋示方書を補完する役割があった。しかし、前にも書いたがそれを捨てた人たちがいた。大したものだ。その結果が今の世の中である。良く設計の思想がわかっていない者がいる。配筋方法もわからない者ができてしまった。これから先が不安である。
 もともと優秀でなかったから標準設計をやり、数多く構造物を設計している。施工のことも考えている。標準設計では数万ケース、鋼橋の積算改定時には数千ケースの設計を行っている。そしてもともと、メーカーにいたので、細部構造は気になる。標準設計や自動設計の図面化を考える際には、すごく気にした。メーカーの生産管理部にいた時には鋼橋の溶接なども学ばせてもらった。また、現場での応急補修法や、手直し法。工事部にいた時には、実際の現場の大変さも実感した。それが後々役に立ったし、現在、維持管理を考えるうえでも、役に立っている。昔は職人といえる人たちが高度な技術を持っていて、それを教えてもらえた。職人技はすごい。
 技術者を教育しようなんていうのは、おこがましい。ある程度までは教育できるかもしれないが、ある所から先は、自分自身である。また、これを書くと、問題かもしれないが、「働き方改革」ということが言われている。これに関して、逆らう気はないが、そもそも働き方というものは個人が決めるものである。自分のキャリア形成に向かいどうしていくのが最良か? を決めるのはそもそもが個人のはず。ここまで、制御されるとおそらく、もはや技術立国は程遠くなってしまったのではないだろうか?

5.まとめ

 先月も、講演ラッシュであった。話しながら、相手の様子を見るのは楽しいものである。そして、そこの状況が良くわかる。中にはふてくされて聞いている者がいるのも見受けるがそういう方は、来なければよい。印象を悪くするだけだ。あとは権威に弱い方々。逆に「お前より俺のほうが上だ」と言いたくて仕方がない方もいる。「ハイハイ、そうでございますよ。あなたは偉い」。おおむね役所の方々は真面目である。講演をどう聞くか、講師の権威だけで満足するのか? 真実を話してくれるものが価値があるのか? 判断は自分自身である。
 問題なのは、コンサルからの提案を真に受けてそれを安易に採用してしまうことだ。これはまずいだろうと思うのだがそうでもないらしい。これは富山市でもいえる。私の意見よりもコンサルの意見を聞いてしまう。まあ、これは私に信頼がないからだろうが、ならば私はいらないはずである。そのうちに、リスクを取らされる時代が必ず来る。その時に備えてほしい。ましてや、わかったふりは、その場はかっこよいが、自分の技術者魂はどうなってしまうのか? 残念ではないのか?

 最近の話題とすればやはり新技術の導入ではないだろうか? しかしこれが、インハウスエンジニアの方々の腰が重いのは、判断できないからである。コンサルの言いなりで、やっていくのは最悪である。自分で考え自分の度量で決定していかなければ意味がない。本来は失敗しても良いのだが、どうも、その辺が気になるらしい。新設でも維持管理でも、ただ安易にコンサルの提案に乗ってしまうと、先はない。新設と維持管理は違う。新設の状態には戻りっこない。これがわかっていない人たちがいる。また、維持管理はインハウスの責任でやらなければいけない。決めるということは責任が付きまとうということを肝に銘じてほしい。
 新設は減ってはいるがまだまだある。ここで、橋梁の形式選定が、なんかおかしい。やはり実際のものがわからないのだろう。図面ではなく現場でどうなるのか? これが想像できないと技術者とは言い難いが、どうも最近はそうではないらしい。
 地方にコンクリート橋やPC橋が多いのも、メタルに詳しいコンサルが少ないからだと感じている。当然、メタルの適用スパンなのに無理してPCにしてバカでかい基礎を作っている。そして、新設時から維持管理性を考えないと将来大変なことになる。このことがどうもわからないようだ。一見無駄に思える架設時の防護工であるが、これは安全のために必要なのだが、中々これも理解されない。
 例として、最近完成した、いろいろ問題のあった吊り橋であるが、ちょうど私は退職の時期に当たり最後のほうが良く見れていない。個人的には非常に残念なのだが、全体の講評は避ける。いずれ聞きたい方には教える。1点、大きく変えたのが、防護工である。設計当初は小さい物しか想定していなかったが、施工箇所が道路の上であることなどから、大きな防護工にした。
 2016年4月22日に、建設中の新名神高速道路の工事現場で、 橋桁が落下し、 建設作業員10名が死傷した事故により、かなり厳しい防護工の基準が出されたからである(また最近、事故が起きたのでまた厳しくなるだろう)。しかし、失敗はなかなかなくならない。いつ自分に降りかかってくるかである。施工業者と相談し、かなり大規模な防護工を設置した。


最近完成した吊り橋


防護工の設置。下は拡大図

 維持管理で、補修がなかなか進まない。ここで本来、脚光を浴びるはずの、モニタリング(監視)であるが、これもなかなか出てこない。なぜか、モニタリングシステムの知識がコンサルにあまりないからである(一部の企業は熱心であるが)。恐らく今後はこれを有効に使用していかないと乗り切れない。センサーや通信システムに精通した技術者も維持管理には必要になってくる。


モニタリングシステムのセンサーの設置状況①(現場実証)

モニタリングシステムのセンサーの設置状況②

 さらに、非破壊検査技術の活用が重要だが、これも提案すらない。これに関しても、知識がないからである。まあ、表面のひび割れを拾って喜んでいるうちは無理だろう。本来、老朽化の診断を行うには、破断面や損傷を見極める、よほどの知見を持っているか、複数の有効な技術を駆使して見極めていくのかのどちらかである。うわべの、ひび割れで四苦八苦しているようでは、とてもとても皆さんが言う予防保全は無理であろう。この辺のことはいずれ書く。

 世の中には多くの役割分担が存在し、それがうまく組み合わさってよい仕事ができる。それらをまとめるのが得意な人もいるし、逆に壊してしまう人もいる。いずれにしても素直に修行し、育ってほしい。この国は昔からエンジニアを粗末にしてきた。そのくせ「技術立国」とか言う。おかしな話だ。
 ITやシステム技術者の希望は多いようである。こちらの世界は、天才的才能がものをいう。デザインの世界もそうである。才能が経験値を上回るのだと思う。役割分担は重要であり、役割分担を明確にしないと合理化はできないし、生産性は上がらない。「下請け」と言われてきた人たちも「専門業者」としての、得意な分野の技術力は、素晴らしいものがあることを忘れてはいけない。この人たちがいなければ成り立たない部分もある。
 さあ、若手技術者の皆さん、自分は何をやって、どうなりたいのか? 考えてみてください。いずれにしても長い道のりで、その中で助けとなるのは師匠であり人脈である。あとは、焦らず失敗を重ねながら精進してほしい。
(次回は9月中旬に掲載予定です)

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