道路構造物ジャーナルNET

第91回 エンジニアとして生きる

民間と行政、双方の間から見えるもの

植野インフラマネジメントオフィス 代表
一般社団法人国際建造物保全技術協会 理事長

植野 芳彦

公開日:2023.08.16

1.はじめに

 暑い日が続いています。台風、豪雨災害も発生し、被災された方にはお見舞い申し上げます。また台風が近づいています。お気を付けください。
 前回まで2回技術者論を書いたが、あくまで植野の考えです。考えの違う方も多いだろう。それはそれで構わないし、どうぞ自分のやり方でやってください。要は若者をどう育てるか? 育ってもらうかだ。土木技術者は一朝一夕には育たない。
 78度目の終戦の日が来た。亡くなられた方々には哀悼の意を表したい。しかし、この時もそうだったが、真実が語られない。パイロットの養成には、時間が必要だった。一人前とは言えないうちに消耗戦に参加させられ、多くの方が命を亡くした。それと似たようなことを未だにやっている。今は、命は奪われないが、つくづく情けない。
 昔よりも自由はあるので、技術者、エンジニアとしての、育成やキャリアアップをどうするのかを、自分自身で考えて実行していくことが重要である。自分の目指すものに近づくためにどうすればよいのか? これは切実な問題である。私の経験から言うと、他人をあてにしてもどうにもならない、しかし、師匠を持つことは良いことである。転職すればキャリアアップになるのではない。前職の経験を次に活かし、何をどうやって行っていくかだ。

2.プロか? アマチュアか?

 プロとアマの違いは何か? プロはお金をもらって依頼された仕事をする。ただしそこには責任がある。仕事は、こなせばよいというものではない。本来、確実に実行しなければならない。
 最近気になったのが、橋梁の事故とビッグモーターの件である。詳細の情報がないのであくまで感触であるが、橋梁の事故は、多くが架設時に起きる。これで、他人事の様に考えている、コンサルさん、あなた方の架設計画がきちんとできていないのがそもそもの、大きな原因かもしれませんよ。
 これも本来は「参考図だから」、実際の施工時に詳細な検討を加え架設計画書をきっちり整備して、構造面・安全面を精査して、最悪、事故のないように実施する。しかし、よく理解できていない役所は、これが正解だと思い込んでいる。発注してしまい、実際の工事の時にも、変更させない場合も出てくる。つまり「参考図」がいつの間にか、「正式図面」になっていたりする。つまり、情報の伝達がうまく行っていない。
 橋梁点検のマネジメントサイクルを回すと良く言われるが、大局的に土木工事を考えれば「情報のサイクルを回す」だ。これが下手なのが日本という国。そして、土木技術者。


情報のサイクルを回す

 役所が設計結果を吟味して、コンサルから受けっとった段階で、それは役所のものなのであるが、この時、申し送り事項などでしっかり「施工に関しては施工業者と、十分吟味して施工法などを決定する」としておけば問題も少ないが、そうでもない。やはり、我々土木の世界は「製作架設する場合の問題が一番大きい」。
 ここでも、コンサルの成果の問題と、それを受け取って次に施工につないでいかなければならない役所の役割は大きい。役割とは、「理解できているかどうか? と次工程にきちんとつなげる力が有るか?」である。だから土木技術者は実績、経験が重要なのである。生兵法は事故を生む。
 しかし、期待は薄い。ここが、日本の大きな問題だと私は思う。まず新設時に、「設計・施工分離の原則」がある。このため、どうしても作業の遮断が起きる。データの遮断も起きてしまう。実は設計という行為はさほど高度な技術力を有するわけではない。こう言うと、異論が出るだろうが、特殊な場合を除きほとんどの場合は、そうである。設計という行為は、完成時を考慮して、計算などで根拠をつけることと、施工の可能性や手順などを分かるようにしたものであるはずである。あくまで、架空の世界。
 しかし、施工は間違った場合、大きな問題が出てくる。さらには、構造物などを計画通り、完成させなければならない。そして、将来の運用維持管理を安全にまっとうさせなければならない。現実の世界なのである。
 まあ、こういった行為を、まとめあげるのがマネージャーであるべき役所の仕事である。プロとプロの役割分担をまとめていかねばならない。マネージャーとして通用するためには、幅広い知識とバランス感覚が必要となる。
 究極の話、設計の不備は重大なミスでなければどうにでもなる。施工のほうが困難で重要だ。ここのところが現在は、ないがしろにされているのではないか? 維持管理をやっていると特に感じる。先ずは、しっかりしたものを構築すること。これが維持管理上も災害に対しても重要である。そして適切な維持管理である。
 ここでは、点検は第一歩であり、点検で終わりではない。その後の、メンテナンスが重要であることは皆さん、お分かりだと思う。どういう材料でどのように補修するのか? この選定に技術力や経験を要する。補修を行っても、構築時の状態に戻せることはほとんどない。あくまで、「補修」であるので、100%の回復は期待できない。現在のように、ちまちまとひび割れ注入を行っても効果は限られる。防水層も100%ではなく、どこかから漏れる場合が多い。根本的に直すのは非常に難しい。それをどう評価するかということも今後重要になる。

3.新たな時代に対応できる、インハウスエンジニアはすぐには育たない

 インハウスエンジニアに関して、本当は一番書きたいところだが、問題が多い。かつて、数年前に「土木学会の委員会の中で審議したいので、インハウスエンジニアの教育に関して、富山市の事例を入れて書いてくれ」という依頼があり、提出したがそれっきりだった。まあ、私の稚拙な文章がダメだったんだろうと思う。
 しかし、自治体のインハウスエンジニアに関して議論する際に、国の方と大学の先生と民間大手企業で議論しても実態は分からないだろう。自分で経験してみないと分からない。「自治体の実態が分からない」ともよく聞く。当たり前である。実際に入り込んで経験していないのだから、分かるはずがない。わざわざ見に(視察と言うのか?)行っても、うわべの話しか分からない。公式に訪問すれば、飾った報告になるというのは、当たり前のことである。実態はどろくさいものである。さらに、自治体の隠蔽体質がある。だから実態など、分かろうはずがない。
 だから、昔から水戸黄門式のやり方が実態をあぶりだすのには有効である。二宮尊徳もしかり、相手の身分が低いと思うと思わぬ実態をさらけ出す。これが実態なのだ。大名視察してもなかなか実態はつかみにくい。予算が十分にある方々には、わかりづらいこともある。
 インハウスエンジニアには、民間のエンジニア以上に責任が伴う。これをまず理解しなければならない。さらに使命感も必要だ。この辺は富山で見てきて、優秀ですごいと思う。他の自治体でもそうだろう。1人1人は、もともとが優秀なのだ。ただ、エンジニアの教育を、役所に入ってからあまり受けられないできているから専門知識に欠け、力学や構造の基本的考え方すら知らない者がいる。
 最近、様々な事項をひとつの業務に入れなければならない。これを采配するのはマネージャーの仕事だが、1人ですべてができるはずはない。この辺をわきまえられているのかが、プロの素養だろう。最近はめっきり、プロが減った。責任感がない。なぜ自分の会社に、仕事が来ているのか分かっていない人たちがいる。もっとも発注しているほうの意識もそうだ。何のために仕事を発注しているのか?
 ここで、よくある大きな間違いの第一が、仕事というものは、特殊なもの以外、ほとんどの場合が企業に出している。個人に出しているわけではない。組織として責任を取らなければならないのだが、それができない企業がいつのころからか増えてしまった。発注者は、発注した仕事の目的が果たされなければ、お金を払う必要はない(極端な話)。要求した業務が全うできなければ、減額されても仕方がないと私は思う。
 お金は市民から出ているということを考えなければならない。変なことを考えないで、必要なものは必要だと堂々と言い、要らないものはいらない、使えないものは使わない。こういう心構えが重要である。
 ましてや、アマチュアが口を出してきても、何の変化もない。意外と、クレーム等に弱いのが役所であるが、内容は真摯に聞く必要があるが、専門的な問題に関しては専門家が対処すべき事項である。この辺は過剰に気に掛ける必要はない。
 インハウスエンジニアは昔以上に、つまらないところに(これを言うと怒られるが)気を付けて、気にして仕事をしているので、大変だと思う。私の苦手な部分ではある。失敗してはいけないという恐怖感や、なんでも知っていなければ業者に馬鹿にされるというプライドもあるだろう。しかし、若いうちはそれが当たり前で、私など失敗の数では、だれにも負けない。しかしそれが糧になる。そういう恐怖も乗り越えなければならない。
 エンジニアとして、一番充実できる時期は、これも私の持論だが、35歳から45歳までだろう。35歳前は修業期間で、45歳からは後進を育てる時代だと思う。35歳までに何を学び、何を経験できるか、おおよそ10年である。この期間に、自分のキャリア設計に基づき、多くを学び経験しなければならない。この時、一番重要だと思うのは師匠を誰にするかである。これは1人でなくてもよい。それによって、先が変わってくる。
 師匠というのは、手取り足取り教えなくてもよく、自分の確立された精神を見せるだけでよいと思う。とにかく、インハウスエンジニアというのは自分の意思とは違って、異動という問題があり、深く興味あることにも入り込めないところがあり、どうしても経験が浅くなってしまう。これは現在のやり方をしている限りは宿命である。
 富山市ではできるだけ長く橋梁の部署にいられるように、人事にはお願いしているが、これも5年が限度であろう。本人の昇格、出世に関わってくるので、あまり無理は言えない。
 とはいえ、エンジニアの道のりは長い、20代や30代で「自分は何でもできる。知っている」という態度の人間もいるが、それは間違いである。ましてや、大学や大学院を出て、すぐに1人前かというとそうではない。ITの世界やデザインの世界では発想や思考、天才的なセンスを持っている若手が、改革していくのだが、エンジニアリングの世界は違う。実績や経験がものをいう世界である。徒弟制度みたいなところがあり、職人の世界に近い。我々の世界は、実際に物を作ってなんぼなのである。設計は多少間違っても問題はない。しかし、実際に物を作るとなると違う。
 インハウスエンジニアは、実際にはスペシャリストにはなれない。しかし、プロのマネージャーとしては活躍できる。事業を完成するために、よく考え、スペシャリストやプロをうまくマネジメントして、まとめていくことが重要である。何よりも考え抜くことである。くれぐれも、こなし仕事は避けてほしい。仕事をこなせばよいという者も、官民双方に見受けられるが、エンジニアとしては少々恥ずかしいし、何よりももったいない。そして今後は、これまでの造る時代の慣習を打破し、新たな時代に向けた考え方ができない自治体は住民が不幸である。そこには、首長や議会や住民という壁があるが、脱却できないと消滅自治体となるかもしれない。

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