道路構造物ジャーナルNET

Vol.2 あらためて橋の目的を考える(中)

まちづくりの橋梁デザイン

国士舘大学 理工学部
まちづくり学系
教授

二井 昭佳

公開日:2023.08.01

6)地場材の活用

 先ほどのヴァルスには、もう一つ紹介したい橋があります。それが、写真-11に示すヴァルス広場の橋(Valserrheinbrücke Vals-Platz)です。地場材のVals珪岩を利用したPC橋で、ヴァルサー・ライン川を渡り、村中心部の教会と広場にアプローチする、村の重要な橋です。広場の地盤が低いので、できるだけ桁高を小さくでき、洪水時に流木などがあたっても容易に壊れない構造が必要とされました。


写真-11 ヴァルス広場の橋(Valserrheinbrücke Vals-Platz)

 これもコンツェットさんによるデザインなのですが、この条件を満足するためにU型(トラフ)断面とし、ヴァルス産の石を圧縮部材として使用しています。側面は洪水時の衝突荷重に耐える壁としても機能しています。側面全体が石のように見えますが、一定のピッチで立ち上がったコンクリートの柱を挟み込むように石が配置されていて、両者が互いにかみ合う仕組みになっています。コストを下げるために、石の採掘サイズをもとに使用寸法を決めたようです。
 総額は130万フランで、一般的な橋を架けるよりも30万フランの増額だったとのことです。つまり一般的な橋の3割増、日本円で約5000万円の増額で、地域の特色を活かした橋が出来上がったことになります。これを高いとみるか、それとも村の最も重要な橋を、地元産の石材を使って架橋できたのだから決して高くないとみるか。僕は後者の立場です。みなさんはどうお考えになりますか?
 余談ですが、ヴァルスを訪問する際には、テルメ・ヴァルスに泊まるのも魅力的ですが、広場に面したホテル・アルピナもおすすめです。リノベーションを担当したのは、スイス連邦工科大学で教鞭を取るG.A.カミナダさんで、シンプルながら高質な空間になっています。1階のレストランは広場に面したオープンテラスで、スイス料理を楽しむことができます。

 もう一つ、地場材を活用した橋を紹介します。こちらもコンツェットさんの手によるもので、クールからヴァルスに向かう道すがらのペイデンバッド(Peiden Bad)にある、グレンナー橋(Glennerbrücke in Peiden Bad)です。
 もともとここには1892年に建設された鋼トラス橋が架かっていて、コンツェットさんは当初コンクリート橋で架け替えようと考えていたそうです。ところが村の人たちから、村には橋のための共有林(!)があり、その樹木を無償で提供するから木造の橋にして欲しいと要望され、それに応えるために設計したというのです。架橋位置を変えることも検討したようですが、橋のたもとにある村の教会の持つ意味や建設コストの点から、以前と同じ位置で、橋台を再利用して架け替えることになりました。


写真-12 グレンナー橋(Glennerbrücke in Peiden Bad)

 集成材ではなく製材を使うわけですから、大きな断面にはできません。しかも、雨がかりすれば、木材は急速に劣化します。そこで考えたのが、床版の張り出しを大きくし、木造部を雨から守るアイディアです。そのために、角材を横桁とし、その上に板材を張り、板材の上に鉄筋コンクリートの床版を配しています。ちなみに角材と板材は床版を打設する際の型枠も兼用しています。
 そして、複数の製材を斜めに配置し、それと直交する部材で変形を拘束することで、床版の荷重や活荷重に橋台側に伝達する構造になっています。この軸力は、橋台の背面に埋め込まれたマイクロバイルで受け止めています。また木材同士の接する面を極力小さくすることで、木材を乾燥しやすくし、劣化を抑えています。
 こうした工夫により、薬液を注入せず、製材のまま使っているようです。竣工は2002年で、写真-13は2016年に撮影したものですので、14年が経過していますが、劣化しているようには見えないですよね。


写真-13 グレンナー橋の木部材

 地場の材料で、地域の大切なものを造る。地域への愛着を高めることにつながるだけではなく、地場産業のアピールや活性化に加え、資材の運搬のコストやCO2の削減といった効果もあります。
「村の木材を使って欲しい」。みなさんだったら、どのように回答しますか? 「いいですねぇ、ぜひやりましょう!」、そう答えられるエンジニアでありたいな思います。

7)文化の継承や創造

 近代以降、道路には2度の大きな変化がありました。最初が、鉄やコンクリートといった建設材料と自動車の登場です。それまでは人や馬が通れれば良かった道が、自動車の通る道へと造り替えられていきました。新しい建設材料のおかげもあり、それまで大きく迂回しなければいけなかった谷に橋が架かるなど、生活の不便さが大きく解消しました。橋が市民に手放しで歓迎されていた時代といっても良いかもしれません。
 2度目は高速道路の登場です。1925年にイタリアで生まれた高速道路は、より早く地域間を移動できる手段として、瞬く間に世界中に展開しました。より長いスパンが必要とされることで、材料や構造が大きく進歩するきっかけにもなりました。
 こうした車が主役の時代を経て、現在は3度目の変化が起きています。すなわち人が主役の時代への回帰です。都市では、道路空間再編が盛んに議論され、道路は通行する空間から、滞留できる場所へと変わろうとしています。ある意味では、利便性以外の架橋理由が求められる時代になったとも言えるでしょう。
 その理由のひとつになるのが、「文化」ではないかと思っています。都市生活を楽しむ、地域の歴史を知る、自然を味わう、家族と過ごす。すなわち、生き生きと暮らすことに関わる価値を創出する橋。そういう文化を継承・創出できる橋が求められていると思うのです。
 ここでは、そうした取り組みとして、紀元前に遡る道を復元するプロジェクトを2つ紹介します。
 ひとつめは、チューリッヒ湖の南東に位置するラッパーズヴィル(Rapperswil)とヒュルデン(Hurden)を結ぶ841mの木橋(Holzbrücke_Rapperswil-Hurden)です。
 ここには、紀元前から橋が架かっていたことが発掘調査で確認されていますが、中世になって、スペインのサンティアゴ・デ・コンポステーラに続く巡礼の道「聖ヤコブの道」のルートになったことで広く知られるようになった道です。1878年に木橋が取り壊されて以来、ここには橋がなかったのですが、2001年に紀元前の発掘調査をもとに当時のルートを再現した木橋として再建されました。巡礼の道としての歴史を感じ、あるいは豊かな自然環境を眺めながら、ハイキングを楽しむ道となっています。


写真-14 ラッパーズヴィル・ヒュルデン木橋(Holzbrücke_Rapperswil-Hurden)

 もうひとつもスイスで、グラウビュンデン州のヴィアマラ(Viamala)にあるトレッキングルートです。ヴィアマラは、スイス第4の公用語、この地で使われてきたロマンシュ語で「悪い道」という意味で、街道の難所として知られる場所です。古代ローマの街道遺跡を辿る道として整備されたルートには、コンツェットさんによるトラベルシナーⅡ橋(Zweiter Traversiner Steg)と、スランスンス橋(Pùnt da Suransuns)があります。両方の橋の構造など詳しい話は後日にしたいと思いますが、渡ることに価値が感じられる橋。そういう橋が、これからの時代では大切になるように感じます。


(左)写真-15  ラベルシナーⅡ橋(Zweiter Traversiner Steg)
(右)写真-16 スランスンス橋(Pùnt da Suransuns)上に見えるアーチ橋はクリスチャン・メンによる設計

 今回はここで終わりにしたいと思います。次回は、残りの3つについて、同じように事例とともにお伝えします。もしよろしければ、ぜひご覧ください。
(次回は9月1日に掲載予定です)

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