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第44回 武蔵野線高架下火災(43時間燃え続けた古タイヤの火災)

次世代の技術者へ

土木学会コンクリート委員会顧問
(JR東日本コンサルタンツ株式会社)

石橋 忠良

公開日:2023.04.01

 今回は火災の紹介をします。
 高架下を店舗や倉庫などに利用していると、時々火災が起こります。今回紹介するのは私が経験した火災で一番被害の大きかったもので、鉄筋コンクリートの高架橋下の古タイヤが燃えた事例です。
 この経験でわかったことは、コンクリートは基本的には火災に対して非常に強いということでした。プレストレストコンクリートの火災の影響も、大阪環状線の工事でPC桁をたくさん採用するときに、仁杉博士などが火災実験をしています。コンクリートのかぶりが十分確保されていれば、ピアノ線に悪影響する温度には簡単にはならないということを確認して採用しています。
 通常の高架下火災は1~2時間で鎮火するのですが、今回の事例は、燃えるものが古タイヤという温度が非常に高くなる材料と、また積んであったタイヤの量が異常に多かったことで、大きな被害となった事例です。
 高架下を利用する場合は、燃えると高温になる材料を扱うものは避けるか、わずかな量に限定するなどの配慮があれば、火災が起きても構造物に大きな損傷は生じないで済みます。
 今回紹介するような大規模な高架下火災の例は、その後はなく、いずれも1~2時間で消火される火災が時々起きますが、その程度なら大きな損傷はコンクリート構造物には生じないことを経験しています。

1.概況

 これは私が経験した鉄道高架下火災としては最も大きな火災でした。1980(昭和55)年8月17日、武蔵野線西浦和駅構内で、高架下を借りていた倉庫会社の野積みされていた古タイヤ約40万本が燃えました。約50台の消防車が来て散水するも火の勢いはなかなか収まらず、43時間にわたって燃え続け、RCラーメン高架橋約120mが被災しました(図-1)。被災した高架橋は、3線3柱式ラーメン高架橋1ブロック、4線3柱式高架橋3ブロックの計4ブロックでした。スラブが特に著しい損傷を受け、軌道、電気、信号などの機能も損なわれ、西浦和-北朝霞間が1か月間運休しました。


図-1 高架橋の被災状況

 私は当時、国鉄構造物設計事務所のコンクリート構造に在籍していました。災害の時の復旧案を作るのが構設の役割となっていました。「被災状況を調査してすぐ復旧案を作るように」との上司の指示で、現地に火災当日の夕方に着きました。現地では消火活動が行われていましたが、火の勢いは弱まらず、その日は近づくこともできませんでした(写真-1)。散水しても火の勢いはなかなか衰えませんでした。


写真-1 タイヤの燃えている状況

2.高架橋の損傷状況

 鎮火後に再度現地に行きました。鎮火後の現地の状況を写真-2に示します。多くの古タイヤが燃え残っていました。


写真-2 鎮火後の状況

 高架橋のスラブは直接火を受け、また消火のための水を受けたため、損傷のひどい箇所は、スラブ下面のコンクリートが厚さ80mm程度剥落し、スラブ下面の重ね継手の鉄筋は、かぶりがなくなり、直接熱を受けたため垂れ下がってしまうという状況でした(写真-3・4)。
 スラブのコンクリートのかぶり部は、剥落している個所や、残っている部分でも褐色に変色し、ハンマーによる打撃音はボコボコと鈍い音を発しました。


写真-3 高架橋を下から見上げた状況/写真-4 スラブ下面はかぶりが剥落して重ね継手の鉄筋が垂れ下がる

 火災のひどい範囲では、梁の下縁のコンクリートもほとんど剥落し、コーナー部も丸く剥落し、鉄筋が露出していました。梁の側面のコンクリートも褐色に変色し、ひび割れが縦横に入っており、ハンマーによる打撃音もスラブと同様でした(写真-5)。
 柱も角部が欠け落ち、鉄筋が露出していましたが、鉄筋で囲まれた内部は形状を保っていました。露出している鉄筋の一部には孕みだしているものも見られました(写真-6)。


写真-5(a) 梁を下から見上げた状況/写真-5(b) 高架橋の梁の状況

写真-6 柱の被害状況

 火元近くの場所打ちのコンクリート高欄は高熱により湾曲していました(写真-7)。また木枕木は一部炭化しているものもあり、道床バラストも変色していました。レールも曲がってしまい、電気の架線を支える門型の鋼製の柱も、高温のため根元より折れ曲がっていました(写真-8)。


写真-7 コンクリート高欄も熱で曲がる

写真-8 鋼製の電化柱もレールも熱で曲がる

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