地震で被害の生じた鉄道の復旧に責任ある立場でかかわったのは、この東日本大震災が最後です。2021年と2022年の2回の福島県沖地震被害の復旧は後輩たちが頑張っています。
私自身、これほど大きな地震被害を何度も経験するとは思ってもみませんでした。1978(昭和53)年の東北新幹線建設中の宮城県沖地震を仙台で経験し、このような大きな地震はおそらく一生に一度の経験だろうとその時は思っていました。
1995(平成7)年の阪神大震災では、このような被害をもたらす大きな地震というものが起こるのだという現実に驚かされました。
また、大きな津波被害をもたらしたこの東日本太平洋沖地震も1000年に一度というのに、私の生きている時代に起こったのに驚いています。
自然災害は、それまでの自分の経験や知識に縛られ、それを超える規模を実感できず、経験するたびに驚かされます。地球の歴史から見ると、自然災害に対する設計荷重はまだ不十分かもしれません。しかし、多くは経験した範囲での最大を設計荷重としています。めったに起こらない災害ですので、お金をあまりかけずに被害を少なくするということが工学かと思います。どれだけの被害をコストとの見合いで許容するかということだと思います。
計画上避けることの難しい断層を横切るトンネルは、断層が大きく動いたらふさがってしまうでしょう。絶対安全という議論ではなく、最大級の自然災害に対しては被害を少なくする配慮をするということが大切かと思います。自然災害に絶対安全ということは、技術面、あるいはコスト面で難しいこともあることを社会に理解してもらう努力も必要かと思います。絶対安全を求めると、多くのプロジェクトは実施できないことになるでしょう。
設計荷重は自然災害に関しては、これを超えないという保証はないが、今の時点で多くの研究者が想定している荷重(作用)だと思ったほうが良いと思います。これを決めていないと、実務として設計ができないから決めざるを得ないのです。この荷重(作用)が設計基準で決めてあることで、設計者は個人責任を問われず、責任を設計基準に預けることができるのです。
荷重は適切に定めることなどと設計基準に書かれると、すべての責任は設計者が負うことになります。自然災害に関する作用(荷重)は、その時点での最大公約数的な値を委員会などで決めることで、個人責任を負わない形で決めているのだと思います。
1.津波被害の調査
4月初旬の常磐線の津波被害の調査に続き、4月18日から20日にかけて、気仙沼線、石巻線、仙石線の津波被害の鉄道施設を調査しました。多くの橋梁が、流され、橋脚が折れていました(写真-1~4)。
写真-1 津波によるPC桁の流出(気仙沼線)/写真-2 津波による橋脚の被害と流されたPC桁(気仙沼線)
写真-3 河川上にあったPC桁が流失してなくなっている(気仙沼線)/写真-4 流されたPC桁
短い鋼桁の多くも流されていましたが、数百m先で発見されることも多く、それを見てみると比較的健全で、再利用可能と思われるものが多くありました。PC桁は、流されるうちに何度か反転しているようで、大きく壊れ、流されたものの再利用は難しい状況でした。鉄筋コンクリートの橋脚の鉄筋が、伸びて切れるほどの損傷を受け、重いPC桁が100m以上も流されているのを見ると、津波に抵抗できる構造物を単線の幅の狭い鉄道の構造物に造るのは難しいと感じました。人の安全には逃げる方法を確保し、構造物は流されることを覚悟して、再利用可能な構造にするか、壊れることも覚悟して復旧容易な構造を選ぶなどのほうが合理的ではないかと感じました。
写真-5~10は津波被害を受けた鉄道の駅の状況です。ホームの跡や、レールの残っている状況が駅であったことをうかがわせます。駅ですので、当然周囲には商店や民家が比較的多くあったと思われます。あまりのすさまじさにコメントもできません。写真を見て想像してください。
写真-5 大船渡駅/写真-6 陸前高田駅
写真-7 志津川駅/写真-8 陸前高田駅
写真-9 女川駅
写真-9の女川駅もホームの跡が残っていますが、駅舎も流され、車両も写真の奥のほうに小さく見えますが、駅からそこまで流されています。
写真-10 新地駅(常磐線)
写真-10は新地駅です。ちょうど乗客の乗った車両が運行されていました。お客さんは車両から降りて高台に逃げて無事でした。鉄道の社員2人がここに残り、この写真-10の跨線橋の上に逃げて助かっています。この跨線橋が流されなかったことで助かったのです。
新地駅の近くにはこの写真-11のように車両が流されています。
写真-11 新地駅近くの流された車両
写真-12は北リアス線の鉄筋コンクリートのラーメン高架橋の損傷の状況です。
写真-12 北リアス線