道路構造物ジャーナルNET

第80回 リスクマネジメント

民間と行政、双方の間から見えるもの

植野インフラマネジメントオフィス 代表
一般社団法人国際建造物保全技術協会 理事長

植野 芳彦

公開日:2022.09.16

3.いずれ、責任を問われます

 今回の秋田では、一般社団法人全国建設技術協会(全建)の建設技術講習会で講演してきた。200人ほどの定員であった。全建さんとは国土交通省(建設省)の「土木構造物標準設計」時代から30年くらいの付き合いになる。今年度は懐かしい職員の方にも会えて話も弾んだ。今年の全体テーマは「これからの社会インフラの維持管理・更新 ~維持管理における最新情報と取り組み事例及び公物管理をめぐる紛争事例に学ぶ~」であった。
 全建さんの講習会テーマは時流に合わせた、その時々の話題に則っているので、多くの会員(特に公務員)が聴講する。私の講演の前に、公物管理に詳しい、扶桑共栄法律事務所の弁護士の細見孝二先生が「道路管理の瑕疵について ~最近の事例から見る管理瑕疵~」について話された。細見先生には、私が富山に赴任してすぐに市内で起きた、泥酔者による用水路転落事故の裁判で、同僚がお世話になり、私もこの対応に参加していたので、開始前にご挨拶でき、話が弾んだ。次に私が、「持続可能なインフラマネジメント」に関し話した。
「管理瑕疵」においては基本的に「国家賠償法2条1項」により、「道路、河川その他の公の営造物の設置または管理に瑕疵があったために他人に損害を生じた時は、国または公共団体はこれを賠償する責め任ずる」とある。つまり、工事中でも管理中でも、内容に瑕疵があった場合は賠償しなければならないのである。だから、構造物の生い立ちや、育ちに関しては言うなとは言われるが、必要な話なのである。できれば当初に見つけて事前に防ぐのがリスクマネジメントである。すくなくとも、示方書などの基準は最低限守られていないと、明らかな過失である。
 そして、そのあとの管理中で、事故があれば、今の世の中では、責めは役所に来る。管理瑕疵になる。たとえ設計や施工に不備があっても何十年も経過していれば、製造者責任は時効なので管理者責任である。個人的に、これが本当に理解されているのかどうか? ということが、私には疑問である。100年の寿命ということを受け入れてはいるが、100年管理する自信はあるのか? 100年以上保たれる設計・施工はされていたのか? 構造物の安全は、コストに大きくかかわる。安全性とデザインとコストをはかりにかけてどうするか?

 私がトリアージと言っているのは実は、危うい物は早く見極め、重要なものは更新を行い、不要なものは撤去、その他は監視をしながら管理するということを言っているのだ。賢い方々は先走って反対をするが、ではどうしたいのだ? いざという時の覚悟はあるのか? 今後人口減少により、税収の減少が見込まれる。さらに、社会福祉費関連が拡大していくし、様々な必要予算は増大傾向にある。そのようななか、今までと同じような社会サービスが確保できるのか?
「品確法」や「公物法」「管理瑕疵」などの、瑕疵の期間は少しずつ長くなってきている。その時は逃れてもなかなか逃れられない状況になりつつある。
 新たな仕組みや新たな考え方を導入し、効率的に老朽化対策に取り組まなければならないと言い続けているがなかなか理解はされない。「トリアージ」に関しても「植野塾」に関しても富山では不評であったが、最近は別のところで評価されている。この辺は人々の選択なので、どうしょうもない。しかし、皆さんそろそろ本音で議論しないと手遅れになります。隠ぺいしても責任からは逃れられない。これからの方々は大変である。私は自由の身なので、相談を受ければ、アドバイスはするが、否定されれば何もすることはない。

4.おわりに(雑感)

 最近、入浴中に裏庭から鈴虫の鳴き声が聞こえる。鈴虫は、三十数年前に親父が亡くなった時に、それまで父が趣味で飼っていたものを庭に放したら、いまだに世代交代しているようだ。我が家では環境に配慮し、除草剤は一切撒かない。消毒も極力しないので様々な昆虫も生き延びている。

 現役時代、それが市民のためだと思い、厳しい対応を業者に対して行っていた。退職してみれば、どこからのお誘いもなく、路頭に迷ったが、自宅に帰れば何とかなるだろうと考えていた。これまでのポリシーとして自分から売り込んだことはない。その後、助けてくださる方々があり、現在は興味のあること、どうしても断れないこと、恩義のある方々に頼まれたことなどをやり、気ままにやっている。自分では仙人の暮らしが理想。
 良く「趣味は何ですか?」と聞かれる。この答えには困る。理解されないだろうからである。趣味は、武具収集と戦略研究、武道研究である。最近、以前より時間があり、家にあるものを引っ張り出しやすくなった。武具とは甲冑、刀剣、槍、薙刀、等である。鞘を払い刀身を抜くと、季節によって表情が違う。夏には夏の、冬には冬の表情がある。もちろん、それぞれの刀によって表情も違う。私の所持しているものは、いずれも武用刀であり、高価なものではない。美術刀剣とは違うので、研ぎも安い武用研ぎになっている。実用、切れ味を第一に考えている。
 手入れ、いわゆるメンテナンスで困るのは、素人さんの客が私の知らないうちに、珍しがって刀身に触れてそのままになっていると、錆が出てしまう。錆が出てからでは大変である。これは槍も薙刀も同様。錆がひどければ研ぎに出さなければならない。錆の度合いにもよるが下手すれば研ぎに十数万円かかる。たまに、刀剣のオークションなどを覘くと、結構よい刀なのだが錆身のものがある。残念だ。刀は魂である。大事にできないならば、早く手放せばよいものを。
 よく素人さんは「登録してあるのか」と聞いてくる。大きなお世話であるが、適切に所持している人たちは必ず登録してある。登録証がなければ、前の持ち主が困る。譲るのも売却もできない(本来余計なお世話だが、素人さんは余計な心配をするのは何でも一緒)。

 最近は毎日、歳のせいで朝は大体3時半か4時には起きてしまう。身支度をして、新聞を取りに行き、ごみを出す日はごみを出す。その後、お茶をたてる。抹茶である。茶を喫しながら新聞をザーッと読み(私は熟読はしない)、お茶を喫し終わる。かつて、剣の修行をしていた時に、精神修養として「裏千家」の基本の基本は、父から習ったが、今やそういう意味では簡略化した「植野流茶道」である。これで精神を落ち着かせる。その後、晴れていれば真剣で、雨の日や湿度が高い日は木刀で素振りを行う。最近、どうも雨が多いのでもっぱら木刀になっている。そして少々の居合の型を使う。これももっぱら「植野流居合」である。さらに、槍。晴れていれば真槍で、雨ならば棒を使う。これも「植野流槍術」。これでストレス解消と精神統一ができ、戦闘準備もできる(少々時代錯誤であろう)。良く昔、爺さんや、剣の師に、「そんなことで人が斬れるか!」と言われたが、今の時代、人は斬る必要はないが、迷いや邪気は斬る必要がある。
 今の世は、気持ちに余裕がないのだろう、町中で正面から、まっすぐ向かって歩いてきて全然よけようともしない若者、すぐ後ろを歩くやつ、体が当たりそうになりながら、目の前を平気で通り過ぎるやつ、間合いが取れていない。私は駅のホームでは絶対に先頭には並ばない。何があるか分からないからである。気配を感じてあまりに近いと、攻撃対象になる。
(次回は10月16日に掲載予定です)

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