道路構造物ジャーナルNET

第77回 100年橋梁という幻想

民間と行政、双方の間から見えるもの

富山市
政策参与

植野 芳彦

公開日:2022.06.16

3.100年という幻想?

 橋梁の寿命は100年というジレンマ。これが、インフラ・メンテナンスをおかしくしている現況ではないだろうか?
 人間の寿命も同様である。さかんに「人生100年時代」と言われるが、本当に100年生きるのか。私は自分自身は無理だと思う。親を見ても先祖を見ても自分自身を見てもそうである。どう考えてもそんなに長くは生きられない。
 かつて橋の寿命は50年と言われた。諸説あるが、まあ目安として50年である。しかし、前々回の道路橋示方書改定で100年になった。ここには実は「適切な管理を行ったうえで」とあるし、設計思想として100年の供用に耐えられるような工夫をしなさいという意味合いであると思う。では、皆さん、100年もつ工夫や管理を実際に行えているだろうか?
 パソコンに数値を入力し設計が終わったと思うかもしれないが、それは、安全性を確保するための最低限の根拠づけである。そのあとの工程として、実際に造れる図面を書く必要がある。さらに、100年もつためのディテールの工夫も必要である、止水や水切れの工夫も重要であるし、耐久性も確保しなければならない。もちろん、そこにさらに耐震性の確保や、様々な工夫も必要である。最近の傾向としては個々にデザイン性を必要以上に求める方々もいる。これらはトレードオフの関係にもなるので、そのバランスも重要となる。コストの問題も絡んでくる。
 私は、メーカーにいた時には、役所からの電話よりも工場からの電話が怖かった。1mmの違いも見抜かれるし、鋼板のカット数やカット形状によっても工数が変わってしまう。つまりコストが変わってくるのだが、コンサルさんはそれがお分かりか? 実際に溶接ができるかどうか? ということもある。長寿命化、つまり長持ちさせるには、余裕が必要であり、ディテールの工夫が必要である。デザインや計算だけでは決まらない。
 どうも何の影響なのか、自分は一人前だと錯覚している技術者が多い。はたして、自負するだけの経験と実績があるのか? 橋梁の世界は厳しい。一人前になるには10年以上かかるだろう。あくまで、日々経験を積んでの話ではあるが、30代半ばになってやっと、一人前かどうか? である。
 ITや情報工学、科学やデザインの世界では個人の感性や能力が天才的であれば脚光を浴びることがあるだろうが、我々の世界ではめったにない。私は、橋りょうメーカーで、設計、製作管理、施工管理、システム開発を経験し、コンサルへ行き、計画・設計、システム開発を経験して、35歳になった時に、カルチャーショックを受けてしばらく体調が悪かった。それまで一人前のつもりでいたが、基準類に関係する仕事を担当し、国の委員会の業務を行い、ある方の指導を受け、世の中を見る目が全く違った。「自分は、まだまだ半人前であった。一人前にならなければ」と必死で、寝る間も惜しんで、その方に師事した。それで、世の中を見る目も、モノの考え方も、感性も大きく変わったと感じている。
「インフラのメンテナンス・サイクル」というものが良く使われる。点検⇒診断⇒補修⇒で、また点検に戻るのが一般的である。橋梁長寿命化計画における「事後保全と予防保全の図」も、現実的ではない。しかし、皆さん使っている。これが私の最大の疑問である。実態とかけ離れた、計画を立ててどうするのか?


インフラのメンテナンスサイクルと課題

 インフラのメンテナンスはサイクルにはならず、負のスパイラルになっていくはずである。一時期言われたのが「再劣化」ということを言ったら、「それは使うな! 現場が混乱する」と注意を受けたが、この「再劣化」の問題を見過ごすと今後の財政に大きく影響をしていく。これに、一部ではやっと気づいてくれたようである。気づかなければ将来につけを回すことになる。


インフラのメンテナンスは負のスパイラルに

 実際に造ったことがない方々が議論しても机上論になるだけである。理論通りにいかないのが現物である。思いもよらない事象が現れることがある。計画や設計時のミス、検討不足、施工時の不備、手抜き。その後の運用や災害などもあり、インフラは風雨にさらされている。
 補修に関しては補修材料や補修方法の選定、補修工事の不備、手抜きもあり、理想通りにはいかない。補修・補強は、新設ではないので、新設のようなわけにはいかない。より不利な状況での施工となる。こういったことが重なり、「再劣化」は当然起きる。そして、寿命は100年あるとは限らないものを直すのだから、その辺は覚悟しておかないと、膨大な運用費の計算違いがのしかかってくるわけである。


理想論と実際の老朽化対策のイメージ

4.まとめ

 先日、気になったのが、「CPD」の問題である。継続教育は重要であり、やらなければならない。しかし、自分の教育を他人にしてもらっているようでは半人前である。課題を見つけ聴きに行くという姿勢は正しいし必要なことであると思うが、いちいち他人に半強制されていくものなのだろうか? この「CPD」を積極的にやるにあたり、「岸田内閣の骨太の改革の「人への投資」に当たるから」と言う方々が多いが、CPDは筋が違うと私は考える。人へ投資するならば、その人の才能を伸ばす協力をしてやることであると思う。具体的に言うならば、開発費や体験に投資すべきである。そうすれば将来も社会のためになる。
 インフラ・マネジメントをしていくうえで、大きな課題だと私が考えているのが、「再劣化の問題」である。再劣化の話をすると「再劣化はない」と言う方々がかなりいた。これは常識的におかしいと思うがいかがだろうか?


実際に再劣化は発生している

 そもそもが、「100年の寿命」とは言ってはいるが、「計画」は大丈夫だったのか? 施工場所や事前調査など、十分になされたのか? 「設計」は大丈夫か? かつて手計算を行い手で図面を書いていた時代は、かなり大変であったが意外と根拠さえ間違っていなければ、大丈夫だと思う。
 近年、高度成長期以降の、「ソフトによる設計」には大きな危険がある。理解しないで、使用しているからである。通常、手計算ではおおざっぱな計算になるので、安全側に設計していく傾向がある。計算機などを使用すれば、ソフトにもよるが、より厳密解となるので危険側になっていく。ここでも寿命の差が出てくる。
 本来であれば、ソフトの中身を十分精査してから使用すべきであるが、恐らくそうはしていないであろう。かつては、使用ソフトの審査も行われたところもあったが、現在はやられていない。私が、設計用のソフト開発、運用をやっていた時には、ほぼ毎日のように、「うまく動かない。ソフトがおかしいのだろう」という苦情が多かったが、原因を追究していくと、ほぼ80~90%は、使用制限の無視と入力データミスであった。本来技術者であれば、冷静に使用ソフトを確認し適用範囲や入力データの確認を行い運用すべきであると思うが、自分は正しいと思い込んでしまっている。
 次に施工であるが、施工は非常に難しい。図面通りにはいかない場合が多い。現場の状況も調査時とは違っている場合もある。なので、完璧に入っていない可能性が高い。さらに、設計に不備があり設計通りでは作れない場合も実はある。これは実際にはかなり多いのではないだろうか? ここが、コンサルが悪く言われるゆえんでもある。さらには、天候やミスにより不都合もかなり出てくるのが現場である。手抜きというのも実はあるが、これは論外だが、管理するうえでのリスクとしてはとらえておくべきである。
 コンクリート自体も手練りの時代の物のほうが長持ちする。
 ただ維持管理の問題は、欠陥を直せばよいという問題ではない。問題のない欠陥もあれば、健全だが最初から、おかしなものもある。鋼もそうである、「錆」に関してはすぐ腐食と言われるが、「良い錆」と「悪い錆」がある。まあ、進行性の物か安定しているかである。何でもかんでも「腐食」ととらえるのではなく、トータルで考えて、処置すべきである。
 先日拝見した現場で、「部分塗装」をやっていた。ここまでは工夫の跡がみられるが、桁中央部は、白色化が進み、一部錆止めまでが露出していた。理想論と現実、現場の見極めが重要である。常に机に座っている人たちには無理であろう。
 一生懸命に、新しいことを社会のために考えて実行している方々に投資していくのが「ヒトへの投資」だと思う。テレワークも兼業副業なども当たり前で、自分の環境を変えるだけで、各企業がどう判断するのかは別問題である。
 そういうことを理解してもらうのが、「ヒトへの投資である」。私の本心は、何をいまさら言っているのか? 具体策はあるの? である。企業においても社会においても「人財は重要だ」という言葉はよく聞くが、では具体的に何をやっているのか? できているのか? である。もうすでに、自ら学ぼうという人たちは自ら挑戦している。受け身の人たちにCPDを与えてもろくなことはない。
「何かを学ぶのに、自分で体験する以上に良い方法はない」(アインシュタイン)これが、私のモットーである。
(次回は7月中旬に掲載予定です)

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