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⑫(最終回) 維持管理を支える人材育成と技術継承

山陽新幹線コンクリート構造物維持管理の20年を振り返って

西日本旅客鉄道株式会社
技術顧問

松田 好史

公開日:2022.06.16

山陽新幹線コンクリート構造物の維持管理を支えているのは、グループ会社を含む数多くの人材である。これまでの【連載】では、個々の技術的なテーマごとに山陽新幹線コンクリート構造物の維持管理に対する考え方や取り組み内容について述べてきたが、いずれのテーマの課題解決や措置の着実な実施および効果の確認においても、人材の存在が欠かせない。それぞれの技術テーマを縦糸とすれば、課題解決や措置の着実な実施等に不可欠な横糸には、人材、組織、予算などを挙げることができるが、とりわけ人材の果たす役割は大きいと考えている。
 【連載】第12回では、山陽新幹線コンクリート構造物の維持管理に関わる人材育成や技術継承について述べることとしたい。ただ、【連載】第12回の人材育成や技術継承の内容には、私個人の考え方や想いによるところがあり、必ずしもJR西日本としての考え方でないことも含まれていること、人事運用は在来線も含めて実施していることから在来線構造物の維持管理に関わる人材育成の内容も含まれていることなどをお断りしておきたい。

1、はじめに
 1-1、山陽新幹線コンクリート問題発生前後の主な出来事

 1987年4月、国鉄民営分割によりJR各社が発足した。バブル景気の景気拡大期にあたり経営的には追い風のスタートとなった。山陽新幹線などの新幹線鉄道は、新幹線保有機構が保有し旅客鉄道会社に貸し付けられるところとなったが、民営化後のJR本州3社の営業成績が予想以上に好調で株式上場が視野に入ってきたことで、1991年9月にJR本州3社に譲渡されるところとなり、山陽新幹線はJR西日本が9,741億円で買い取った。
 1987年の国鉄民営分割化から8年が経過した1995年1月に兵庫県南部地震が発生し、山陽新幹線ラーメン高架橋などが壊滅的に崩壊したにも関わらず、わずか2か月余りで全線運転再開を行った。バブル経済が終わりを告げ日本経済は長い不況に突入していたが、JR西日本はこうした厳しい状況を乗り越え、震災翌年の1996年10月には念願の株式上場を果たした。阪神淡路大震災からの復興や株式上場などの成功体験による過信や慢心が次第にJR西日本の組織や社員の意識の中に広がり、国鉄改革の本旨である鉄道事業の再生を果たすことに経営の重点を置き、輸送の速達化などによる競争力の強化と事業運営の効率化に力を注ぐようになっていった。

 1999年6月、山陽新幹線福岡トンネルにおいてコンクリート塊が落下し走行中の新幹線列車を直撃する事故が発生した。幸いなことにお客様に被害はなかったが、前後して多発していた山陽新幹線ラーメン高架橋等からのかぶりコンクリートの剥落と相まって、山陽新幹線コンクリート構造物の早期劣化が社会問題化するところとなった。
兵庫県南部地震から10年後の2005年4月、JR西日本は福知山線列車事故を発生させ、106名のお客様の尊いお命を奪い、562名のお客様と付近をご通行中の方1名にお怪我を負わせた。航空・鉄道事故調査委員会の鉄道事故調査報告書(2007年6月)では、福知山線列車事故を引き起こした運転士のブレーキ使用が遅れたことについて、『インシデント等を発生させた運転士にペナルティであると受け取られることのある日勤教育または懲戒処分等を行うというJR西日本の運転士管理方法が関与した可能性が考えられる。』と結論付けている。また、JR西日本が2021年3月に策定した「将来にわたる鉄道の安全の実現に向けて~福知山線列車事故の反省と安全の実現に欠かせない視点の継承~」(以下、「8つの視点」という)の中では、『国鉄が破綻した要因の一つに労務問題があり、JR発足後は指示やルールを徹底し、職場の規律を確立することに重点を置き、これが行き過ぎることで組織の中に上意下達の風土が強まった。さらに、「人は誰でもエラーをする可能性がある」、「ヒューマンエラーは原因ではなく結果である」という、現在では安全を考えるうえで常識となっていることを前提とせず、「エラーを起こすのは意識が弛んでいるから」という目で社員を見がちで、事故の再発防止教育においては懲罰的と受け止められる精神論的な指導が広がる結果を招いていた。これらにより、現場第一線の社員との信頼関係が損なわれていき、コミュニケーションが不足する状況となっていた。社員に「決められたことを決められたとおりにする」ことを求め、「社員の意見に耳を傾け、社員一人ひとりの人格や自主性を尊重し、主体的な取り組みを結集することで安全やサービスの質を高めていく」組織運営には至っていなかった。』などと、当時を反省している。8つの視点に書かれていることは、安全のみならず技術重視や現場重視の人材育成にも当てはまる事柄が多く含まれているので、JR西日本HPで閲覧していただければと思う。(https://www.westjr.co.jp/safety/fukuchiyama/pdf/shourainiwataru.pdf)

 福知山線列車事故後は、「組織全体で安全を確保する仕組み」と「安全最優先の風土」が構築できておらず、「尊い人命をお預かりする企業としての責任を果たしていなかった」ことを深く反省し、安全マネジメントの考え方を改め「リスクアセスメント」を導入するとともに、2006年4月に制定した6項目からなる企業理念では、第4項において『私たちは、グループ会社とともに、日々の研鑽により技術・技能を高め、常に品質の向上を図ります。』という技術重視、現場重視を社内外に向かって宣言した。

1-2、安全を支える技術の向上、技術重視

 福知山線列車事故後、JR西日本は2005年5月に「安全性向上計画」を策定し、安全を最優先させる企業風土の構築に向けて、企業風土変革の取り組みやハード・ソフト両面にわたる様々な対策を開始した。2007月9月には様々な分野の専門家7名から構成される「安全推進有識者会議(座長:井口雅一(東京大学名誉教授))」が設置され、2008年2月、JR西日本が取り組むべき安全に関する基本計画の方向性が提言として取りまとめられた。

 提言においては、安全に関わる基盤を形成するための方策として、安全を支える技術の向上やコミュニケーションの改善、ヒューマンファクターに基づく安全性の向上、安全を支える現場力の向上、安全をともに築き上げるグループ会社等との一体的な連携、事業を支える人材の育成と確保、安全をともに築き上げるための社会・利用者との連携など多岐にわたる事柄に加えて、取り組むべき安全投資の内容などが示された。とりわけ、安全を支える技術の向上においては、社員・組織の技術力向上に関する視点として、(a)日常の業務遂行に必要となる実務能力の維持向上、(b)運転技術者の育成、(c)技術スタッフや専門家の育成、(d)技術コアの形成、が示された。

 (d)技術コアの形成では、『日常業務を実行する社員の実務能力を向上することや専門家を育成することを念頭に置いた教育体系の構築や人事運用が大切である一方で、鉄道システムの改善を継続するには、広い技術的視野と深い専門能力を備えた専門集団を形成することも重要である。技術コアとなる専門集団は、JR西日本の技術そのもののステップアップを担う一方で、現場に対する支援とコンサルティングの役割を果たすことにもなり、これによって会社全体の技術的課題解決と技術の底上げが可能となる。また、このような集団に籍を置くこと自体、若い社員の意欲と技術レベルを飛躍的に向上させる効果が期待できる。』と諮問されたことを受けて、施設、電気、車両のそれぞれの部門において技術コアとなる組織の設置が進められ、保守土木・建設工事部門を担う専門集団となることを目指して2008年7月、構造技術室(私は初代室長として2008年から2018年まで在籍)が発足し、人財を含む人材育成を担うこととなった。

 安全を支えるものとして、技術の向上、コミュニケーションの改善、ヒューマンファクターの理解、現場力の向上グループ会社等との連携、人材育成、社会利用者との連携の項目ごとに具体的な取り組みが始められたが、各項目に共通して言えるのは「心理的安全性」が確保されていない状態では絵にかいた餅で終わってしまいかねないということである。心理的安全性とは、社員が他のメンバーからの非難やネガティブレスポンスを恐れず、自由に発言・行動できる状態のことをいい、心理的安全性が低いと、①無知だと思われる不安から気軽に質問・相談することを困難に感じてしまいコミュニケーション不足を引き起こす、②無能だと思われる不安が大きくなるとミスを素直に認めることができなくなってしまう、③邪魔をしていると思われる不安から積極的に意見やアイデアを出すことができなくなる、④ネガティブだと思われる不安から皆と異なる意見を出したり他のメンバーの間違いを指摘したりすることが難しくなる、などの問題を引き起こすといわれている。

 安全性向上にしても技術力向上にしても、組織としての力を最大限発揮するためには心理的安全性が確保された自由闊達な議論がそのベースになければならない。インハウスエンジニアとしての技術者の存在意義は、まさに技術的知見をもって方向性を見誤ることなく適切な結果を導くことであると考えているので、おかしいことはおかしいと根拠を明確にして意見を言うこと、予断を持つことなく相手の意見を聞くことが重要で、そのような人材の育成が求められていると言っても過言ではないと考えている。

1-3、人材育成や技術継承が課題となるに至った背景

 山陽新幹線コンクリート構造物の早期劣化が顕在化した当時は、1990年代の「失われた10年」と言われ、バブル崩壊後の急速な景気後退と不況の長期化の中にあって、多くの企業が従業員のリストラや技術のアウトソーシング(外部委託)などの業務のリエンジニアリング(再構築)を進めた時期に当たる。その結果、程度の差はあるものの多くの企業において人材育成や技術継承が課題となることになった。鉄道会社は少子高齢化やモータリゼーションの一層の進展等により厳しい経営環境に置かれていて、JR西日本でもグループ会社への出向や業務のアウトソーシング、早期退職の勧奨などが進められた。参考としてJR西日本社員数の推移を見ると、発足時の社員数は51,530人(国鉄民営分割化時の基本的な考え方「雇用対策のためJR各社は必要人員の約2割増の社員数を引き受ける」に基づくもの)であったが、大量退職、採用抑制、過度のアウトソーシングが押し進められた結果、2005年度初の社員数は31,210人(1987年度初比61%)となっている。

 当時のJR西日本における技術継承について、課題と考えていた事柄を組織、要員、意識などの点から列挙すると、
 〇技術よりも管理を優先する風土の中で、技術者が技術者として進む場(道)を社内に用意しなかった結果、優秀な技術者が残れず、グループ会社出向や退職を招いた。
 〇加えて長年におよぶ新規採用抑制の結果、30代の中堅層が極端に少ないという要員構成のひずみから、教える側に余裕がなくOJT(on-the-job training)を困難なものにしていた。
 〇分業化や外部委託により、調査・計画、設計・部外協議、契約、施工、維持管理などの多岐におよぶ業務全体を経験することが困難となり、全体を統括管理する能力の低下を招いた。
 〇個々の業務においても、外注化の進展によりメーカーや施工会社任せになり、自らはマニュアルに依存し考えることが少なくなった。
 〇教えられる側の意識として、技術や技能は会社から与えられる(教えられる)ものとの意識が強く、自分で進んでチャレンジするという向上心や意欲・こだわりが低い。
――などを挙げることができる。

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