1.はじめに
新年度あけましておめでとうございます。私の富山市撤退計画は見事に失敗しました。しかし、やり方を少し考えていきたい思います。私が居るだけでは何もできませんし、進みません。実際に実行する方々が、どう判断し実行していくか? 重要なのは決断です。
2.地方のインフラメンテナンスはなぜすすまないか?Ⅱ
この問題、先月の繰り返しですが、あいかわらず、よく聞かれます。
一番大きな問題は「思うように予算がつかない。」と言うことだと言われています。では、なぜつかないのか?これは、予算が外部の方々の意思で決定されてしまうからです。我々、技術者はそれを受け入れるしかない。なぜか?多くの方が必要と感じられていないからでしょう!と言うと、「必要です。」と答えが返ってくる思うが、当事者の我々は必要だと思っていても、そうでない方々は、そうは思っていないのだと思う。政治家、一般の市民は、インフラの老朽化は話題としては、あげますが、その深刻さがわかっていない。感じていないのでしょう。いざ、自分や自分の身内が事故に巻き込まれれば、切実な問題として感じるかもしれません。
先日、ある方が「点検してもむなしい。」と言うようなことを、言っていた。これは、点検する業者の方が一生懸命点検して、損傷を見つけても、補修されるかと言うとそうでもなく、そのまま放置された状況が悲しいということである。重い言葉として受け止めたいと感じた。点検する者、診断する者、補修計画をする者、補修する者・・・判断する者がいるが、いずれも「実行者」なのである。実行者は必要性を訴えても認められなければむなしい。では、決定権はどこにあるか?と言うことになる。これは考えてもらえれば分かるだろう。我々は、配分されたものをさらに配分するだけである。世の中が必要ないと思えばそこまでである。ただし、理解をしてもらう努力は必要であるが、世の中の課題は多岐にわたり、多くの方の興味の中心がどこにあるかである。
こういう状況はよくある。これをどうするか?が課題である
決定権をもつものと、実行する者、その違いは、何か?決定権を持つものは、一般には見えないので実行者が悪者になる。「何やってんだよ!」「何もやってないじゃあないか?」と責められることも多い。しかし、これは一部の話で、全体を見ないと解決はできない。いや、もはやすでに解決はできないのではないだろうか?多くの方々は、いまだに、「(経済)成長」とか言っているが、それはこの国ではもはや夢。守っていくしかありません。「成長」の時代は終わり「成熟化社会」であり、「超高齢化社会」である。
インフラのビックプロジェクトさえもなくなってきている。これは、インフラに関して負けを宣言しているようなものである。「もはや、造る時代ではない」とも言われている。(経済が)成長する要素も限られてきている。「そんなことは無い」と言われる方も居るであろう、しかし、冷静に考えると、「超高齢化」と「人口減少」はどう考えても、「成長」を望める状況ではないが、幻想を追う人たちがいる。ここを十分に理解しないと、対処法が変わっていく。技術者の教育だけをとっても、短期では無理である。技術者をきちんと育てなかった社会の、ここ数十年の付けがこれから回ってくる。
3.新設と維持管理
ロシアのウクライナ侵攻が始まり、現在も進行中であるが、こういった紛争、戦争には膨大な戦費がかかる。「孫子」の時代から、国力を保つためには、戦争はできるだけ避けたほうが、有効であり、十分な国力が無い限りは、無用な戦いは控えるべきであると言われている。だから、戦わずに避ける方策が最重要なのである。戦いが長引けば必ずや消耗戦となる。これがインフラの維持管理の現状なのである。
撤去の方針決定から8年。検証と説明に時間がかかる
過去の高度成長期、造る時代に大量なインフラを構築した。それはその時代には、必要だという判断の基に実行された結果である。国民も多くの人たちがより便利な生活を望み、道路や橋やダムができるようになり、それなりの価値はあった。しかし、もはや世の中の状況が違う。
現在は成熟化社会であり、新設は不要であるという極端な意見もあるが、公共事業不要論まで行くと行きすぎであるが、道路は無駄、橋は無駄、ダムも無駄という、思想があり、一気に社会の劣化が進む要因が出来上がっていた。物そのものの価値もそうであるが、それ以上に、国が技術者の育成、教育をどう考えているのかと言うことが長期的に大きな間違いを犯しているような気がする。かつて、コンクリートから人へと言う言葉の基に、公共事業は悪であると言った考え方を持つ方々が増えてきた。しかし、それは単純な考え方である。無駄な物、必要ない物、必要以上に華美な物は必要ない。しかし、必要なものは作る必要がある。
私が感じているのは、こういう時代でも、何よりも「技術者育成・教育」という面である。「そんなもの実際の仕事で学べばよいだろう。」と言うことになるが、我が国ではビックプロジェクトは無くなってから久しい。ビックプロジェクトが無いと技術者のレベルは下がる。恐らく日本の土木技術は世界の中で、その地位を下げつつある。「日本の土木技術は世界一」という大本営発表を信じてはいけない。海外のコンペでは日本の企業は負け続けている。JICAやODAの案件はあるが、コンペで勝ち取ったものは少ない。例えば、「吊り橋」であるが、国内では現在は10年間に1本あるかどうかである。その他の特殊構造物も橋梁構造物も同様であり、時々ニュースに取り上げられる橋梁もあるが、かつての勢いはない。夢が無いと人材も育たない。吊り橋を作っても技術の継承ができていないと維持管理で心配である。
技術を理解していない人たちは、「吊り構造」も「一般的な構造」も同じように、処理してしまう。「処理」なのである、きちんと理解して対処するならば、大きな問題は起こさない。しかし、処理しただけでは、大きな間違いや事故が起きる可能性が大きい。そもそも、設計理論が違っていることすら理解していない。何が課題で、何に気を付けなければならないか?将来的にのどこを注意しなければならないか?
景観やデザインも必要であるがその前に基礎の工学のほうが重要であり、それを教育していくための実際の構造物も必要である。現在、職員や社員の教育、教育とよく言われるが、どう計画をして実行しているのか?官には官の民間には民間で、実際の「ものつくりの教育」が必要である。維持管理をしていくうえでも、実際に造ったことがない者が点検しても仕方がない。ましてや素人が点検しても仕方がない。