道路構造物ジャーナルNET

第71回 トリアージ・インパクト

民間と行政、双方の間から見えるもの

富山市
政策参与

植野 芳彦

公開日:2021.12.16

1.はじめに

 最近また、「橋梁トリアージ」に関する問い合わせ、ご意見が増えてきた。しかし、前回の数年前の質問とは内容が少し違ってきている。これはみなさん、そろそろインフラを減らさなければ、世の中が持たないことが、わかってきたものと思われる(ならば良いのだが)。 今回は、なぜ私が、「橋梁トリアージ」と叫んだか? 導入プロセスを少々書いてみたい。

2.プロローグ ~トリアージ・インパクト~
 トリアージは非情なもの

 10年前の3月11日、東北地方に巨大地震が発生し、大きな災害をもたらした。
 たまたまこの日、出張から帰り、(このころ私は、干されて自営業に近いことをしていた)14時30分ごろ家に着いた。女房がお茶を入れてくれて、ほっとしていると、緊急地震速報が! 湯呑の水面が波みだった。家の猫が、こちらによってきて、顔を見ている。普段はテーブルの下か冷蔵庫の後ろに隠れるのに。「俺はどうする!」と訴えるようだ。すると、揺れがだんだん強くなってきて、さすがに地震の多い関東でも、異常さを感じた。長い揺れだったので、いつもとの違いを感じ猫を抱え、女房に「いつもと違うから外に出よう」と言って、庭に出た。少したって、揺れが長いなと感じて、家を見ると、波打っていた。「ああこれで我が家も終わりかと!」と思った瞬間、石灯籠が倒れて、灯篭の笠が足元に吹っ飛んできた。電線は「シャンシャンシャンシャン」不気味な音を立てて揺れている。かかえた猫が、「ワォー!」とオオカミの遠吠えのように吠えた。もうただ事ではない。揺れが収まり、家の中に入るとガラスや食器が散乱していた。暗くなる前にと思い、破片をかたずけた。もちろん電気も水道もガスも止まっている。余震を気にしながら、その日は1階の居間で家族四人と猫1匹で寝た。こういう時は、普通の石油ストーブが役に立った。

 翌日、明るくなってきて、外に出ると、自分の自宅は何とか倒壊を免れた(自分で外部・内部の確認は行った)が、隣の家の軒が落ちていた。近所の人が来て、墓を見てきたら「坊ちゃんちの墓石がずれているよ。」と言ってきた(いまだに、ここ(小山)では「坊ちゃん」と、古い人たちから呼ばれている)。その時、被害はそれだけに思えたが、その後、我が家は雨漏りに悩まされることになる。
 少しして、義弟が参加している医療ボランティアと、宮城の離島に行って見ることになった。通常時、義弟のグループは、月に1度ほど土曜日の診療を終えた後、交代で400kmの道のりを自分たちで車を運転して、その島に行っていたのだが、まずは島と診療所の状況確認である。悲惨な状況を目の当たりにした。阪神大震災の時とは違った状況であった。やはり津波の被害が大きい。
 その時に、このグループのメンバーのうち、たまたま、あの日、島から関東に戻る途中に被災したメンバーの話が非常に印象的だった。「地獄だった。」はよく聞く話であったが「トリアージの難しさである」。医療関係者と言うことで「トリアージをしてくれ」と依頼されてやったようだ。
 普段トリアージと簡単に言っているが、いざやるとなると、非常に難しいという話だ。「非情さ」も必要だ。ということ。さらには「身内や友人だったら、できないだろう」と言うこと。これが何を物語るか? これが本音である。トリアージは非情なものなのである。

被災直後の新北上大橋(井手迫瑞樹撮影)

被災から3週間経った後でも行方不明者の捜索は続いていた。さすまたは捜索に配慮して先端が丸くなっている。(井手迫瑞樹撮影)

3.トリアージ戦略
 「橋梁マネジメント基本計画の策定」

 実は、富山市への赴任が決まった時点から、インフラ・マネジメントの戦略を練りだした。調べられる範囲で、事前に調査し、戦略を練った。一番驚いたのは、管理する橋の数の多さである。これは何をするにも大変だ。最大のリスクと言えるであろう。インフラの老朽化対策においても言える。


老朽化は橋梁だけではない

数のリスクの低減が必要

 橋梁の状態などは富山市の発表しているデータなどから推測した。さらに職員の技術レベルは分からないが地元コンサルの技術レベルに関しては、幸いにも(?)本省からの命令で、北陸3県に対し講演会を開催して回っていたので、ある程度は推測できたが、まああまり芳しいものではなかった。特に構造物に関しては、非常に甘いというか理解ができていないと感じた。こういうことは、維持管理の時代においては致命傷である。残るは財政であるがこれはどこの自治体も厳しい状況なのは容易に推測できた。
よって私が富山でまず最初にやるべきことは、「橋梁マネジメント基本計画の策定」であった。
 この中に17の施策を入れたが、その一つが橋梁トリアージである。「数のリスクを減らしたい。」これが本音である。しかしそうは簡単に行かない。ではどうするか? 危機感を植え付けるしかないわけである。平和ボケした人たちに、今そこに迫る危機を理解してもらわなければならない。
 財源は限られる中、どこまでできるのか? 私の感覚では「もうすでに無理」である。しかしできる限りのことはやるしかない。平成24~25年ぐらいに全国で策定された、「道路橋長寿命計画」は使い物にならない。かえって安心させてしまい、無意味で罪なものである。しかし、政治的には良いのかもしれない。これを策定するときに、どういう点検をしてどういうシュミュレーションをしたのか? 想像することは簡単であるが、その責任は重い。

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