道路構造物ジャーナルNET

第60回 NHK『クローズアップ現代』 放送後記

民間と行政、双方の間から見えるもの

富山市
政策参与

植野 芳彦

公開日:2020.12.16

4.責任はだれがとる

 今回のような事故があると、その同様の構造形式の調査が一斉に行われる。これも一つの方法だろう。しかし、それを参考に「こういう構造だからこういうところに気を付けて設計施工し、維持管理には十分に配慮」というのが抜けてしまっている。幅広く、原因に見合う部分の注意喚起を行う必要がある。そうでないと、管理箇所の視点がずれてしまう。一つの構造だけでなく、構造的にコンクリートに埋まっている部分の腐食などにも配慮すべきだということである。猿真似の作りっぱなしなのであるから事故は起きる。きちんと考えて、きちんと作られていても、何らかの理由でのミスもある。設計にも施工にも、リスクが存在している。特に施工においては現場で何があるかわからない。

 コンペやプロポーザルなどを行う場合、本当に実力のある方々がやる分にはいくらでも歓迎する。国際的にはそれが主流である。しかし、安易に構造をまねて導入された構造形式や、デザインという理由で構造設計上無理のあるものなど、将来どうするのかと思うものが結構ある。私自身の経験でも、デザインがありきたり、構造形式に斬新さが無いなどという理由でコンペで負けてきた経験がある。それで、その時、採用されたものが、今後どうなっていくのか内心楽しみなところはある。市町村では、新規に建設する際に自分たちの能力を考えて構造形式を選定したほうが良い。維持管理では如何に天才的な能力があろうと、モノをたくさん見ていないと、判断できない。


山吹橋(人道橋)
老朽化が著しく交通量が少ないために通行止めしたが、地元から復活の要望が寄せられている

 これを言うと、嫌われるだろうが、どうも、市民や学生に橋を点検させ、掃除させれば維持管理が進む。直営点検、直営補修という風潮もあるが、確かにそれで一部は軽減されるだろう。しかし、根本は違う。専門家が責任をもって、判断し実行することが重要である。「自分たちの橋は自分たちで守る」素晴らしいが、補修はどうする?

 我々は、何のために点検していたのか?「義務」だと思っているのではないだろうか?「安全」のためにやっているのである。しかも、点検しても点検だけでは「安全」は確保できない。手堅固に的確に判断し、必要であれば補修していかなければならない。しかし、補修で済めば幸運である。「100年もたせる」「長寿命化」というのはなかなか難しい。前述したように最初から欠陥があるものはどうすべきなのか?安全・安心、長寿命化というのは半分は幻想であり、日本人特有の情緒的な言葉で、技術者としての判断を狂わせる。結構狂わされている方々がいるのではないだろう。

4.まとめ

 今回のNHKの取材は、実は、昨年の夏から続いていた。ディレクター3人、記者2名体制の本気度があるものであったと思う。この3人の方々とは、何度も打ち合わせをさせていただき、気心も知れたと思う。私は、人間が好きで、まじめに取り組む方々が好きだ。3人とも年齢は若いが、それぞれ自分の考えを持ち、まじめに取り組んでいた。私の思い考え方も理解いただいた。

 私の基本方針として自分の考えは、あるが、実は相手の考えややろうとしていることを強制はしたくない。中には逆にとらえている方がいるが基本そうだ。無理強いはしない。基本認めてやりたい。なぜか?というと、大の大人が一生懸命考えて、答えを出そうとしているのを妨害したくない。許容できる範囲で許容していくのが植野流である。

 今回の取材の本来はどうも「住民合意」にあったようである。インフラの老朽化の問題をいかに住民に説明し解決していくのか?というところだろうが、これが最高に難しい。技術者同士ならば、解決できることもできない。考え方も、育った環境も違う人々に、説明して理解してもらうというのは大変である。これが、明らかに、その方々の利益になるならば別であるが、逆に不利益であり不便をお願いするのである。

 ニンビーというのがある、NIMBY(ニンビー) “Not In My Back Yard”(我が家の裏には御免)ということで、迷惑施設が自分の近くに作られるのは嫌だということであるが、この逆である。今まで便利に使っていたものがなくなる。自分のところだけは勘弁してよ!である。これは当たり前の感情である。

 それを住民の合意をとれ、というのは理想論に近い。議員さんやコンサルさんは簡単に言うが、「じゃあ自分でやってみてよ」と言いたい。住民参加の橋の点検清掃もそうである。個人個人の考え方は違うので非常に難しい。それに時間を割いて責任逃れしている間に老朽化は進展し、事故につながる。それは管理者の立場として、阻止しなければならない。責任が伴うのである。

 よくコンサルさんも、「住民同意」とか「PI」という言葉を使うが、実際にやれるのか? やったことがあるのか? 理解のある住民の方ばかりではない。私も6年前に、住民説明会に出て、説明し皆さんの意見を聞いていたら、突然、住民同士が揉め始めてしまった。住民同士の確執や、役所に対する不信感、県民性などの問題を多く含む難しい問題で、簡単に解決できる問題ではない。机上論では進まないのである。その後、ボランティア団体の代表の方にも相談したが「ここでは向かない」という返事をもらって、時期を見ることにした。うまく実行しているところの方々は立派だと思う。よく、「住民の同意を取れ」「住民参加型の・・・」と、提案してくださる方もいるが、「じゃあ、やってみれば」と言うことにしている。非常に難しい問題なのだ。私が「お願いします」というよりも、若い方々が、「やりましょう」と言ったほうが人々は動くのかもしれない。

 番組の中で、遺族の方が「できない理由を考えるのではなく、どうやったらできるかを考えろ」と言っていたが、身につまされた。私が常日頃、職員に言っていることである。役人はすぐにできない理由を一生懸命に考える。役人ばかりではない。民間でもそうである。情けない世の中である。だから、新技術の採用すら思うようにできない。セカンドステージになり、点検診断を再度行いながら、補修をしていかなければならない。しかし、それよりも、補修自体、補修材料、補修工法に関する議論が、あまりできていないように感じる。これが悲しい。
2020年12月16日掲載、次回は2021年1月16日に掲載予定です)

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