道路構造物ジャーナルNET

第59回 職員教育

民間と行政、双方の間から見えるもの

富山市
政策参与

植野 芳彦

公開日:2020.11.16

3.行く手を阻むもの?

(1)モチベーションのアップ
「職員・社員のモチベーションを高めたい」「モチベーションを高めるにはどうしたらよいか?」ともよく聞かれる。これに関しては、すでに高い傾向にある者もいる。しかし、年齢と役職により徐々に低減していくものと思われる。また、上司が下げている可能性もある。組織内では良くあることであるが、上を見て仕事をしているのが実態。やらされ感満載で、「やらされている」という態度が見受けられる。これは、人間として技術者として楽しくないと考えられる。
 なぜ楽しくないのか。同じ命令でも、自分色をつけて楽しめないからである。自分の色をつけ、実行すれば、自分の仕事となる。指示待ちでは道は開けない。組織は個人をつぶす場合もある。つぶされてから、愚痴っても始まらない。ただし、その組織で偉くなること、昇進していくことは、対価としてあきらめなければならない。それが私の価値観。

 地方にいると、学会活動なども思うようにできない。富山に行っていて、つくづく感じた。特に自治体職員は交通費が発生するからである。
 私の場合、「自由に東京に行ってよい!」という約束で赴任したが、実際には「予算をとってない」ということで行けなかった。これで、大きく遅れを取る結果となり、学会とも疎遠になってしまった。それゆえなのか、そのギャップなのか、「学会」というと非常にありがたがっている。
 学会活動には若いうちから参加したほうが良い。参加し発信していく必要がある。何よりも、人脈形成ができる。しかし、周囲の目は気にしたほうが良い。私自身、「あいつは仕事もしないで……」ということになる。しかし、私は皆ができない先進的なことをやっているんだという自負があったので、やってこられた。というか、別に組織で評価されても仕方がないと思っていた。
 個人のモチベーションが低い組織は、いつか限界がくる。それが早いか遅いかである。リーダーはこれを高めてやらなければならないが、なかなか難しい。なぜか? 組織の理論と、自分にも相手にもプライドがあるからである。

(2)プライド
 人間が生きていると、それぞれ様々なプライドを持っている。個人の資質により、これをはずせる者とそうでない者がいるが、はずせない者のほうが多い。プライドは必要なものである。ある程度、経験があっても、本当に技術者としてどれほどのレベルなのか? という疑問はおそらく誰にでも湧くであろう。
 そして、良く「技術力」ということが言われる。「技術力とは?」一体何なのであろうか? これは課題として残しておくことにする。おそらくそれぞれ違って当たり前で違ってよい。ただ、技術力があるかないかは、自分や自分たちの組織がするのではなくて、外部がするものである。よく、プロポーザルの提案書を見ていると、「〇〇〇に精通し……」とあるが、どうも疑わしい。そんなに簡単に物事に精通したという人がいるのか? そういう方に巡り合えれば幸せであるといつも思ってしまう。
 私は判断材料として、まず私自身が、その人を知っているか? 名前を聞いたことがあるか? 誰と知り合いか? 誰誰と親しいか? ということで判断している。これは、一応自分はそれなりの経験と対外活動をやってきた自信があるからである。橋梁業界は狭い。一応、それなりに名前が通っている方々は、お互いに双方で知り合いなのだ。すくなくとも、名前は聞いたり見たりしたことがある。また、5分も話してみれば、その技術者の度量は測れるものである。
 さらに、その思想の中身に関しては、どういう方々との付き合いがあるか? どう感じているかで判断できる。実は、いい加減なことを常にやっている、問題児みたいな方々がいる。こういう方々の口車に乗せられてしまっている残念な方もいるので、判断材料となる。
 根拠のないプライドは邪魔になる場合がある。せっかく学ぼうとしていても、残念な方向に行ってしまってはもったいない。

4.今後の展望

 あの、有名な天才アインシュタインでさえ、「何かを学ぶのに自分で経験することが一番良い方法だ」と言っている。インフラ・メンテナンスでも、実際に物を作ったこともない人たちが、点検をする人数が足りないからという理由で、講習を受け、比較的簡単に資格を取り、マニュアル重視で、表面のひび割れを見つけて喜んでいる。役所も、これで満足してしまっている。点検は点検、されど点検であり、その後の方策が重要なのだ。
 自分の役割は「軍師・参謀」である。今風に言うならば「インハウス・スーパー・バイザー」であると考えている。根本的には、よそ者であり、組織に長年いる方々にとっては途中から、フッと入ってきた厄介者である。好かれようという気もないが、わざと嫌われようともしているわけではない。
 人を指導するというのは難しい。ましてや資質の違いが明らかである様々な人間を向上させるというのは至難の業である。しかし、狭い世界に閉じこもってしまうのが一番良くないと思う。

 社会が複雑化するなかで、今後の地方自治体には、専門分野の「アドバイザー」が必要であると考えている。決して、常駐する必要もない。ある分野の専門家を役所の中に入れ、気軽に相談できる仕組みづくりができれば、官庁も変わる。ただ、ほとんどが相手側の資質によるので、何も感じないものはそのまますぎていくことであろう。
 富山で「橋梁トリアージ」に関してはいち早く提唱した。当たり前の話なのである。これからの社会は厳しさを増す。すべて、今まで通りにはいかない。高度成長期に、要望に任せて多くの構造物や施設を構築してきた、監理するインフラが多い自治体は、相当苦しくなる。「数のリスク」が働く。我慢する時代に突入する。いや本当はもうそうなりつつある。「先が見えない」とよく言うが、そうではなく、見たくないのだ。

「橋梁トリアージ」に関しても、富山市ではいち早く提唱したが、いまだに理解されてはいない。なぜか? トリアージの本質がわかっていないからだ。私の本心は、トリアージはどうでもよく、「マネジメント」なのである。多くのものを「構築し管理していく」という場合の手法を、この国の方々は間違っている。実は自分たちの損得と過去の慣習でいまだに判断してしまっている。


措置としての通行止め(弊サイト掲載済み)

「マネジメント」というと、手法にだけ頭が行く方々が多い。しかし、ここで重要なのは「人」であり、目的に向かって如何に対処していくか? ということである。この時重要なのが「リーダー」である。このことに開眼したのは40歳の時、韓国の高速道路のPFIのマネジャーをしたときである。
 日本人は、みんなでやるという意識が強い。それも正しいと思うが、リーダーは重要で、効果的マネジメントを行うには、これが重要なのだ。韓国では、私という人間を3週間認めなかった。いろいろ試されたが、3週間後、カウンターパートの韓国人たちが「ボス」「マイ・ボス」と言うようになってからは、スムーズに物事が動いた。
 しかし、同僚の日本人はプライドからかこれが認められない。さらに、よそ者を認められないのである。裏を返せば、相手の価値がわからない、認めたくない、というものであり、技術の世界では非常にもったいない考えである。今回のコロナウイルスの件では、「専門家」と言われる方々の意見が、様々な形で報道されていた。しかし、これも偏っている。さらに技術の世界を、日本人は軽んじる傾向にある。
 先日、相談を受けた社長さんに、「実際に自分の経験がない方々に高いお金を払って講演をしてもらい、社員に聞かせているのは無駄だ。これは時間とお金の無駄だ」「社長の自らの思いを伝え、ちゃんと経験のある方の話を聞きなさい」と言った。わかったかどうか? である。
「技術立国」「日本の技術力」という割には、技術者を冷遇しているからそうなる。この国においては、真の技術者が減少している。声が大きい評論家やデザイナーが認められ、本当の技術者が認められない。残念だ。各分野において、それなりの技術力や知見を持った方々を早い時期にピックアップし、それぞれのアドバイスや教育を伝承していただく方策を、大学教育以外にも構築すべきではないだろうか?
 いざ、私は富山市の職員ではなく、政策参与を委嘱された身であるので、これまで以上に皆様のご相談にはより気楽にお答えできる。この部分も皆さん勝手に判断しているようである。
(2020年11月16日掲載、次回は12月16日に掲載予定です)

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