道路構造物ジャーナルNET

㊽新技術の導入(その2)

民間と行政、双方の間から見えるもの

富山市
建設技術統括監

植野 芳彦

公開日:2019.11.16

3.セカンドステージでの新技術導入

 セカンドステージは、「手抜きの点検」でなくて、「補修の議論」が重要だと考える。手抜きの点検の議論は、やりたい奴にやらせておけばよい。どういう補修をするのか?しないのか?という判断が技術者としての仕事である。補修材料は何を使うのか?工法は?いつ実行するのか?緊急なのか?余裕はあるのか?監視すべきなのか?時期を見て架け替えなのか?と技術者の判断材料は多い。本来これらを判断するために行っているのが点検である。
 我々の目的は、何なのか?「市民に安全なインフラを提供すること」である。これはぶれてはならない。しかし、官民ともにずれてきている。せめて官だけでもぶれてはいけない。
 ということで、最近、悩んでいるのが、日本の補修技術である。メタルに関しては、比較的補修技術が容易であり確立されているので、維持管理が容易な構造であるといえると考えている。ただし、塗装の問題が最近厄介になってきているので、懸念材料である。私は、もともとがメタル屋であるので、メタル推奨派ではある。



コンクリート舗装した新屋橋

 一方、コンクリートの補修に関しては、なかなか厄介である。そもそも、コンクリートの補修材料は、欧米での開発材料がほとんどである。これは、非破壊検査機器にも言える。つまり、根本はわからないということである。あまりにも、データが少なく、そもそも、もともとコンクリートは、メンテナンスフリーと言ってきたものである。ではなぜ、劣化しているのか?ひび割れを見つけひび割れを補修すればことは済むのか?ではなぜ、再劣化が起きるのか?そういう状況で、コンサルの実施した補修設計を、安易に信じて補修を行うことは正しいのか?もっともっと議論が必要である。と私は考えている。
 しかし、地方自治体では、なぜコンクリート橋が多いか?これを最近、新設橋の比較設計を見ていて、改めて気づいた。コンサルがメタルを嫌う。これは昔から言われていたことだ。そして、職員がコンサルの比較結果を採用している。なぜコンサルがメタルを嫌うのか?これはあえて言うまい! 〇〇〇・・・・ということである。ということで、情けない話である。
 ここでよく騒がれる、「新技術の導入」であるが、別に騒ぐことはない。当たり前のことである。良ければ使えばよいし、悪ければ使わないということである。何か採用する際に、初めからバリアを張っている方々が多い。これでは何も生まれない。やらされ感満載の仕事姿勢だからである。それはそれで、その人の価値観なので仕方がない。積極的に導入しようというものだけに道は開ける。受け身ではダメなのだ。小さくても簡単でも、積極的に使えないか?と考え使える方法を導くくらいでないと導入はできない。これをもっともっとスムーズにしていくには、産官学民での議論が必要である。そういうことができる場を、作れなければ進展はないと思う。現在は、これが一方通行になっていて、産と学で開発し、官のニーズが反映されない。使ってみるにしても、官は学や産に言われるがまま実施し、その後は何の評価も発信もなかなかしようとはしない。そういったものを、議論し評価できる場が必要であろうと考えている。
 補修オリンピックでも、今後評価していきたいのだが、どうも周りの反応はいまいちである。

4.今後の展望

 インフラメンテナンスを行っていくには、ある程度の技術力は必要であることは言うまでもない。ではそれをどう確保していくのか?よくご意見ををたまわるのは「技術の伝承が必要である」「技術者教育の充実をすべき」ということであるが、これがやってみればわかると思うがかなり困難である。教育者でもない、この私は何ができるか?そもそも私は、他人に教えることは嫌いである。これは、私の生い立ちと社会に出てからの先輩や上司とのかかわり方による。しかし、そもそも、技術者とは孤独なものであり「技術は、丁稚奉公のように身に着けろ」と教えられた。いちいち手を取っては教えてくれない。先輩の様子を見ながら盗み取っていく。時には叱られ、自分の納得するまでやってみて身に着けていくものである。しかし、これが今、社会で否定されている。これで、我が国の技術というものは地に落ちるであろう。地下でひっそりと刃を磨いたものだけが、将来生き残れるのだろう。
 「植野塾」というものを、5年半やってきている。これは、市長との約束もあるのでやっている。当初はこのほかに、「橋梁技術研修」や「どぼじょ研修」などもやっていたが、技術研修は、聴講者の技術力がわからずに、どこまでどういう話をしたらよいのかわからなくなってしまった。何せ、要望がなくなったので自然消滅。「どぼじょ」も同様。「植野塾」に関しても様々な意見をいただく。しかし、これは私の塾である。他人が意見を言うならば、自分でやればよい。参加者がゼロになればすぐにやめる。しかし現在、外部からの希望のほうが高いので、ちょうどもうすぐ、これは関東にでもシフトするべきなのだろう。ここでは技術者の精神論を説いているので、細かな話は別にやってもらえればよい。
 世間の一流の技術者や研究者の方の話も、職員などに聞かせ、刺激も与えてきた。さらに、土木研究所との研究協定でも、連絡会議を公開し、世の中の最先端の話を聞いてもらえるようにもしているが、どうもむなしさが残る。価値がわからないというのは怖い。

 自分の役割は「軍師(参謀)」である。根本的には、よそ者であり、突然現れた厄介者である。好かれようと言う気も無いが、わざと嫌われようともしているわけではない。もうすでに居なくなるのを楽しみにしている連中もいる。それも致し方なく、私をどう使うのかは、富山市や、各個人の判断であるので、無理強いはしない。その辺は冷徹に見ている。実は、ここに来る前にその辺の検討は行い、自分にとって不利であることは、シュミュレーション済であった。それで、何度も断った。正直、「富山の近辺にも日ごろから、技術を自慢している連中がいるだろう」という思いである。しかし、副市長から、「他ではダメなんだ!官も民も経験した植野さんなんですよ。」ということで、その依頼に乗ったわけであるので、その後は自己責任である。60過ぎた身には、老後を考えるとバカみたいな話であると、実は今でも思っている。世の中、損得ばかりで考えない、変な奴もいるということである。この先、もしかしたら、ご褒美があることを夢見よう!
 軍師(参謀)の役割と注意を示した事柄を、子供のころに、軍人であった爺さんから兵法(軍略)とともに教わった。爺さんの真意はわからないが、「参謀10ケ条」というものがある(参考までに)
① 参謀は考案者であり、演出者である。
 ➡常に新しいことを考えている。しかし受け入れられない
② 参謀に命令権無し。
 ➡まさに今の立場。無理強いはしない。
③ 参謀は、発想しろ。
 ➡これは常に考えている
④ 参謀は世論を代表せよ。
 ➡常に目は世間を見ている。
⑤ 参謀は冷厳非情に計算せよ
 ➡なかなか難しい。参謀を悪者にすればよいのだ。
⑥ 参謀は、トップになったつもりで考えろ。
 ➡これはそうしている。俺ならばこうする
⑦ 参謀は足で稼げ。
 ➡やろうとしているが、歳とともに・・・。さらに、動くことは重要
⑧ 参謀は減摩オイルである。
 ➡相手が乗ってこなければ難しい
⑨ 参謀は1つでよいから優れた現場能力を持て。
 ➡実は、老朽化の具合は臭いでわかる
⑩ 参謀は人を馬鹿にしてはいけない。
 ➡思っていなくても、相手が勝手に思ってしまう

 ここには、もうすぐ居なくなる。しかし、どうせこの道は避けられない。世の中が望むならば、この道は続けていきたいし、私を望むところへの協力はしていきたい。
  残り4ヶ月半・・・・!! 

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