3.失敗学としての今回の件
二度と失敗を繰り返さないようにと言っても、おそらくまた起こる。そういう土壌である。これは、地域性でもあるし、意識や感性の問題が大きく影響するので、いかんともしがたい。言うことを真剣にきかない者は必ずいて、何も考えない。言い訳で逃れようとする。今後の対応策を一応実施するが、根本の土壌が変わらない限り変わらない。意識のある皆さんは、改善の方策を官側の策として、考えてみて欲しい。民側の是正策はそれぞれ考えていただければ幸いである。私がとやかく言うことではない。
しかし、ひとつだけ言えることは官側も民側も、問題が発生した場合には「責任と覚悟を持って誠実に対処する」ことである。
(1)設計ミスに関する研修
今回の失敗はなんと言っても「適切な能力のないコンサルに発注していた」ことである。我々は、税金を使って、市民の代わりに発注しているという意識を再認識させるとともに、インハウスエンジニアとしてどうしたらよいのかを全職員に対し講習を行い、意識改革を再度行った。
実は、これは「植野塾」で毎回話していることなのだが、多くの職員は参加していないので改めて建設部の全職員に対して強制的に話す機会を設けた。いわゆる建築系や事務屋さんにも聞いてもらった。それは今回の事象が、「レオパレス問題」に似ているからである。
「植野塾」に参加しているような職員は特に問題は起こさない。意識の差なのである。だれも、「地元コンサルを使わなければダメだ」とは言っていない。しかし、勝手に解釈している。いわゆる忖度しているつもりなのか? 私は、もともと能力別発注ということを唱えている。5年間言っているが直らない。地方の悪しき習慣である。研修で直れば苦労しないが、意識改革の1ステップであるが、どれだけの職員に響いたのかは疑問である。
(2)委託業務先の見直し
能力のないコンサルに発注することがどれだけリスキーなのか? なかなか経験しなければ分からない。
発注業務で一杯一杯の職員には、自分がどれだけ危険なことをしているのか? 税金を無駄に使っているのか? 分かっていないのであろう。発注作業で一杯一杯ならば、エンジニアは必要でなく一般職で良いのである。自分達の日ごろのいい加減さが実は将来的な自分達の首を絞めていることに気がつかないらしい。業務の難易度により適正に業者を選定し、業務完了時には評価を行い、次年度につなげる。
これも5年前に提案し、まがりなりにも橋りょう保全対策課では、完璧ではないが実施されているが、他の部署ではできていない。言っても言っても聞かないのである。
発注仕様書における、資格条件も明確ではない。今後、明確に資格要件を示していくことにするが、地元からの反発もあるので、それに負ける職員も出てくるであろう。
(3)チェックマニュアル
今回は、提出義務のある「照査報告書」において虚偽の報告がされていた。これでごまかされたわけであるが、こちら側としてもキッチリとチェックリストを備え、チェックするシクミを構築することとした。現在、作成中であるが、主要構造物のチェックポイントなどを、業者とこちらの双方で確認したい。中身は国交省等のチェックリストを参考にする。
(4)第三者検証
難易度が高い業務に関しては、コンストラクションマネジメント(CM)のような形で、第三者にも入ってもらい、チェックできる体制を構築する。いわば、CMである。難しい構造物の施工管理も今後、人員などの関係から困難になっていくと思われるので、第3者によるCMを実施できるようなシクミを構築する。現在、八田橋で実施中ではある。本来、私がやればよいのだが、結局、私の言うことは聞かないので外部に出すほうがよいと思っている。
(5)その他
なぜ、このような状況になっているのか? それは、過去の「甘やかし」と「技術力のなさ」「プライドの高さ」「隠そうとする体質」であろう。結局は長年の慣習で構築されているので、いかんともしがたい。
また前述もしたが、本件に関して自分の知識の中で様々なことを言ってくる方がいるが、正直、現場が混乱するのでやめて欲しい。皆さん御存知だと思うが、「設計」という行為は条件により中身が違ってくる。
今回の場合、途中まで工事が完成しているので、様々な制約の中で、影響が極力少なくなるように、修正を実施している。一般的な知識だけでは、判断はつかない。現場の条件を見極めたうえでの意思決定事項である。なんでもそうなのだが、現場の状況や、県民性、住民性、職員の技量など、総合的に知りもしないで、自分の知識をひけらかすような行為は、逆に技術者として最低である。私はそう思ってしまう。
「だったら、自分でやってみろよ。そして責任も取るんだな!」と言いたい。余計なことを言われると、自信のない方々、決断できない人たちは、迷ってしまう。これが、悪影響を及ぼす。
そもそも、「設計」という行為は、仮定と判断の積み重ねである。AIもそういう仕組みになっているはずだ。これは、機械がある程度得意とするところであるが、判断の部分は難しい。ということは、正解値は難しい。設計者、ヒト(考えと言うべきか?判断?)によって結果は異なる。逆にそこが「設計」の醍醐味なのだが、それが理解されがたい。だから、今回の件も、多少の考え方の違いは、いいものの、ルール違反は良くない。
「失敗学」という考え方からすると、今回の件は、能力や技術力が不十分なところに仕事を任せたところから始まっている。そして、私の疑問は、最近では脚の構造や基礎工、支承配置、予備設計にまでさかのぼってしまう。
4.まとめ
今回の件では、工事を受注した佐藤工業、川田工業、川田建設の方々、さらには、伸縮継ぎ手メーカー、支承メーカーの方々に非情にご迷惑をかけた。これを誰も言わないので、この場を借りて、お詫びをしておきたい。コンサルは自分達の設計の不都合が、どれだけ多くの方々に迷惑をかけるのか考えて欲しい。発注者も同様である。机上で解決しようとしているところにも腹が立つ。「関係者の方々、本当に申し訳ありませんでした!」
最近、「本ジャーナル」および「植野塾」のほうが有名になってしまった。「辛口だ」と言われるが、本当のことを言っているだけ。「コンサルきらい」と言われるが、これも今まで受けた仕打ちを思い出しているだけ。しかし、本当はコンサルさんの一部には、何とか頑張っていただきたいのだ。そうしないと、この国は守れない。数社でいいので、お願いします。
「植野塾」は、富山市ではマンネリ化してきて人気がない。おそらく途中から事務局が勘違いしてきている。外部講師を呼びたがる。これは、本来は別のところでやればよいのだ。私がやるから「植野塾」である。一応、どういうことを限られた時間の中で伝えていくかということを考えてやっている。赴任時の市長との約束から、やっているだけで、職員側にその気がないなら、やらなくてよい。そのほうが楽なのである。外部講師を呼んでも、結局は私の負担が大きい。
当然私がやるから、橋梁や構造の話をもとに、職員のあり方やキャリア形成の話をする。「まちづくり」の話が聞きたいのならば、その方面の人間を別途呼んでくればよい。勝手な勘違いが、事故を生む。議会答弁とは違い、われわれは実務をやっているのである。
それに反し部外者からは「植野塾を聴講したい」ということを言われる。これは、オープンにしているので、都合が合えば来ていただいて結構である。何を期待しているのかは考えてみれば分かるのだが、当方の事務局はそれが分かっていないのではないか? 「消化」になってしまっている。
そして外部講師。役人の悪いところである。今年度は無理して、ここでやらなくてもよいのかな? と思い始めた。「植野塾を東京で」とか「どこどこで」ということを結構言われる。希望があれば休暇を取ってでも、やります。会場等をセットしてくれる方がいれば。「意識を共有できる方々と仕事をすることが一番の幸せだ」と、ズ~ッと前から思ってます。
ここで以前に富山退去宣言をしたことを時々聞かれる。それは事実であります。早めに、明かすことは危機管理上も重要であるし、戦略でもある。今後の就活にも、影響してくる。
残り9ヵ月……!!
(2019年7月16日掲載。次回は8月中旬に掲載予定です)