道路構造物ジャーナルNET

-分かっていますか?何が問題なのか- ㊿高齢橋梁の性能と健全度推移について(その7) ‐将来に残すべき著名橋になすべきことは‐

これでよいのか専門技術者

(一般財団法人)首都高速道路技術センター
上席研究員

髙木 千太郎 氏

公開日:2019.06.01

3.過去に学び、最新の技術によって現代に活かすこととは

 過去に学び、最新の技術によって現代に活かすこととは、と当然と思われるような言葉を使って話を始めているが、私が常に気を付けていることであるので敢えて使ってまとめの話をしよう。まず、橋梁の長寿命化についてである。長寿命化という語句を使い始めた時には、周囲の人から補強と何ら違わないのに、何故新たな語句を使いたがるのか苦言を呈されることがたびたびあった。長寿命化と補強では言葉の響き、意味が違うと私は真から思っている。社会基盤施設の高齢化が急速に進む現在、更新ピークや大規模修繕ピークを交通の規制なしに乗り切るためには、管理している橋梁を長寿命化することで、そのピークを先送りすることが必要である。
 であるから、耐荷性能や耐震性能を向上させるために部材や構造を補強するのではなく、対象施設の寿命を延ばすことを第一に対策(措置)を行うからだ。そのためには、何を為すべきか、過去の良き参考事例を取り上げて、持論を中心に解説してみよう。最適な事例、明治年間に架設された鋼アーチ橋を補強して平成年間まで使っていた『萬年橋』を紹介しよう。

 これから話す『萬年橋』は、東京都青梅市の多摩川を跨ぐ2ヒンジ鋼アーチの道路橋である。長寿命化前の『萬年橋』は、歩車道区分も無く、群衆荷重(400貫/坪)のみ一律にかける時代、明治40年(1907年)に、橋長89.1m、構造形式ブレースドリブ2ヒンジアーチ橋で建設された、当該箇所二代目の道路橋である。
 明治40年と言えば、明治37年に建設された『両国橋(一部南高橋として中央区・亀島川の移設供用)』と明治45年に建設された『新大橋(一部、明治村・愛知県に移設保存)』に挟まれた時代である。図‐6に『両国橋』3径間鋼トラスのイメージ図、写真‐23に供用していた当時の状況を示した。


 また、図‐7に『新大橋』3径間鋼トラスのイメージ図、写真‐24には当時期待を持って迎えた開通式の状況を示した。ここで紹介した隅田川に架かる2橋の道路橋は、種々な書籍や資料で紹介され、建設の経緯や採用された構造形式は多くの技術者が知るところである。今回説明している『萬年橋』は、同様な技術で狭間の年に建設されたが、多くは語られずにひっそりと明治40年に供用開始後、原形のままの姿で36年間供用されていた。


 写真‐25が後で紹介する補強2年前に撮影された全景である。写真‐26は、同時期に撮影された橋面であるが、木製の床版、高欄、親柱であることが分かる。ここで興味を引くのは、親柱に示す建設年次が昭和9年(1934年)11月となっていることである。建設当初の『萬年橋』は、床版が木製であったことから、車両の通行や木材の傷みから何度か交換され、使われていたものと推測される。このようなことから、補強2年前の親柱の建設年次は昭和当初となっていたと私は考える。


 写真‐27は、先の木製床版と高欄等が交換された建設年次昭和9年11月から11カ月経過した時の鋼主構、床版を支える鋼横桁、木製床版の状況である。床板を新たな材料で交換してから、11カ月の状況であるならば、太い矢印で示した床版の端部の変状を見ると進展が早すぎるような感じがする。もしも交換時期が正しいのであれば、かなり傷みが顕著であるように見て取れ、気候の良い山間部であっても、冬季の積雪や極寒等から適切に保全するには、専門技術者の想像を超えるメンテナンスに関する暗黙知が必要であったと思われる。
 写真‐28は、前写真撮影時から7年経過した昭和16年10月の『萬年橋』の外観である。驚くことに、木製の高欄に挟まれた狭小な車道空間を路線バスが走行していることがはっきり確認できる。
 『萬年橋』の路面上を走行する車両は一歩間違えば、木製の高欄を突き破り、多摩川へ真っ逆さまなのだ。当時のバスの運転者や一般車両の運転手は、約90mの一本橋のような道路橋をハンドル操作に細心の注意を払って運転していたに違いない。現代の自動運転と比較すれば、ハンドル操作だけではなく、アクセル、ブレーキ、そして最も難しいクラッチ操作に細心の注意を払って運転することは難しく、運転操作が楽な方向に走る現代との対比を見ているようで面白い。
 私は、セイフティ機能を満載した現代の車両が、近年なぜ事故を頻繁に起こすのか専門家に聞いてきたいものである。私は考える。人間の五感が衰えると、自らの周囲に気が伝わらなくなり、触覚も機能せず事故となるのではとも思う。私は、技術者もそうなるのではないのかと、ICT社会に一抹の不安を感じている。

 『萬年橋』も供用開始後30数年経過すると社会情勢も大きく変わり、山間部の奥多摩でも自動車交通が主となり、交通量も右肩上がりで増加していった。当時の管理者は、大型車(現在のようなダンプではないが)などを、明治年間に建設され『萬年橋』の木製床版上を通行させるのは、安全上危険な状態であると判断したのであろう。この『萬年橋』を種々な課題があったが架け替えました、で終わっては教訓にもならず、面白くもなんともない。現実は、そうはいかない社会状況であったのである。国内の状況は、日米交渉を打ち切り第二次世界大戦に突入する背景もあり、『萬年橋』を更新する費用も、それに必要な資材も無い時代であった。

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