3.役割分担
前文を見ると、「あいかわらずけなしているなあ」と思われると思う。しかし、そうではない。無理をするなと言うのである。学には学の、官には官の、民には民の、それぞれの役割がある。それぞれの立場で、多くの方々が安心して幸せに、便利に暮らせるようにしていくのが我々の仕事である。しかし、この役割分担を、勘違いしてしまっている方々が実に多い。さらに、開発する者とそれを使う側のもの、総合的に判断して行く者という違いもあることを忘れてはならない。
なかには、協議の際に、さも自信ありげに、知見をひけらかそうとしていく方がいるが、すぐ見抜けるものである。時々、意地悪な質問をしたり、無視している。以前、建コン協で「新ビジョン」を造った時に、「ずいぶんと、手前味噌なことを言っているなあ」と内心感じていた。世の中の基本として、何のためにやっているのか? お金は何処から出ているのか?
学に望まれるのは、研究と教育のプロ。基礎研究と、その早期の実現化、さまざまな課題に対する知見を活かしたアドバイス。官はあくまで実行者である。現在では調達のプロ。民は専門業種の実行補助者であり、現場のプロであって欲しい。
しかし、今これがごちゃごちゃになってしまって、勘違いしている方々が多い。そして、本来の自分達の役割ができていない場合が多い。これが問題である。そして、どの分野の方々も、一番弱いのが、現場対応と実行するということ。「問題は現場で起きている」「机の上ではない」。
維持管理において、一番自分達の立場を理解しなければならないのは、官の人間である。点検結果を本当にわかって判断しているのだろうか? 補修工法はそれでよいのか? 将来的な維持管理計画は? どのようにマネジメントするのか? 点検結果を「ハイハイ」と受け取り、補修設計を行い、またここで「ハイハイ」。そして、補修工事を実行。業務の流れとしてはすばらしいが、分かっているのか? 疑問はないのか? しかし、今、我が富山市の橋りょう保全対策課ではなくなりつつある。ただ、他の部署はそうでもない。
書類が回ってきた際に、おかしいものがあった。いわゆる拡幅案件で、既存の橋梁に拡幅部を足すもので、まず、既存の橋梁と新設橋梁の構造形式を変えている。そして、たて目地を入れているのだが、これは施工も大変であるし、将来の弱点にもなるのでいただけない。担当者にいろいろ聞いていくと、必死に言い訳をする。コンサルの肩を持つ形だ。そして、ついには、係長まで言い訳で、コンサルの味方をする。私自身でも若かりしころ、拡幅案件も段階施工も経験があるが、既設部と新設部は構造形式をあわせていてもなかなか施工に工夫が必要である。供用してしまうと、桁がなじんでしまうので、計算どおりのキャンバーでは収まらなくなる。「施工前ならまだ直せるよ」ということだけを言ったが、そのまま進んでいるようだ。
これは、仕事を処理するという上では良いだろうが、税金の執行者としては、背信行為であると思う。だから、点検結果を鵜呑みにするのは問題である。なにせ、表面だけを診ているだけなのだから。その裏に隠れている、課題を見抜けるかどうかのほうが問題である。最大の問題は、おそらく、個人のプライドだと感じている。分かったふりをしなければならないというプライドが問題となってくる。
私が最初に入社した橋梁メーカーでは、入社3年目までは、関連部署を1年ずつ経験させ、配属が決められた。設計⇒工事⇒工場と回り、設計部に配属されたのだが、先輩からは、「わからないことは、わからないと言え。何でも聞け」と言われたし、悩んでいると、先輩が回ってきて、「何に悩んでいるんだ?」と聞かれたりもした。現場では、下請けの職人さん達からも学んだし、工場では工場の職人さんからもいろいろ教えてもらった。先輩から、「お前は教えてもらう立場なんだから、職人さんが来る前に出勤し、現場を掃除しておけ」とも言われたし、ボーッとしていると、ボルトが飛んできた。今で言えば、“チコちゃんに叱られる!”である(そんなに優しくないが)。いまでは、パワハラになってしまうだろうが、技術者の世界はそういうことで高めていくものだと思う。経験しなければ分からないし、失敗も必要である。
外資系のコンサルの顧問をしていた時に、社長(フランス人)から聞いた話で印象深かったのが、「フランスでは技術系大学を卒業すれば、『エンジニア』であるが、日本人はそうではない。何年か実務経験しなければそうはならない」この違いは何なのであろうか? また、ここを勘違いされている方々はいないだろうか?
エンジニアの教育というのは、非常に難しい。振り返ると、各所々でやってきて、現在も「植野塾」という形でやってはいるが、効果のほどは疑問である。特に、官庁では技術者を育てるのは難しい。本来、目指すものが違うのではないだろうか? 何も目指してないのかもしれない。実務家を目指しているのであるから、経験こそが重要だと思っている。
4.まとめ
新年なので、私の最近のエピソードから。
先日、大学時代のクラブ(少林寺拳法部)の同期メンバー6人で久しぶりに旅行に行った。私の同期は最初13人いたが1年後は6人になっていて、人数が少ないので、比較的まとまっている。話題は病気の話と親の介護などの話。大酒のみだった奴が1滴も飲まなくなっていたり、癌で3回手術した奴もいて、こいつが「セカンドオピニオンの重要性」を語っていた。医者によって思い込みもあり、見つけられなかった。と言うのだ。それで、病院を変えて助かったと話していた。
わが自宅(栃木県小山市)は、31歳の時に立替で新築し31年経過。数年前の東日本大震災でだいぶ揺すられた。当初からなのだが雨漏りがひどいので、リフォームを考えている。このたび、耐震診断も行ったが、意外と耐震性は健全であった。耐震に関しては、建築基準法改定以前に、地震の揺れに対する方向性と建物形状、「耐震壁」に配慮したつもりである。
雨漏りに関しては実は新築時からで、当初は3箇所から漏っていた。業者に診てもらい直したが、その後も2箇所は止まらなかった。業者も分からないというので、仕方なく自分で診て直し、さらに1箇所は止めた。しかし最後の1箇所はダメで31年付き合ったが、今回再度挑戦する(もちろん別業者で)。この状況を鑑みると、何が悪かったのだろうか? 仕事とも共通点がある。
① 業社選定のミス
地元の工務店で立てたが、担当者が使い勝手よりも、デザインばかり気にしていた。そして、非常に話好きで、技術者としては珍しいな?と思っていたら、後で分かったのだが、建築士ではなかった。打ち合わせ時の話も、自分の話ばかりに気が行き、私の話を聞かない。後で、母親に聞きなおしていたようだった。そこで、完成時に私が業者に対し言った言葉、「こんな家は頼んでいないので、持って帰れ。別なところに発注し直す」。検査に立ち会っていた方々は全員、唖然としていた。まず、意見を聞けないのはダメ。さらに近年、デザインを重視する風潮がさまざまな方面であるが、悪いと言わないが、肝心な部分の検討も十分にしなければ、ダメである。
② 31年間の放置
当初、10年から15年で、ある程度の補修は考えていたが、子供の進学時期などの状況からできずに、ここまできてしまった。個人の物件なので、所有者判断である。しょっちゅう、足場をつけて補修している家も見るが、どうするかは、所有者の判断が重要である。
③ 雨漏り
雨漏りの原因箇所は、窓枠とベランダの防水である。通常は屋根そのものがおかしい場合もある。おそらく施工事のミス。水を止めるというのは、実は非常に難しく、かなりの技術力が要る。防水工事をやったからといって安心はできない。
――である。さてここで何が言いたいか? いろいろ含んでいるがお分かりか?
(2019年1月16日掲載。次回は2月中旬に掲載予定です)