1. はじめに
また、議会である。役所、特に自治体の業務を停滞させる最大の要因は議会であると思う。しかし、本来の地方議会の役割を有効に果たしているのであれば、其れは重要である。この議会中で、なかなか予定が入れられない場合があるのだが、経験のない方々には理解し難いようだ。
最近気になるのが、「働き方改革」「裁量労働制」である。働き方や仕事のやり方は自分で決めればよいのである。特に、我々建設技術者は、まず、修行時代は、時間なんて気にならない。技術者は納得するまでやらなければ、一流にはなれない。さらに、これはまた反感を買うだろうが、組織や会社の仕事だけしているようでは、殻は破れない。私の親しい方々は、組織の仕事以外に、この国の将来を考え、何かやってきた方たちである。何かやっていなければ、人脈も出来ない。考えない人間を多く育ててしまった、ところに根があるのかもしれない。今回は、先月、面白い方々にお会いして、またいろいろ考えさせられたので、其れを書いてみたい。
2.ISVという考え
ISV(インハウス・スーパー・バイザー)という事を推奨し、自ら実践されて居るのが、九州大学の高尾先生である。ひょんなことから、私の部屋によっていただき、お話をさせていただいたが、これまで、もやもやしていた物が晴れる思いだった。当初から、まさに相通じるところがあり、分野は違えど目指すものは一緒だと感じた次第である。高尾先生の考え方、やられていることに感じ入った次第である。
実は、若かりしころ、海外の案件をやった時に「スーパーバイザー」という役職の方が相手方に居て、其の権限や仕事がかっこいいなあとあこがれていた。それで其れを目指してきたわけであるが、これまでの仕事の中で、何度か「アドバイザー」という名称で対応したことがある。
スーパーバイザーの成果?
土木学会鋼構造委員会道路橋床版の点検診断の高度化と長寿命化技術に関する小委員会で興人橋を調査
(左:興人橋前掲、右:塩分量測定で使われた蛍光X線分析計「VANTA」)
Single i 工法
どうも、高尾先生とも依然、ニアミスしていた可能性があることが、判明した。福岡県の柳川市である。ここにまた、柳川市の職員ですばらしい方が居る。(この方のことは、今回は書かない)
アドバイザーというとなんか中途半端のようなイメージになってしまうが、スーパーバイザーには、本来、責任と権限があるはずである。この辺が、変な形になってしまうのは日本の悪いところである。インハウスエンジニアの技術力の低下とか、技術力を持った人間の退職とか言われているが、国や公団関係を除けば、すでに居ないというのが正直なところだろう。また、役割が違うので、インハウスエンジニアが無理して技術力をかたらなくてもよいと思う。簡単に言うと、分かる人間に相談できれば良いのである。其れが、インハウスに居ればインハウススーパーバイザーである。
これは、特に専門性の必要な分野において有効である。
話はそれるが先日、ある業務の打合せを行った。富山市担当3名と、民間コンサル3名で行ったが、富山市側3名とも技術士、民間側3名のうち2人RCCM、1名無資格、技術士は居らず。だった、資格が全てではないが、なにかおかしくないか?我々発注者は、お金を払って、専門家に委託しているのであるが、資格の面で条件を満たしていない。技術士の資格を持っているから偉いと言うのではない。資格の有無が有る意味、其の個人と企業の仕事に対する姿勢を表すひとつの指標になるのだ。一方、「俺は技術士だ」と威張る方も居る。これも、いただけない。やはり、ある協議で、揉めた時に、某社の社長さんが「俺は技術士だ!」と言い出した。発言が理不尽なので、わざわざ言うことではないが「すみません、私も一応、技術士ですが。」と言うやり取りに成った、少なくとも日本の技術士には、さほど権限が無い。これも、残念なことなのだが、そういう世の中である。何が言いたいのか?やはり、今の世の中、双方に専門性が欠ける中で、スーパーバイザーは必要であるのではないか?という事である。民間側にも必要である。
現在の世の中にかけているのは専門性と総合力である。民間のコンサルに発注しても課題解決に至らないのであれば、其の発注自体が無意味なわけである。なぜそうなることが多いのか? 専門性に欠けているからである。机上論が多いのだ。実際の経験が無いから机上論になる。現在の、日本の社会では、○○社に居たというのが、評価になる。しかし、海外では、○○や××をやったという実績が評価になる。テクリスやコリンズというものがあるが、あれは業務としての経験値である。
最近では、技術者の実績を、インターネットで個人検索すると言う方も居る。このほうが、対外活動も含めた真の実績が出てくるからである。個人のキャリア形成としては、自分の実績や取り組んだ内容は自己管理しておくべきである。
そして、今の日本の官庁にかけているのは、「専門性」という能力である。専門的知識が無い、育てられない組織になっているので、欠けている部分を外部から入れるしかない。これまでは、シンクタンクやコンサルに頼って、ごまかせた時代であるが、社会が複雑化していく中で、様々な専門性や実績に基づく知見が必要である。
高尾先生の考えていらっしゃる、「インハウススーパーバイザー」は今後、複雑化する社会の中で、「インハウスエンジニア」や、民間技術者の知見が減少している現在、無くては成らない制度となるであろう。これに、気付いた自治体が、持続可能な自治体になっていくことであろう。このときに、気をつけなければならないのが、似非の専門家、有識者である。いつもだが、TV番組を見ていると著名なシンクタンクの方が、教科書的な話をしている。これは自分でやってないからである。経験していないので重みが無い。海外のシンクタンクやコンサルには現場の知見が豊富にある方が多い。
日本のシステムは何かが抜けている。大切な仕組みが欠けている。だから、実態と理想が伴わないどころか、私は将来不安であると思っている。上辺だけがまかり通る時代、そんな時代にしてしまったのは、誰なのだろうか?