総合力で取り組むべき「コンパクトシティ」
減少していく財源 時間との勝負
3.架け替えのマネジメント
富山市は、市としての主要施策に「コンパクトシティ」という事を掲げている。コンパクトシティとは、「選択と集中」を的確に行い、効率的な都市を目指すわけであるが、批判も多い。批判と言うのは、町中だけを手厚く山間部を薄くしているのではないか? という、妬み、被害者意識によるものが大きい。コンパクトシティは、まちづくりの手法として注目を浴びているが、そこには、公共交通網の整備、存続やインフラの保全など、総合的な施策が必要であり、総合力で取り組むべきものと考えている。役割分担として、私はインフラの管理を担っているのである。今後、街の中心の橋梁や山間部の橋梁を、計画的に架け替えをしていかなければならないであろう。おそらく、数橋ずつ、なるべく負担が重ならないように、計画、設計、工事へとマネジメントしていかねばならない。それも財源が減少してしまわないうちにやらねばならないので、時間との戦いとなる。おそらく、皆さんが感じているのとはだいぶ違う、ハイペースで取り組まなければ成らない。我々に残されている時間は少ないのである。これが理解できない方々が多い。
維持管理はオーダーメイドで考えるべき
今後の人口減少化の社会はこれまでと違った社会である。「社会情勢の変化」と言う言葉も最近良く耳にするが、皆さんは本当に感じているのだろうか? 結局、これまでと変わらない考えでやっているのではないか? そろそろ、実状と真実を理解し、今後どうして行けばよいか真剣に議論すべき時期だろう。うわべのきれいごとで考えても埒は明かない。私の発言は、「厳しく過激だ」と言う方々も居るが、まだ10分の1程度である。「モット厳しく」と言う方もいる。橋梁関連業界を一通り経験してきて、実態を見てきているので、裏側もわかっている。無駄なことをしている時間はもう無いということを強く言いたい。「八田橋」の架け替えは、その検討経緯からさまざまな課題を含んでいる。維持管理の問題は、全て同じではないので「オーダーメイドで考えること」が重要であるが、ひとつの指標になればと思う。
さらに、「荒廃する日本」とならないようにと言うことで、インフラの老朽化問題が叫ばれているわけであるが、わが国特有のこの業界や役所の都合や、企業間の実力差の評価を正当にして公表していくという議論が抜けてしまっている。後々問題になるだろうが、現在の皆さんにはなかなか理解されないと思う。最近、感じているのが、私はこれまでの多くの時間を東京で仕事をし、多くの企業の技術者とも付き合ってきた。さらに、これまでも、地方の技術者とも付き合っているが、感じていることがある。皆さん、「技術・技術・・・」と言うのであるが、たどり着いたのは、やはり「きちんとそれなりの経験をし、きちんと訓練を受けた技術者でないと適正な判断はできない」という事である。簡単な仕事はまあ、それなりな「技術者もどき」にやらせておけばよい。しかし、今後に影響するようなことはちゃんとした技術者と議論したいのが本音である。
橋を思う心が大前提
私が、富山市で進めていることも、実は間違いかもしれない。失敗かもしれない。これは常に考えている。しかし、何も工夫しないよりもよいのではないだろうか?少なくとも、これまでの自分の実際の経験則に基づいて実施している。失敗しても成功しても、世に示そうと考えている。そして、後進の方で、同調してくれる方が、さらに工夫と改良を続けて欲しい。残された時間は少ないのである。
良く、「(橋梁の)維持管理において何が一番重要か?」と言う質問を受ける。それは、「愛橋心」だと答える。個々の技術はあたりまえとして、「橋を思う心」である。自分のやった橋はもちろん、橋に関してどれだけ興味があるかという事だと思う。明らかな施工不良の橋を見ると、「この橋をどんな気持ちで造ったのか?」疑いたくなる。少なくとも自分で関われば、出来るだけよいものを造ろうというのが技術者の精神だと思うのだが。(次回は10月16日掲載予定です)