道路構造物ジャーナルNET

⑱インフラ・メンテナンスの地方の状況~モニタリング~

民間と行政、双方の間から見えるもの

富山市
建設技術統括監

植野 芳彦

公開日:2017.05.16

3.検証は?

 ここで、モニタリングシステムでのデータ検出でも、一般的な点検においてもそうなのであるが、事象を見たときに、どう捕らえるかと言うことであるが、これもなかなか難しい。たとえば、コンクリート橋で鉄筋が露出していたり、鋼橋で鋼材に孔が明いていたりすると、すぐに何かしなければならないとか、危険だと思ってしまうのは、仕方が無いが、其の部材がどうなのか? 橋全体としてどうなのか? ということを、理解する必要がある。
 点検結果の評価でⅠ~Ⅳで評価し、Ⅲ以上であれば即座に補修を行うことがルールとなっているが、これに関して財政(予算)のことがまるで考えられていないので、のちのち問題が出てくるであろう。富山市においては、このⅢの評価の中身をさらに、a~cに分類し、Ⅲの中でも緊急度や、損傷の重要度を区分して、補修行程の平準化を検討している。
 これが、「トリアージ」の一部であるし、職員がコンサルから状況を聞きながら評価する「セカンドオピニオン」である。たとえば、直さなければ成らないのだが、損傷が小さい場合は、数橋まとめて補修するなどの仕分けも行っている。
 実は、橋を診断するのに、実績や経験を多く持った認識のある者がキチント視れば、そんなに時間や費用を賭けなくても、課題は解決すると思っている。特に自治体程度の橋であれば、さほど問題はない。橋の診断を行っている方々がどれだけの、実際の物をこれまで見てきたか?ここで言う、診断とは、点検とは一線を隔てる物であることは言うまでもない。
 点検は事実を伝えてくれれば問題は無い。其れを技術者としての経験と五感を駆使し判断するところが本来は重要なのである。ところがである、世の中は点検にばかり議論が行き、本来の重要な部分がおろそかになっているように思える。責任を持って明確に判断できる人間が重要なのである。
 そこで、管理する橋の数が少なければ、職員が直営でも点検できるが、そうは行かない管理者も多いので、点検を委託しているのである。事実を調査して結果を教えてもらい、判断していくのが管理者の責任であり、仕事なのである。
 点検、診断の後に、補修になるわけであるが、私が一番疑問なのは、ここで安易に補修方法などを決めていないかと言うことである。世の中に、さほど良い技術はいまだ無い。そして、其の評価も明確にされていないのが現状であるが、コンサルや施工業者の提案を、安易に受け入れすぎては居ないか?ということに非情に疑問がある。やはり、皆さん“良い人”なのである。私は、“悪いに人”なので、自分の信頼した人間以外の相手を疑う。必ず裏を取る。
 開発業者さんが「技術審査証明」レベルの認証を得ていれば、話は早いのだが、そのレベルのものを持ってきたのは2社のみである。さすがに、ある程度の企業では「技術審査証明」という制度を認識している。しかし、其れすら認識の無い企業が、これまた多い。また、コンサルタントにいたっては、そういう制度すら勉強していない。インフラのメンテナンスに関する国の支援としては、そのような技術支援のほうが有効ではないだろうか?(たとえば、各補修技術の評価を実施し公表するなどの)
 私も含め、学も官も民も日本の技術者が欧米並みの技術レベルであれば、問題も少ないとは思うが、なかなか日本のシステムではそうはいかない。きちんと判断評価するという教育を受けていない場合が多い。経験の中でしか培われないのだが、近年の状況を見るとそれも無理なのではないかとあきらめてしまう。私が社会に出たのは、1980年代である。このとき日本では本州四国連絡橋の工事が真っ盛りであった。新卒の私でさえいくつか担当した。一方で、進んでいる方々は、「今後は維持管理の時代に入る。」と、主要橋梁メーカでは維持管理専門会社を子会社化する動きもあった。しかし、世の中がそのようにはならなかった。そして、30年後の今、世の中はメンテナンスの時代に突入した。すると、ここで、これまで橋に関わったことも無い方々が参入してきた。其れはそれで、数が増えること、同志が増えることは良いのだが、今のかたがたは、勉強していない。わかったようなことを言い、それに、乗っかってしまう管理者・発注者がいることが問題である。
 インフラメンテナンスは“実”の世界である。現実なのだ。ここ、富山市役所内においても、これまで、モノを造ったことが無い方々が、理想論を言っている場合に直面することが多々ある。ソフト系の業務、計画系の業務はどちらかと言うと“虚”ですむ。フィクションでも何とか成るのだが、インフラメンテナンスは“実”(ノンフィクション)なのである。何かをやれば何かの結果を要求される、厳しい世界だと言うことを忘れてはならない。上辺だけの教科書的知識をさらけ出して、能書きを言われると、「残念」を通り越して「怒り」がわいてくるので、「いけないな」と反省するのだが、腹が立つ。私のような愚直な者には、やりずらい世の中である。

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