道路構造物ジャーナルNET

-分かっていますか?何が問題なのか- ⑲ 勝鬨橋の跳開について

これでよいのか専門技術者

(一般財団法人)首都高速道路技術センター
上席研究員

髙木 千太郎

公開日:2016.11.01

3.跳開設備に見る技術者魂

  勝鬨橋は、橋梁本体構造の設計者である安宅勝と全体の取り纏めと跳開設備の設計などを行った瀧尾達也の技術者魂の詰まった傑作である。国内に可動橋の技術が不足していると感ずれば、海外に目を向けて利用できそうな技術を数多く導入する勝鬨橋建設に関わった諸先輩の姿は、インターネットが情報収集の中心となった今日でも師と仰ぎ、学ばなくてはならない。米国の可動橋設計コンサルタントやシカゴ市DOTなどで勝鬨橋の写真、図面及び現状を見せると、彼らは決まって次のように発言する。「This is great work.」「It is same as technique that we have.」、「Who designed this device ?」、そして最後に「It is a great device usable for a long time.」海外の技術者も勝鬨橋の橋体、特に跳開設備を褒める人はいても、ダメ出しをする人はいなかった。そして、今勝鬨橋は、開閉を止めていると話すと、それは非常に残念だ、東京の玄関にこのような素晴らしい橋があって、開閉しているとすれば、大きな観光資源になるのではないのか?もし日本に可動橋のスペシャリストがいなくて我々が必要ならば、何時でも手伝うから声をかけてくれと。彼らが示した跳開橋のバランスのとり方に関する考え方を図-5に示したが、トラニオン軸を中心に計算を行う方法は万国共通のようである。

  次に、勝鬨橋跳開のポイントであるトラニオン軸と周辺設備である。機会があって、勝鬨橋跳開の基本軸であるトラニオン軸を開けて確認したが写真-10、11、12がその詳細状況である。


  写真で明らかなように数十年経過したトラニオン軸表面は、稼働傷や腐食は全くない、綺麗な状態であった。他の伝達装置も確認したが、設計者の長期使用を想定した設備づくりの意図が分かるような全く腐食の無い素晴らしい状態であった。
  私は、海外で数多くの可動橋を見てきている。多くの可動橋は、担当している技術者の愛情が種々な箇所に感じられ、日々丁寧にメンテナンスを行っているのがはっきりと感じられる。
その考え方は、自分の担当する橋梁への愛情だけでなく、橋梁を利用する人々の安全と快適を保つ努力を心掛けているからである。
  勝鬨橋は、70年以上経過した状況であっても通常開けることのない重要な設備は全く腐食なく、何時でも使える状態であるのは何故であろう。海外の可動橋の多くは、勝鬨橋のように設備関係、特に重要なトラニオン軸周りや力を伝達する歯車設備を保護するような構造にはなってはいない。設計者・瀧尾達也の熱い思いであろう。我々も、勝鬨橋を愛した関係者、技術者の熱意と努力を学びたいものである。

4.勝鬨橋は、開けることができるのか?

    表‐1は、先に示したT-grid床版を鋼床版の交換した時の重量と重心位置及びモーメントを算出した結果である。これを見て分かるように、設計当初、跳開桁等のバランスに苦労したポイントを十分に理解して打替えを行った結果である。確かに、現場に行ってみると木製檜の床版が一部残っているのは、微妙なバランスを可能な限り壊さないように配慮した結果であろう。要するに、跳開を止めたのではなく、再度跳開の機会が来るに違いないと考えて、考えて今があるのである。その苦慮した結果の一部がこの表から読み取れる。
  更に、重要な隅田川内にある橋脚の安定性である。これも、計算した結果は、表-2で判るように対策が必要ないのである。勝鬨橋跳開部分の下部構造は、


  現況の橋脚安定計算を行った結果、設計当初から当該橋梁の重要なポイントであるとの考えからか、当時は過大とも思えるような安定度であったと思う。それが、現在の耐震設計上においても、十分な耐力を持つのは設計者・安宅勝の技術者としての先見性かもしれない。ここに示した、私の個人的な考えによる再跳開の可能性は種々な面での検討がなされていないことから一部夢物語と感じられる方もいると思う。しかし、勝鬨橋の美しい雄姿は、何度も計画の中止を余儀なくされ、不安定な地盤に種々な対策を講じ、夢の懸け橋となるべく努力した先人の思いが詰まった姿である。また、寄る年波で疲れ果てた床版やシェアーロックを交換する際、必ずや再跳開の時期が来ると考えた結果が先の意示した内容である。最後に、海外の可動橋で体験した耳の痛い話を紹介して終わることとする。

  何時もの悪いマニアックな癖で、可動橋を見ていると直ぐに機械室に入って聞きたくなる。この時も機械室にお邪魔し種々な事を聞いていたところ、「これから、船が通るので開けるから見ていけば」とのことであった。通ったのはこの一艘だけである。機械室で跳開装置を操作していた人いわく、「開けるために造った橋だから、開けて当たり前。通りたいとの要望があれば何時でも開けるよ、例え、一艘でもね」である。大型の場合は両側、小型の場合は片側、言われてみれば当然のことである。当然なことが考えられない、できない、嘘をつくから国内の技術者は多くの技術者でない人々から信頼されないのである。

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