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-分かっていますか?何が問題なのか- ⑲ 勝鬨橋の跳開について

これでよいのか専門技術者

(一般財団法人)首都高速道路技術センター
上席研究員

髙木 千太郎

公開日:2016.11.01

2.勝鬨橋の歴史と行われてきた対策

 前回、勝鬨橋についてお話しした時に米国・ニューヨークのコンサルタントの専門技術者の弁で「現状であれば、十分再跳開は可能である。」とのコメントを記載しているのでお分かりと思うが、私は今でも「跳開は十分可能である。」と強く思っている。

1)勝鬨橋の歴史と跳開機能及び補修工事の概要
  勝鬨橋の架橋は、数々の困難を乗り越え3度目の正直で実現したのである。一回目は、1911年(明治44年)に現在の200m上流に架設する建議案を東京市議会に提出、1915年(大正4年)8月に決定したが、実現せず。第二回目は、1919年(大正8年)に現在の位置に5径間で中央部が45mの可動橋とした案を提出したが2回目と同様に資金難から実現しなかった。3回目の計画は、1930年(昭和5年)12月の市議会で可決され、ようやっと勝鬨橋の建設が決定した。建設工事は、1933年(昭和8年)6月に着工、7年後の1940年(昭和15年)に竣功した。供用を開始した当時は、1日5回開閉していたが、戦後は1日3回と開閉回数が減った。その後、晴海通りの交通量の増加と、隅田川を航行する船舶が少なくなり、1967年(昭和42年)5月が通船としての最後の開閉であり、1970年(昭和45年)11月が最後の開閉、1980年(昭和55年)に動力部への送電が停止され、勝鬨橋は開かずの橋となった。勝鬨橋の諸元は以下である。
橋長:246.0m
有効幅員:22.0m
中央可動径間:44.0m
側径間:86.0m×2
構造形式:上部工-中央径間:シカゴ型固定軸双葉跳開橋
側径間:ソリッドリブタイドアーチ橋
下部工-橋台:半重力式鉄筋コンクリート構造
橋脚:半重力式鉄骨コンクリート構造
橋格:復興局鋼公道橋設計仕様書(1等橋相当)
  勝鬨橋の肝、跳開部は、橋脚上の固定している軸を中心に両方に八の字形に跳ね上げる構造で、図-1に示すように橋脚の全面から3.8mの奥に位置しているトラニオン軸を中心に回転する構造である。

  このトラニオン軸は、閉橋時に橋梁の自重を支えるとともに、橋梁上を通過する都電や自動車などの車両や通行者を支えるため、トラニオン軸の前方3.0mにライブロード沓を採用した構造となっている。設計者である安宅勝は、設計に当たってLong Span and Movable Bridges Holl & KinnやElectrical Equipment on Movable Bridges : Technical Bulletin No265などを参考にして設計したようであるが、同様な構造の跳開橋は、米国にも数多く見られる。中でも跳開部の主桁は、トラニオン軸より先端まで25.8mの鋼突桁構造である。設計は、満載荷重がシエアーロックに対して対照に載荷する場合は、シエアーロックにはせん断力が生じないことから主桁は突桁として計算が可能であるが、非対称荷重となった場合は、先端にせん断力を生ずる不静定構造となる。活荷重によってトラニオン回転軸に負の反力が発生すると構造的に問題が多くなることから跳開桁の重心は回転軸のほぼ一致するように設計している。
  供用開始した当時に使われていた床版は、重交通を配慮して図-2に示すT-grid構造を採用した。これは逆T型の形鋼を隙間なしに配置し、これと直交する方向には平鋼のリブを配置して格子を形成し、格子の空隙に厚さ7cmの無筋コンクリートを打設したものであるが、米国・Truscon com.の特許のようである。歩道部の床版は檜を用いた木床版であった。当時の床版が残されているが、T型鋼を横鋼材で連結しコンクリートを充填していることから荷重分配も行われ、剛性や耐久性も高い構造で、現在でも十分な性能を期待できるコンクリート鋼合成床版である。
 次に、先に示した回転軸を持った突桁の重心位置の調整である。勝鬨橋の場合は、資料によるとそれまでの経験による算出法から現地での計測と調整を行なう方式を採用している。設計者である安宅氏が採用した重心位置の一致方法は、海外の文献Long span and movable bridges(Hool著)を参考に、計算上の重心位置に僅かの偏心量を与えることでトラニオン回転軸の摩擦に打ち勝って開橋、閉橋動作の最終段階においては軽微な力で容易に最終位置に停止できるように配慮されている。
  具体的には、重心位置を完全に回転軸に一致させ、回転軸の摩擦抵抗(回転モーメント)を測定、重心に所要の偏心量を付与する考え方となっている。跳開運転設備は、片側の跳開桁をトラニオン軸承2基にて支持し、何と125馬力の直流電動モータ2基によって1,950トンの橋体(50kg/㎡)を風速23mにおいても1分10秒で70度まで跳開できる能力がある。また、開橋の場合は42°以上、閉橋の場合は23°以下になると先に示したバランス調整法の採用によって橋体の自重で開閉することから、手動のハンドブレーキ操作(勝鬨橋は、安全性に配慮し3段階のブレーキ設備を持っていた。電動、機械、ハンドブレーキである。)における注意喚起などを可動部運転説明書に明記していた。海外の幾つかの可動橋の開閉を見ているが、勝鬨橋と同様に閉橋最終段階においては、完全自動で行うのではなく、多くの場合手動による閉橋が多い。これは、跳開桁のバランスをとったことによって逆に回転力の制御が必要となり、閉橋時の回転速度を微妙に調整することで閉橋時の衝撃を和らげているようである。これも、職人技である。しかし、建設時に種々な配慮をして供用開始した勝鬨橋も経年によってあちこちに傷みが生じ、いよいよ補修することになった。

2)勝鬨橋中央径間の損傷と補修
 勝鬨橋は、開閉を休止してから26年経過した1993年(平成5年)には交通量が48,000台/日、大型車混入率約20%であった。勝鬨橋は、日々の重交通量に よって、跳開桁先端のシェアーロック

固定ピンと軸受け部が磨耗、変形し、車両通行時において異常な振動をたびたび感じる状態となった。また、剛性の高いT-grid床版も経年でコンクリートが劣化し、ひび割れが発生、その結果鋼製T-grid自体も著しい損傷が目立つ状態となった。このような状態で供用を続けると重要な跳開桁が座屈する可能性も危惧されることから、1979年(昭和54年)に補修工事を行うことになった。第一には、勝鬨橋特有の橋軸方向に移動して機能するシェアーロック方式から、橋軸直角方向に固定するユニバーサル式シェアーロック方式への変更を行ったことである。これは、跳開が必要な場合は、シェアーロック機構が必要となるが、装置自体の損傷が著しいこと、跳開の可能性が低いことなどから、橋軸方向にピンを挿入する方式の方が耐久性等に優れると判断したからである。
  写真-9で明らかなように、ピンを挿入したヒンジ部は固定されているので物理的に跳開が不可能な状態となっている。しかし、跳開機能が必要な場合は、挿入しているピンを除去さえすれば容易に開閉が可能な機構である。次に、破損した鋼製T-grid床版の対策は、2.0m×5.0m程度のパネルタイプの鋼床版への交換とし、横リブを密に配置、縦リブのスパンを短くするなどによって軽量化を図ることとした。具体的には、縦桁上面から橋面までの厚さを250mm以内に納める必要があることから、舗装の厚さは50mmと通常より薄い構造とするなどの配慮を行っている。ここに示す補修工事を行った後、増加する交通量に耐えながら供用してきたが、パネルタイプで非常に薄い形状の鋼床版及び舗装の変状が顕著となり、1993年(平成5年)には、床組及び床版の補修を行い現在に至っている。次に、勝鬨橋再跳開の重要なポイントである跳開設備である。

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