道路構造物ジャーナルNET

-分かってますか?何が問題なのか- ⑭ 「災害復旧と仮橋の位置」

これでよいのか専門技術者

(一般財団法人)首都高速道路技術センター 
上席研究員

髙木 千太郎 氏

公開日:2016.06.01

 私の尊敬する東京工業大学名誉教授である川島一彦先生の著書に「地震との戦い-なぜ橋は地震に弱かったのか-」鹿島出版会から出版された書籍がある。今回は、私が紹介する川島先生の著書を読んで今の技術者に何が欠け、何が必要であるかについて感じたことを紹介することによって、自然災害事故が起こるたびに議論されていることが実務に反映されているのかを読者の方々に再認識いただくとともに、今なお余震の続く『熊本地震』で行われる災害復旧事業、特に道路関係災害復旧で検討されるであろう仮橋設置に関するポイントを私の経験を基に述べることとする。 図-1 地震との戦い(川島一彦著)

1.偉大な行政技術者、川島一彦先生との出会い

 川島先生との出会いは、建設省・土木研究所に先生が勤務されていた時、偶然ではあるが兵庫県南部地震の被災地でお会いした時が最初である。当時の私は、東京都の被害調査団の一員として被災直後に現地派遣され、連日、新大阪の宿舎から神戸まで歩いて調査していた正にその時が繋がりのスタートであった。当時の記憶をたどってみると、多くの調査団が現地調査に入ったことから、種々な場所で多くの技術者に出会っている。当然、国内だけでなく、海外からの緊急調査の方も数多く目にしている。  私の川島先生との繋がるきっかけとなったのは、私が現地調査を始めてから2日目、神戸の臨海部における被害状況、特に液状化現象とその被害について調査を行っている時である。突然見ず知らずの人から声をかけられた。私にとって液状化現象は、社会人になった頃、最初に関係した仕事で液状化対策に関連する対策を『ずぶの素人』とも言える私が学んだことであるから、液状化との付き合いは長く関係は深い。それがきっかけで新潟地震の被災資料を調べ、その後発生した1983年(昭和58年)秋田県・日本海中部地震も現地まで液状化の被害に関して調査に行ったことから、私にとっても兵庫県南部地震は重大な関心事であった。巨大地震によって発生した埋め立て地に起こる被災とはどのようなものなのか?強い関心と疑問を抱いていた液状化現象が構造物に与える影響とはどのように凄いものなのかを知る、いたましい被害ではあるが、貴重な現場でもあった。液状化に興味を持った理由は、社会人となって初めての仕事に水没民有地における区画整理と埋め立て地開発があり、その中に液状化対策としてのペーパードレーン、サンドコンパクションパイルなど大学では知り得なかった技術と出会ったことと、液状化対策に必要となる莫大な対策費が本当に妥当であるかの議論を頻繁に耳にしていたからである。  当然、当時から関西・神戸地区の臨海部開発は有名で、昭和47年から開発が始まった六甲アイランドを含む神戸の埋め立て地に関する多くの資料を参考として調べていたから尚更である。被災地で液状化現象によって、砂まみれとなって激しく段差の出来た橋梁取付け部の写真を撮っている時、後ろで声がした。後ろを振り向くと、ヘルメットを被った背の高い欧米人(ヘルメットから出ている金髪と目の色から軽はずみに判断)が2人立っていた。現地調査に来たニュージーランドの技術者である。別れる時にどちらから来たかと彼らに聞いたので分かったが、聞かなければ一生欧米人に会ったと思っていたと考えると恐ろしい。背の高い方の人が「今、貴方は何を調べているのですか?橋の支承部を撮影しているようですが」と聞かれ、「橋が落ちなかったのは、沓座の長さか、あるいは落橋防止装置が機能したかなどを観察している」と答えた。その後、2言3言話しを交わした後に、私と彼との会話を聞いていたもう一人が「あなたは世界的に著名な川島先生をご存知ですが? 今、どこにいるのか連絡がとれませんか?」と問いかけられた。川島室長に会ったことも無い私は、「私は、川島室長の名前は知っていますが、直接お会いしたことはありません。ですので、川島室長の連絡先も今どこにいるのかも分かりません。」と拙い英語で答えると、「残念です。是非、直接お会いして今回の地震について意見を聞きたかったのに」と答え、落胆した顔が見て取れた。  今でも彼らの地震に対する探究心とその場を寂しそうに離れていった後姿が思い出される。その時強く感じたことは、国内の学者、それも行政側の研究者で土木研究所耐震研究室長である川島先生の名前が、世界の多くの技術者に認められ慕われている状況に、感心するとともに羨ましく感じたことを覚えている。ニュージーランドの技術者に会った後に偶然ではあったが運よく川島室長にお会いする事ができ、ニュージーランドの技術者のお話をした。川島先生はひどく早口で被災の状況とメカニズムについて話す姿を目にした時は、ひどく感激するだけでなく、機会があれば是非ゆっくりとお話を伺いたいと思った。それ以降川島先生には、何度もお世話になっている。それは、神戸でお会いした数年後に、川島先生の地震に関する知識と耐震に関する考えをより深く知りたいと思い、筑波の土木研究所に直接伺って東京都の技術研修講師をお願いしたからである。その時川島先生は、「髙木さん、筑波まで来てもらって悪いですね。職員研修の話はお受けしますから大丈夫ですよ。」と眼鏡の奥の鋭い眼光と異なって笑って答えられたことも昨日のようである。当時の私は、地震の知識と言えば、大学生の時知った静的震度法による水平及び鉛直地震係数による設計手法と保有水平耐力法を齧った程度であるから、研究室で川島先生の話されていた動的解析や現行基準の誤り等のハイレベルな話のほとんどが理解できず、今だから言えるが『馬の耳に念仏』状態であった。  第一回目の研修には、当然私も受講し、川島先生の活弁に聞きほれ、研修資料を何度も読み直したことは言うまでもない。その後も川島先生は大変お忙しい中、嫌な顔一つせずに職員研修所に何度も足を運んでいただいた。東京工業大学に移られてからも毎年のように職員研修をしていただいたことは、東京都の技術職員にとって外に自慢すべき事である。私の考える川島先生の凄さは、公務員には珍しく、日本語だけでなく、英語でもいつもの調子でポンポンと活弁を揮えることと、その熱意が聞く人全員に伝わり、何か役立つことをしなければと皆が感じることである。  話を先の書籍に戻すことにしよう。第四章『技術の進歩を阻むガンとなっていた震度法』の記述がある。その中に『大地震を見込んでいるから、震度法で耐震設計すれば大地震でも壊れない』と固く信じられていた震度法であったが、長い思考停止状態から脱してみると・・・。この結果、当然の事として、震度法で設計された橋には設計地震力の過小評価という後遺症を残した。・・・つまり、『外力』『解析法』『抵抗力』が、それぞれより事実に近い設計体系を目指さない限り、永久に新しい研究成果が設計に反映できないことになる。震度法はいつの間にか技術の進歩を阻害するガンになっていたのである。がそのポイントである。

 今回の『熊本地震』による被害箇所数は、熊本県が管理する道路関係だけでも災害復旧箇所は120箇所以上と聞いている。道路橋の被害は、斜面崩壊とともに崩落した『阿蘇大橋』や九州自動車道を塞いだ『「府領跨道橋』などが大きく報道されたが、そのほかの橋梁に関する被災状況の報道は極めて少ない。地震予知の難しさ、前震、本震と大きな地震が続いた場合の構造物の壊れ方、耐震補強が機能しなかった現実、新耐震設計でも今回の熊本地震のような複数の発災が重なると壊れることなどあげたらきりがない。しかし、川島先生がよく話されていることだが、過去の地震から多くを学び、それらを一つ一つ解決することが重要で、研究者や技術者が疑問を感じていることについて過去の慣例から無駄であると判断を下すことが最悪な結果を産む。川島先生が示した「・・・技術の進歩を阻害するガンになっていたのである」と示唆していることを我々技術者は全く理解せず、多くの技術者の耐震に関する考えや指示が後手、後手に回っているのではと感じる場面が今回は多すぎる。先日も南海、東南海地震の発生確率とプレートのひずみについて公表されていたが、果たして大地震発災への備えは十分であるのか?根本的な事への対応、分かっている事への対応が執られておらず、防げる被災を対応・措置のまずさで防ぐことが出来ず、想定外でしたとの発言を再びするのではと思い、ぞっとするのは私だけであろうか。残念である。  次に、今多くの関係者が被災現地で取り組んでいると考える道路災害復旧現場における仮橋の設置について私見を述べることとする。

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