3. マネジメント考
マネジメントという言葉を良く聞くが、マネジメントとは何か?私は、究極の答えを言うと「(事業を)まとめることで、それを実行するために、与えられた条件下で、如何に実行していくか考えること。」だと思う。世の中ではマネジメントというと、効率化だとかコスト最小化とか、難しいことを言いたがるが、実際には、それだけではできない。非効率なこともコストを上げることも、実際には実施しなければならないことも多い。それを考えて実施し、纏め上げるのがマネジメントである。
机上論は意味がない、実行していくことこそが大事
「考える」職員を育てたい
さらに、私が大きく懸念しているのが、どうしても、自分の体験したことの無い新たな業務というか、新しいことに対応しなければならない場合が発生する。最近では、PPP/PFIや新たな仕組みの問題を始め、インフラの老朽化などもまさに、新たな業務である。私自身も、これまで何度か、自分のプライドを大きく疑い、意気消沈する場面を経験してきた。やはり、其れまで経験の無いことに取り組まなければならないのは大きなストレスとなる。この時に、大事なのは、それに詳しい方に教えを請うことである。これがなかなか、できない。組織としてもそうである。今、ここで見ていてもそれを強く感じる。素人が雁首をそろえて机上の知識で、想像の中で考えていても、よろしくない結果になる。役所が悪いのは、そこで、とりあえず、収めてしまうことである。“事業“とは実行していくことである。机上論は意味が無い。経験や知識のある者を交え、議論し実行方法を考えて実行していくことが重要なのである。また、我々は、実務家であるべきで、学者でも評論家でもないことを認識しなければならない。世の中の方向がどうも、”実“よりも”虚“を求める方向にあるのではないか?と懸念している。少なくとも、役所だけは”実“を取っていくべきである。 私の現在の役割は、技術的に全般を見ることはもちろんだが、「職員の教育」という課題もおおせつかっている。目標としては、考えられる職員を育てることである。
官も民も、お互いに考えと議論が足りない。設計計算そのものなんて、機械(ソフト)や下請けがやっても別に問題ではない。明確な思想の元に、筋道を立てて検討していれば、疑問や質問をされても、説明できるはずである。それでも相手が納得しなければ、思想の違いなので、力の強いほうに、合わせるしかない。ただし、責任は力の強い側にあることだけは認識してもらう。
事業執行の「しくみ」への改革
マネジメント能力の育成が重要
今後の、地方公共団体の建設技術の在り方は、①効率的な事業執行の「しくみ」への改革②技術職員の技術力、インハウスエンジニアとしてのマネジメント能力の育成が重要と考える。国も地方も、「財政難」と言われて久しく、公共事業は抑制されてきた。また、今後の人口減少、成熟化社会の到来に伴い税収の減少が予測される。さらに、高度成長期に建造された公共施設の維持管理量の増加や昨今の自然災害がリスクとして襲来する。このような社会情勢の中では、コンンパクトシティ等の検討が重要となり、それに伴う効率的な事業執行の「しくみ」の改革が重要ある。
インハウスエンジニアの人材育成が必須
地方公共団体におけるインハウスエンジニアの使命は、住民が安心・安全に生活でき、地元産業が健全な生産活動を行うことができる社会を身近な立場で構築し、それを運営管理していくことである。社会資本は、自らと次世代のために、長期的な視点を持って計画的に取り組むべきもので、わが国の脆弱な国土と災害対策に要する投資を前提リスクとし、効率的・効果的かつタイムリーに提供することが要求される。この、トレードオフ的、難問に対抗するためには、「しくみ」を大幅に再考し、コストの縮減と事業執行のスピードアップの戦略が必要である。たとえば、「(資金面を含めた)民間の活用」と、「(公共事業)生産システムの合理化」である。NPO等の活用や民間資金の導入、活用の検討。また構造物そのものに関しては「大局的な設計・施工・管理の合理化」が必要である。これの判断が下せることが地方公共団体の技術職員としては重要であり、そのようなインハウスエンジニアの人材育成が必須である。
4.さらに
ここで、ひとつ問題がある。今回の熊本地震のように非常時に、果たして対応がうまく行くかである。マスコミは何かにつけ行政の批判、対応のまずさや遅さを批判する。住民も不安もあり、不満だろう。異常時のマネジメントも対応できる職員の育成が重要である。富山市は、2014年12月にアメリカのロックフェラー財団の選定する「世界のレジリエント・シティ100」に選定された。2015年7月には市民の代表等を集めた、ワークショップを開催し、今後の主要方針策定のために、レジリエントにおける、「ショック(危機)とストレス(脅威)」に対する、市民の声を聞いた。その時に、意外に思ったのは、一般市民、いわゆるインフラに直接関わらない人々の中から、ショックとしての「インフラの欠陥」に35%、ストレスとしての「インフラの老朽化」に61%の意見が集まった。そして「もっと、これに関する実態の情報を市民に伝えて欲しい。」という意見が上がった。インフラに関して市民の意識はさほど無いだろうと考えていたので、うれしさと同時に、責任の重さを感じた。
2015年7月に行われたアジェンダ・セッティング・ワークショップ
ショックとしての「インフラの欠陥」に35%、ストレスとしての「インフラの老朽化」に61%の意見が集まった
インフラは、少なくとも常時には、健全でなければならない。我々は確実なインフラを構築し管理していかなければならない。現場を確認すると、明らかに「施工時の欠陥」とそれにより拡大してきた「劣化」が問題であると感じてきた。役所内に居ると「まちづくり」や「整備」というキーワードは花形であるが、「維持管理」に関しては、どうも、消極的なように感じられる。いわゆる、話題性や見た目が脚光を浴び、インフラは整備されると、後手の守りの姿勢が主流であった。しかし、今後は「市民や社会、機関、企業やシステムがいかなる種類の急激なショックや慢性的なストレスを経験しながらも生き残り、適応し回復する能力を有して存続していかなければならない。」つまり、我々は市民を守り、リスク回避を行うためにも、計画・設計時から攻めの姿勢をとる必要が生じてきた。限られた財源の中で、計画、設計、施工、運用期間等長期にわたるライフサイクルマネジメントを如何に行うか積極的な攻めのマネジメントの構築が重要である。官民の役割分担にも多少の変化が起き新たな時代に入ったと考えている。
今、また、思い出している
かつて、兵庫県南部地震発生後に、国土交通省の「兵庫県南部地震道路橋震災対策委員会」を担当した。この時のことは、自分でも良く耐えたと感じている。結果的に「耐えた」のであった。殺人的なスケジュール(昼間に委員会、宿題をもらい、自分の席に帰り、コンサル10社程度に次の検討を指示。夜に打合せ。翌朝、報告が続く)での、対応のマネジメントを行い、次の道路橋示方書改定へつなげていった。この時、私は37歳であったが、この体験が大きな経験となり、今日の自分になったと思っている。各先生方や本省、国総研の指示を受けながら、コンサル協会や土工協のメンバーを動かし、纏め上げていくことが、非常に厄介だった。中には喧嘩する業者も居て閉口した。途中段階で、「金が合わないからできない。」と言ってきたコンサルもあった。「金は、後で清算するから。」と返したが、この時から、私のコンサル嫌いが始まった。非常時に如何に対応するかこそが、真のマネジメント能力だと、
今、また、思い出している。(次回は6月16日に掲載予定です)
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