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①魅力ある提案が欲しい

民間と行政、双方の間から見えるもの

富山市 
建設技術管理監 

植野 芳彦

公開日:2015.12.21

相手側自身に、育つ気があるかどうか
 本来の地元育成は、「職員育成」

2.最近感じること
 実は、あまり最初から、厳しくやってもと思い、我慢しているのだが、感じていることを、まず書いていくことにする。特に今の立場で自治体側から見たことに関して書くことにする。これは、特に富山の状況がひどいのかもしれない。読まれる方は、憤慨するかもしれない。更なる批判を受けるだろうが、それは望むところである。
 昨今、他の雑誌や新聞等を見ていると、官庁批判のほうが受けがよいように思えるが、お互い様だと思う。公務員は自分の本音をなかなか語れない。それも、この国の“しくみ”なのだ。その辺をまず、理解していただきたいが、まあ、無理かとも思う。耳障りの良い言葉に、なびいていってしまう、左近の風潮が、この国を悪くしているのではないだろうか? 強烈なことを言うと敵が増えるので、言わなくなってしまう。それでは、本当の議論ができなくなってしまっているのが残念だ。

 

①技術者資格
 昨年、赴任して、最初に行ったのは、地元コンサルに対し、各社のコンサルタント登録部門と有資格者リストを提出するように求めた。すると、どうも、過剰反応を起こしたようだ。結局提出されたのが半年後であった。私にとっては、聞いたことも無い地元業者さんで、ホームページを見ても、よくわからないので、各社の実態を見極める、ひとつの尺度として、求めたわけである。ただし、私の真意は「資格」そのものにあるわけではない。それぞれの会社が、なにが得意で何ができるのか?と言うのが問題なのである。何ができるかと問えば、何でもできると答える。しかし、それではダメなのである。なにか、提案が欲しいのが、本音なのだが、なかなか、そうはならない。有資格者が不足しているのは事実である。
 しかし、最近、やたら資格が増えている。これでは、民間で仕事をしていく上で、大変である。なにか、良い方法はないものか?

②地元育成
 地元育成とは、都合の良い言葉である。たしかに、地元企業に仕事を出してやりたいと言う気持ちはわかる。なにか、相談したい時に、直ぐ対応してもらえる。これも  わかる。ちゃんと、プロとしての仕事さえしていただければ、何の問題も無い。
 私が、周りから、「地元育成のために、よろしく頼む」と言われた時に、なんと答えているかと言うと、「相手側自身に、育つ気があるかどうかですよ。」と答えることにしている。それよりも、本人たちからのアプローチが欲しいのである。しかし、おそらく、プライドが邪魔をするのだろう。プライドなんて、得にはならない。
 私は、ミスや勘違いは全然問題ないと思っている。訂正すればすむことだ。気づいた段階や、指摘されたら真摯に受け止め、直せば、何事にもならない。しかし、なかなか、そうはならないで、問題が大きくなってから、言い訳をしてくる。謝罪は無い。たしかに、ミスを認めて、謝罪は嫌だ、はずかしい。でも、訂正しなかったら、大事になるかもしれないし、自分で背負っていかなければならない。
 私も、若い時に散々、ミスも失敗もしてきた。だから、皆さんのお気持ちも理解できる。そんなことは、たいしたことではない。立場として、怒っているように見せなければならない場合も有る。本当に、問題ならば、黙って二度と仕事は出さない。かつて、本省の仕事で、ある厳しくて有名な方に「こんなものは、全然ダメだ」と、キングファイルをぶつけられたこともある。しかし、何度も何度も修正し、持って行くと最後には認めてもらった。後に、話したときに「最近は職員も、民間も根性のある奴が居なくなった。どうなってしまうんだろうね。」と言っていたのが印象てきだった。最近は、紳士的で優しい役人が多いので、妙に納得して認めてしまう。
 それで職員に、「君たちは優しいね」と言うと、「本当は厳しくもしたいのだが、自分たちの技術力や知識不足があって、なかなか、厳しくは言えない。」と情けないことをいう。それは、自信を持ってもらうには、職員にも勉強してもらうしかない。
 ということで、本来の地元育成は、「職員育成」なのかもしれない。

この橋は自分が見るのだ

③長寿命化
 基本的に、現在の日本の役所、特に自治体にはお金が無い。全ての物事が、予算で決まってしまう。「予算が無いは言い訳だ」と言う方も居るが、この辺に課題がある。「橋梁長寿命化」「予防保全」と言われて久しいが、なにが目的なのだろうか? 財政難に向かう中、コスト縮減なのだろうか? 仮にコスト縮減であるならば、長寿命化はコストアップになってしまいかねない。たしかに、供用できる年限が延び、減価償却期間を全うしそれ以上に利用できるわけだが、そのために別のコストが発生する。しかし、とりあえず安全を確保すると言うならば、また別の話である。このへんが、あいまいでわかりづらい。「長寿命化」という言葉のマジックで、さもよいことをしているようであるが、実際は将来の市民に対し負債を残しているだけかもしれない。


この橋は自分が見るのだ、という気持ちが大事

 現在、2㍍以上の橋梁全数に関して5年に一度の近接目視点検が義務付けされ、議論の中心も「点検」になってしまっている。しかし、点検だけでは終わらないのが維持管理である。補修・補強もあれば、架け替え判断も必要だし。廃橋という選択肢もある。この判断も困難を極めるが、これらには全てコストが発生する。今後、どうなってしまうのだろうか? 点検で破綻する自治体も出てくるのではないか?
 「どうしたら、一人前の点検ができるようになるのか?」と言うような質問を良く  受ける。しかし、たかだか数年の経験や、橋梁の一部しか経験したことの無い人間が、すぐに一人前になることなど無い。十分な経験と修羅場を如何に切り抜けてきたか?である。また経験があっても順調な方は、考えなくなってしまっている可能性がある。また、橋梁を本当に理解するには、材料、計画、設計、製作、施工、維持管理、非破壊検査 等を理解する必要が有る。残念ながら、其の一部しか経験したことの無い方々が本当に理解できるはずは無い。それでも、点検をしていかなければならないので、職員によく言うのは、「“見る”という気持ちを持って。」ということである。
 「この橋は自分が見るのだ。」という気持ちこそが大切である。仕事だから、業務だからではどこか抜ける。
 さらに、点検だけでは終わらない、そして点検の後は技術的解決だけでは、すまない問題になってくる。特に市町村では、住民に近いので、簡単に通行止めや架け替えと言うわけには行かないのである。行政判断、時にはトップダウンも必要であり、議会等の承認も必要となる。一概に「技術的にこうだから」では決まらないのである。
 次回は、「長寿命化」問題で、実際の現場で起きている課題や実態について述べたい。
(次回は1月16日ごろに掲載予定です)
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