―忍び寄るインフラの崩落の危機―
道路橋の現状と課題
公益財団法人 東京都道路整備保全公社
一般財団法人 首都高速道路技術センター
髙木 千太郎 氏
現場は危険回避の連続
対症療法型管理どころではない
1.はじめに
昨今、道路橋を含む社会基盤施設ストックに関して課題の多い管理実態について論ずる記述を目にすることが多いが、いずれも「国内の道路施設の多くは、高度経済成長期に集中的に建設されていることから今後急速に高齢化が進展し、老朽化による損傷が発生、通行を規制しなければならない状態が全国的に広がる・・・」、「これまで多くの道路施設の管理は、対症療法型管理を行なってきたことから、大規模修繕や更新が必要となり、限られた予算のなかで道路施設に関する予算確保が困難・・・」、「市町村の財源不足、技術職員(もしくは、技術力不足)で適正な維持管理が出来ないため・・・」などが枕詞として使われるのが流行である。ここで示した枕詞に使われる表現に異論を唱える気はないが、多くの道路橋が果たして本当にそのような状況に陥っているのかとこれまで同様な発言をしてきた私自身が最近自己矛盾を感じている。私が東京都の管理する道路橋の急速な高齢化と厳しい財政下で必要となる修繕対策費の集中を外部に示すために同じような表現を使ったのは今から14年前の2000年である。
当時、東京都においては、1970年から行なっている定期点検(1987年以降は橋梁点検要領によって5年に1度の品度で実施)の5順目を終え、平均健全度の悪化および要観察橋梁の増加が明らかになった時である。当時は、それまでの右肩上がりの社会基盤施設への投資から大きく転じ、財政状況の悪化と合わせるように維持管理費が大きく削減される事態となっていった。維持管理費削減の大きな理由は、維持管理が計画事業でないこと、維持管理費の削減で大きな損失を将来に残すことを理論的に説明できる分析資料が無かったからである。さらに、道路橋は永久不滅で維持管理しなくても朽ち果てることも無ければ、交通を規制する事態は起こらないとの安全神話的考えが主流を占めていた。
しかし、私の目にする管理橋の実態は、永久不滅の安全神話とは大きく異なっていた。少しでも維持管理を怠れば、水が滞水する部分の鋼材は腐食で穴が開き、大きく変形、飛来塩分や融雪剤の影響でかぶりコンクリートは欠け落ち、ボルトは抜け落ちるのが現実であった。対症療法型管理どころか危機一髪危険回避の連続であった事態を打開するために道路橋の維持管理、補修・補強対策に適切な予算獲得をと考え、計画的な予算要求と効率的なマネジメント導入に向けた具体的な行動を始め、枕詞を使って発言したのがその後である。ここで、私が東京都で危機と感じた事態と同様な状況を危惧している国内における道路橋の現状について考えてみる。
著しく腐食した鋼主桁端部