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-分かっていますか?何が問題なのか- ㊺高齢橋梁の性能と健全度推移について(その2)‐将来に残すべき著名橋になすべきことは‐

これでよいのか専門技術者

(一般財団法人)首都高速道路技術センター
上席研究員

髙木 千太郎

公開日:2019.01.01

1.技術基準の違いが健全度に影響するの?
 前回に引き続き適用基準別の分析結果について説明しよう。技術基準の変遷でも話したが、大量建設そして経済設計を追求した昭和31年、昭和39年の技術基準を適用している道路橋の健全度分析結果についてである。この年代の道路橋は、急速に増加する自動車の量と東京オリンピック開催に間に合うように短期間に大量建設した年代と言える。技術者も建設資材も不足していた時代に道路橋の計画が策定され、それを実現する為に種々な手立てが考え出された。その一つが標準設計法の導入であり、一つでも多くの道路橋を建設できるように、徹底的に経済性を追求した、短期間・大量建設時代である。岩戸景気、所得倍増計画、東京オリンピック招致など日本経済が急速に活性化された時代に建設された橋梁数は、前回最後に説明した昭和14年の技術基準を適用した橋梁52橋から約3倍となる157橋であり、その分析結果が図‐1である。

 話は少し脱線するが、東京オリンピックに向けた東京都関連の話しをしよう。
 東京オリンピック開催前の昭和36年当時の道路整備状況は、幹線道路が12%、細道路は僅か2%、都市高速道路がようやく整備体制に入った段階であった。東京オリンピック開催が決定される以前から、当然都市計画道路整備計画は存在していた。例えば、昭和40年を目途に策定された『緊急道路整備5箇年計画』である。この計画は、都市計画道路の中から、資金的に最も能率的でしかも経済的な道路整備を行おうとする計画で、応急的対策と基本的対策とから成り立っていた。ここに示したように、首都東京における道路整備は、オリンピックを待つまでもなく都市最大の課題であり、都政の最重点施策として取りあげられていたのである。
 主要路線は、オリンピックの有無にかかわらず早急に整備しなければならなかったものであって、オリンピックのためのみの道路では無かったのである。しかし、オリンピック関連街路の整備は、完成時期が定められたこと、またその整備を行うには数多くの問題点と隘路を伴い、通常の道路整備とは全くその趣を異にしたのも事実のようである。東京オリンピック開催に向けた整備は、東京都がその面目をかけて取り組んだ事業と言え、地方自治体・東京都が担った関連街路は、東京都施工分が22路線、実延長59.4㎞,河川横断橋梁が13橋、延長933m、立体交差箇所は、44か所、延長9,725m、全舗装面積約108万㎡である。自動車専用道路である「首都高速道路」整備は、高速1号線、2、3、4号線、4号分岐線及び8号線であり、道路延長約33㎞を昭和39年10月までに建設している。図‐2に東京オリンピック開催時の首都高速道路開通路線概要を、また、東京都の道路橋建設数の推移を図‐3に示したので参考に見てもらいたい。当時の東京は、至る所で社会基盤施設や建物の建設工事が行われ、既存の道路には工事車両が溢れていたであろう。読者の方々も昭和39年に開催した東京オリンピックに関連する道路事業について興味があると思うので、別途時を選んで詳細に説明したいと考えている。

 もし、東京オリンピック関連の事業でこんな話を是非聞きたいとの要望があれば、当連載の責任者、井手迫記者に申し出てほしい。さて、話しを基に戻して前段に続く分析結果を説明しよう。

 今回の円グラフも定期点検3回分の推移であり、代表的なパターンを10程度示し、それ以外はその他で処理している。昭和31年技術基準適用橋梁は、最終Aランク(A→A→A、A→B→A)評価が12%の19橋、Bランク評価が25%の39橋、Cランク評価が24%の38橋、Dランク評価が4%の6橋となった。15年間でCランクに移行した橋梁の割合は、16%の25橋であった。高レベルの性能を持たせるように創られた、震災復興事業用の技術基準による橋梁は、80年以上供用された後でも比較的健全なA、B及びCランクに評価された割合が60%である。震災復興が終わった後、昭和14年の技術基準を適用した橋梁を同様な考え方で分類してみると、10年程度の差異しかないのに割合は37%と急速に減っている。問題を抱えていると言われる昭和31年の技術基準を適用した橋梁は、供用期間が30年程度少ないことが数値に現れ、震災復興橋梁とほぼ同じの61%となった。
 この分析結果を見て感じたことは、3度の定期点検結果を使って分析してみると、このように数値で差異を示すことが出来た結果に自分自身も感激もし、意外な感もした。震災復興時期の橋梁と供用期間の差異が約30年あることを考えると、適用基準の差異と断言できそうな感もするが、分析手法が甘い感は否めない。それよりも、第二次世界大戦突入時代から終戦にかけて建設された橋梁には、健全な状態の橋梁が少ないとの分析結果には、驚きであった。建設資材が不足し、使われている材料や施工の品質が悪化すると、良いものを造ることは困難であることを、私自身が再認識する結果となった。これは現代社会にも通じることで、良いものを造るモチベーションの確保、優れたものづくりを担う職人気質とは、を我々技術者が自問自答する必要性を痛感する結果と考える。

 それでは、高度経済成長の時代、建設ラッシュの時代はどうであろうか? 昭和39年の技術基準適用橋梁の数は、昭和31年の157橋から83橋増加し、240橋である。当該基準を適用した8年間に建設した数は、何と毎年30橋である。一つの地方自治体が建設した道路橋の数から考えると膨大であり、一般的な考え方からすれば異常な状態と言える。私の考えでは、社会基盤施設の絶対量が不足していたニーズ優先の時代に、東京オリンピックを期限付きで開催することになった背景の方が、出来上がった構造物の質は悪いと思っていた。しかし、分析結果の見方が悪いのかもしれないが、私の予想とは異なった結論となった。昭和39年の技術基準を適用した橋梁の健全度割合を図-4に結果を示したが、最終Aランクが8.8%の21橋、Bランクが24.2%の58橋、Cランクが23.4%の56橋、Dランクが5%の12橋である。昭和31年の技術基準を適用した橋梁においてCランクに推移した橋梁は、5.4%少ない18%の43橋である。また、比較的健全と評価できる、A、B及びCランクを合計した割合は56.4%と前基準を適用した橋梁より、4.6%と多少減少している。供用期間9年程度の差異があれば、やや注意のCランクは減少し、比較的健全な割合は多くなるはずではある。先に示した分析結果で、2つの技術基準の違いによる影響と判断できるか否かである。私は、この分析結果は数値の差異が小さい事もあって、昭和39年の技術基準に問題があるとは言い切ることは出来ないと考える。しかし、この差異を深く考えると、昭和39年の技術基準を対象に、種々な面から詳細に分析する必要があるとは思った。

 次に、昭和31年、39年の技術基準を改良したと言われる、昭和47年の技術基準を適用した橋梁の分析結果に移ろう。対象橋梁数は149橋と、大量建設の時代と比較すると建設数は91橋少なくなっている。分析結果を図-5に示した。最終Aランクは、12%の18橋、Bランクは、24%の36橋、Cランクは、33%の49橋、注意ランクDランク評価橋梁は無かった。昭和47年の技術基準を適用した橋梁は、供用開始後約50年経過してはいるが、周辺環境が大きく変わらない限り、健全度が著しく悪化することは有りえないが私の見解である。これを裏付けるように、比較的健全と評価できる、A、B及びCランクを合計した割合は69%と約7割である。比較的健全な橋梁の割合及びDランク(注意)対象が無いことの2つから、私の認識が誤りでないことを証明できたと思う。以前から何度も私が言っている、維持管理を行っていれば建設後50年程度で朽ち果てるような事は有りえず、50年経過イコール老朽化とは言えないのである。

 次に、現行の基準のベースとも言える昭和55年の技術基準を適用した橋梁は103橋と、先の技術基準を適用した対象橋梁より46橋数が減少している。図-6に分析結果を示したが、当然、供用年数が少ないことから最終ランクAランク対象橋梁は、36%の37橋、Bランクは、29.1%の30橋、Cランクは、18.5%の19橋であり、当然Dランクは無かった。これまでと同様に、A、B及びCランクを合計した割合は83.6%と、私が想定していた通りの結果となった。

 一等橋、二等橋の分類を行っていた最後の技術基準(平成2年)を適用した橋梁数は7橋、作用荷重を変更し、B活荷重、A活荷重となった技術基準(平成5年)以降平成10年までに建設した橋梁数は4橋である。それらの健全度は、分析するまでもなく健全な状態を示すAランク、若しくはほぼ健全な状態を示すBランク評価であった。対象数も少ないこと、分析結果にも見るべきところが少ないことから、分析グラフは省略することとした。

 ここで参考に、戦前に建設された橋梁と東京オリンピックから高度経済成長期に建設された橋梁について、それぞれを健全度で区分けし、合計した結果を基に考えてみよう。戦前に建設された橋梁は174橋あるが、最終到達ランクがBランクに該当する割合は24.7%の43橋、Cランクが32.1%の56橋、Dランクが13.1%の23橋であった。東京オリンピックから高度経済成長期にかかる昭和30年から40年代にかけて建設された橋数は385橋であり、最終到達ランクがAランクに該当する割合が12.5%の48橋、Bランクが15.3%の59橋、Cランクが20.4%の79橋、Dランク0%である。ここで、3回行われた定期点検において、いずれかの点検で、『注意』評価のDランクとなった橋梁を抜き出して調べてみた。その結果、戦前に建設された橋梁においては36橋、昭和30年から昭和40年代に建設された橋梁においては、13橋少ない23橋となった。追加で分析した結果から、当然と言えば当然ではあるが、健全度悪化の大きな因子が経年であると言えそうである。

 以上、2回に渡って技術基準の差異を導こうと考え分析を行ったが、私の結論としては、技術基準の差異を多少は感ずるものの、それだけでは説明できないが私の結論である。過去に取り纏められた各技術基準は、その時々に関係技術者が知恵を出し合って策定した成果である。であるからか、主要構造の設計に重大な欠陥を生むような技術基準はこれまでには無い、と再認識する分析結果となった。それでは次に、読者の皆様が期待している?いや、期待しているに違いない、前回の続き、重要文化財・永代橋の耐力に関する後半を詳細に説明しよう。
次ページ「2. 重要文化財・永代橋の耐力は現代にも通ずるか?」

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