道路構造物ジャーナルNET

第95回 点検から補修へ、インフラ・マネジメントへ

民間と行政、双方の間から見えるもの

植野インフラマネジメントオフィス 代表
一般社団法人国際建造物保全技術協会 理事長

植野 芳彦

公開日:2023.12.16

1.はじめに

 前回、マネジメントとは、「何とかすること」と書いたことに対して、何人かの方から賛同をいただきありがとうございました。

 しかし、世の中の大半は、難しいことを望んでいるようです。富山市においては公式に毎年技術研修会を職員と近隣自治体向けに開催しています。今年度は熊本県玉名市の木下氏に、遠路おいでいただき話していただいた。木下氏は、「DIY補修」と言うことで著名な方である。しかし、私の見立てでは、DIYと言うよりも、様々なことを考えて工夫して維持管理に当たっている。まさに、玉名市を「何とかしよう」という気概に於いて実行している、すばらしい人間である。マネジメントに関してはいろいろ言われるが、結局は人間なのである。

 木下氏と意見が合うのは、実際の経験の少ない方々の机上論に、乗っかってしまうと失敗するということである。良くわかっていないのに、したり顔で言われて、それを真に受けて実施すると、無駄である。どうも、見ていると役所の人間は、自分で考えないとは言わないが、コンサルタントの言っていることを真に受けてしまう癖がある。これは気を付けたほうが良い。木下氏は、「自分は橋梁は専門ではない」と言うが、世の中で実は橋梁専門の人間は少ない。ましてや、役所には、ごくわずかだけである。だから、平気で「長寿命化」とか「予防保全」と言っている。この難しさがわかっていないのに。さらに「国土強靭化」とも言われているが、様々な橋梁を見て、効かないだろう耐震補強“らしき”ものが、取り付けられた橋梁とか、補修・補強が平気で行われている。「これは作った時からおかしいな」と言う物が存在している。そもそもが、力学がわかっていないのではないだろうか?これでは、いざという時に効力を発揮しない。下手したら常時でも危険なものすらある。

 前回も書いたが、インフラ・メンテナンスにおいて、これまでの、10年間は、試行の時期でもあった。様々な手法や技術的見解などを試してみるべき時期だった。これからは、次の段階に行くべきである。12月2日は「笹子の日」であった。すでに、もう、あまり語られなくなってきた。災いは、忘れたころにやって来る。次は何か?

2.JICA研修にて

 JICAの沖縄研修所にて毎年、道路維持コースの橋梁マネジメントに関し、講義を依頼されている。もう10年くらいになるだろう。今年度は先週実施した。(研修生は1か月くらい滞在している)今年の聴講生は、インドネシア、カンボジア、東チモール、ミクロネシアの若い技術官僚たちである。彼らは、国を背負ってきている。30代後半くらいだろうか? その熱心さには感心した。講義後、積極的な質問攻めにあった。講義の時間帯は、13時から16時までであった。16時から全体的な帰国のためのガイダンスがあり他の講座の受講生も含めて実施するので、時間には終わるようにしてくれと言われていたので、15時30分に話はやめ、質問コーナーにした。するとまあ、熱心に質問が来て、16時30分になっても終わる様子が無かった。それで事務局の方からタオルが投げ入れられた。他の受講生を待たしてしまうと言う物であった。私の担当はこの4名だが4名中でもそれぞれの国の特色、個人の実力が垣間見れた。非常に面白かった。


JICA沖縄研修所入口/同研修所での授業風景

 昨年までは「維持管理は、まだ、これからの課題」という、感触で、ドローンやBIM/CIMなどのグラフィックに興味を示していたが、今年度の聴講生は、補修技術、方法等に関しての質問が多かった。維持管理という観念ではこれが正解だと思う。国内での議論は、笹子から10年たった今でも“点検”ばかりが目立つ。点検はもう2回はやっているので様子もわかっただろう。点検は軽微にして、補修に本腰を入れるべきである。

 日本の国内で、講演をしてもほとんど質問は来ない。まあ、シチュエーションが違うのであるが、日本人はどうも、「自分は分かっている」と言う意識が強すぎるのではないだろうか?「自分は何でも分かっている今更聞くこともない」と言うのが態度にも出ている場合が多い。そういう方々は、別に聞いてくれなくてもよいのだが何のために来ているのか? CPDが欲しいのか?

 第2ステージと最近よく出てくるが、まさに第2ステージは、「点検から補修へ、インフラ・マネジメントへ」であると考える。いつまでも点検にこだわっても、実際に物は治らない。先に進めない。点検の高度化とは言われているが、点検の精密化は必要である。課題がありそうなものはより精密に。つまり、詳細調査でより精密に、より深く観察したほうが良い。つまり、非破壊検査などで、より深部の損傷を見つけるようにしたいものである。
補修方法の議論は、今後重要である。しかしできていない。ここが大きな問題である。インフラマネジメントは、点検だけでは終わらないのであるが、いつまでも点検の議論しかほとんどない。それをいつまで続けるつもりなのであろうか? それなりに、修繕はしてはいるが、ひび割れ注入が圧倒的に多い。

 医療現場を考えてみればわかる。最初の診断にはさほど時間も、かからない。2時間待って5分と言うこともある。ここで問題なければ料金もさほど発生しないが、精密検査や治療にはお金がかかる。それと同じである。なのに、点検でアップアップの自治体の現状では先が無い。ここをもっと真剣に考えなければならない。治療法、いわゆる修繕方法は、まださほど開発されていないし評価もされていない。

 構造物は物を語らないが、ヨーロッパの橋は100年以上の寿命がある。しかし、日本の橋は50年と言われてきた。これはなぜなのか・考えなければならない。一部の人たちには都合が悪いだろうが。これまで、高度成長期に代表されるように、貧しい国において、多くの物を作らなかったがゆえに、「コスト最重視主義」がとられてきた。これは決して悪いことではないしかし、構造物と言う長期にわたって使用する物にとっては、あまりよろしくはない。

 計画設計時において、どこまで経済追求したか?そして、そこに「使用期間」という思想がきちんと反映されていたのか?と言うと疑問である。短期、建造時には確かに最小コストを求めたかもしれないが、維持管理の思想が抜けていたのではないだろうか?そのものが、消耗品と考えていずれまた、造り変えるという思想の基に造られたに近いのではないか?と私は考えてしまう。自分の経験からも、そうである。それらを「長寿命化」しろと言うのだから、難題であり、かえってコストがかかってしまうかもしれない。

 蛇足的であるが、時間が有ったので気になっていた首里城の焼失後の復元の様子を見てきた。木造であるが、巧みに3種類の木材を、適材的適所組み合わせて、構造部材としているところが素晴らしいと思った。先人の知恵である。現在の、コンクリートと鋼に偏った構造物、木材にしても1樹種にこだわった利用の仕方と言うのは根本的におかしい。適材適所と言いつつできないのも、現在の技術者である。なぜなら、手間であるからである。こういう材料の使い方は非常に勉強になる。


首里城の復元作業の様子

 今でも新設の協議時に、確かにイニシャルコストの評価は皆気にしている。しかし、運用・維持管理への配慮や、長期支障を考えた設計がなされているかと言うと、非常に疑問である。そういう議論になったことが無いし、こちらから言っても提案が出てこない。これでは今後、思いやられる。

ご広告掲載についてはこちら

お問い合わせ
当サイト・弊社に関するお問い合わせ、
また更新メール登録会員のお申し込みも下記フォームよりお願い致します
お問い合わせフォーム