道路構造物ジャーナルNET

第37回 東日本大震災(東北地方太平洋沖地震)(その1)

次世代の技術者へ

土木学会コンクリート委員会顧問
(JR東日本コンサルタンツ株式会社)

石橋 忠良 氏

公開日:2022.09.01

 引き続き、震災の復旧の話をします。仙台地区には、地震は近く来ると想定されていました。その大きさは1978(昭和53)年の宮城県沖地震と同程度の規模の地震が想定されていたので、新幹線建設中にこの地震を経験しているため、それほど心配はしていませんでした。でも、実際に起きたのは1000年に1度というような大地震でした。

1.地震の概況

 2011(平成23)年3月11日(金)14時46分にマグニチュード9.0のこの地震は発生しました。最大震度7の強い揺れと、津波をともない、大きな被害を生じさせました。


地震の概要と3月11日本震の震度分布(右図:気象庁資料より)

 地震発生時は飯田橋にいたのですが、すぐ新宿のJR東日本の本社に車で戻りました。地震直後でしたので、まだ道路は渋滞せずに戻れました。
 JR東日本の本社内の構造技術センターには、現地から被害状況の連絡が入ります。
 新幹線構造物の被害状況は耐震補強が進んできていたので、過去の地震の被害より程度は軽いものが多いと感じました。ただ地震の規模が大きく、被害範囲が非常に広いのが特徴でした。過去の地震での復旧と同様に、現地から被害状況の写真が送られてくると、その復旧図を構造技術センターのメンバーに作ってもらい、私が直接確認しサインしては現地に送るようにしていました。
 この時の特徴は、インターネットの発達があります。今までは、私も主な被害現場に行って被害状況や、進入路などを確認してから復旧方針を決め復旧図を作っていましたが、メールに被害状況を添付写真で送ってもらうことで、すぐに復旧図をつくり、メールで送り返すということができました。
 もうひとつの理由は東北に勤務した経験が私にあったので、新幹線沿線の土地勘があることでメールの写真で判断できたのかとも思います。
 また私が自宅に帰った後も、メールで被害と復旧案が送られてきて、自宅と職場で、メールにて復旧方針を打ち合わせました。今コロナ対策で、在宅勤務が勧められていますが、インターネットの発達で在宅でも十分作業が可能であることをこの時は実感しました。
 環境の厳しい場所では、直接現地を確認することは今でも必要でしょうが、側道が整備されている個所など進入路の問題のない場所での被害復旧は、メールと添付写真で十分判断可能な時代となってきました。
 携帯電話の普及も情報の共有化に役立っています。それでも災害時にはなかなかつながらないということが起こっていますが、ずいぶん便利にはなったと思っています。

2.復旧方法の指示と現地調査

 主な東北新幹線の土木構造物の被害の復旧方法指示は、地震発生からインターネットの活用により3日程度で終えました。
 地震発生の4日後の3月15日水曜日に新幹線の復旧状況を見るため、車で東京から現地に向かいました。緊急車両の指定を受けた車を何とか手配してもらいましたが、軽自動車です。この軽自動車に、東京を出る時点で食料や水などを積み込み、被災地にて食料が手に入らなくても大丈夫なようにして出発しました。運転は当時、構造技術センターにいた岩田さんにほとんどしてもらいました。緊急車両は、東北道を走れるので、まだ補修中の東北道を走り、まず被害箇所の郡山駅に寄り、施工者などと復旧の打ち合わせを終え、仙台に向けて走りました。
 途中、携帯電話が鳴り、福島原発が危険なので直ちに避難するようにとの会社からの連絡がありました。どの方向に避難するかは自己判断とのことです。現在位置と原発との距離をカーナビで確認しながら、風向きを気にしながら、途中休憩もすることなく仙台に向かいました。
 仙台市内はガスが止まっており、町の食堂も開いていません。泊まったホテルも、風呂なし、食事なしの条件で泊めてもらいました。宿泊者は、ほとんど工事や調査の関係者のようで皆、作業服姿でした。
 16日午前中に仙台付近の新幹線の被害現場を見ました。既に、復旧作業に入っていました。16日午後は、途中の新幹線高架橋の復旧現場を見ながら仙台から盛岡に向かいました。新幹線高架橋の柱の損傷(写真-1)の復旧作業が行われていました。現地のその時の状況です(写真-2)。


写真-1 高架橋の損傷/
写真-2 写真-1の高架橋の地震後5日目の復旧状況

 今までの地震被害の復旧の経験を施工者も積んでおり、復旧作業は順調に進んでいました。新幹線の土木構造物の復旧は、あと1週間もすれば終わるかなと思いました。その日は盛岡市内に泊まり、風呂にも入れました。翌17日は、盛岡の関係者と打ち合わせをし、午後には東京を目指して帰ってきました。

3. 主な被害と復旧方法

 写真-3は新幹線の仙台の南の長町地区の高架橋の損傷状況です。写真-4はクラック注入と断面修復をしています。この後に耐震補強として鋼板をまくことになります。


写真-3 南長町高架橋/写真-4 南長町高架橋の復旧

 写真-5は新幹線高架橋の隣につくられた在来線の長町高架橋です。構造は地中梁なしで、スパンは新幹線高架橋の倍としています。設計が新しいため、耐震基準も変わっており、ほとんど損傷はありません。パイルベント構造のため、地表の杭の周面に隙間が生じており、杭が動いた様子が観察できます。地盤で地震のエネルギーを吸収しやすい構造かと思われました


写真-5 新しくつくられた隣の在来線高架橋(左側)

 写真-6は高架橋の中層梁の損傷状況です。この損傷は、1978(昭和53)年の宮城県沖地震でも生じていました。宮城県沖地震の時もクラック注入のみの補修としましたが、今回もクラック注入のみの補修を原則としました(写真-7)。


写真-6 高架橋の中層梁の被害/写真-7 中層梁の補修(クラック注入のみ)

 この中層梁を強くすると、梁と柱の接合部や、柱が損傷することになります。中層梁が先に壊れると柱が長くなり、柱のせん断破壊先行がなくなり、また接合部のせん断損傷もなくなり、耐震面では有利になります。しかし、毎回地震で中層梁が損傷してクラック注入での補修が生じます。補修の後、余震でまた壊れて、何度も直すのは嫌だという箇所では、中層梁に帯鉄筋を加えて補強すると同時に、柱と中層梁の接合部にハンチをつけて接合部も補強し、柱も補強するという方法をとったものもあります。
 写真-8は橋脚の鉄筋の断落とし部の損傷です。鉄筋コンクリート巻の補修をしています(写真-9)。


写真-8 橋脚の被害/写真-9 橋脚の補修

 耐震性能の低いものから順次補強を進めてきていたので、この地震の時点では、耐震性能の大幅に小さいものは補強を終えていました。そのため、倒壊するものはなく、今までの大地震での被害と比べて大きな損傷は少ないようでした。

 写真-10は桁の移動防止のためのサイドストッパーの損傷です。これも、前回の1978年の宮城県沖地震で支承部が損傷し、そのために追加したサイドストッパーです。写真-11は復旧状況です。


写真-10 サイドストッパーの損傷/写真-11 サイドストッパーの補修

 写真-12はストッパーの前面のコンクリートの損傷です。


写真-12 ストッパー前面

 写真-13は支承の損傷です。写真-14は、写真-13の支承の横移動防止が壊れたのを、支承を直すのでなく、橋脚の部材を利用して横移動防止の機能を加えて補修した例です。
 橋脚下端で損傷しない場合は、支承付近のどこかに損傷が生じることが大きな地震ではよくみられます。大地震に対して、弾性範囲で頑張る設計とはしていないので、一般には橋脚下端で損傷し、支承部には大きな力が来ないのですが、橋脚が強いと、支承部に損傷が移ることになります。


写真-13 支承の損傷/写真-14 支承の補修事例

 写真-15はローラー支承の損傷です。


写真-15 ローラー支承の損傷

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