道路構造物ジャーナルNET

④伊勢神宮と出雲大社

筑波山の麓より

国土交通省
国土技術政策総合研究所
所長

木村 嘉富

公開日:2022.01.26

2.出雲大社の大遷宮

 さて、もう一つの神社、出雲大社は、私の出身地の島根県にあります。御祭神は大国主大神で、縁結びの神社として有名です。旧暦の10月には全国の神々が集まって相談されることから、全国では神無月、出雲では神在月となっていることもよく取り上げられています。参拝される場合、通常は2礼2拍手1礼ですが、出雲大社は2礼4拍手1礼とされていますのでご留意を。一畑電鉄の車内では「4拍手はしあわせの意味が込められている」とアナウンスされていました。

【大遷宮】
 出雲大社の始まりは、古事記や日本書紀にも記載があります。国づくりを行ってきた大国主大神は、高天原の天照大御神から国譲りを迫られます。その際、「私の住まいは、天つ神のお住まいになるような壮大な宮殿の様に、地底の岩盤に宮柱を太く立て、高天原に届くほどに千木が高く聳える神殿を造営するなら、自分は幽界に身を引きましょう」と述べたとされています。これを受けて、建立されたのが、出雲大社といわれています。
 その後、幾度か建て替えられ、1609年以降、それまでの堀立柱(地中に掘った穴に木の柱を直接埋め込む方法)から、礎石柱(石の上に柱を立てる方法。湿気のある土に木の柱が接しない)へ変わっています。現在の本殿は1744年の営造とされ、その後、1809年、1881年、1953年の修繕を経て、平成25年(2013年)に第4回目の修繕が行われました。この平成25年は伊勢神宮の式年遷宮と重なったことから、報道も多かったとのことです。
 出雲大社は、概ね60年から70年ごとに修繕が行われていることとなります。伊勢神宮の場合、横の新しい本殿に遷るので「遷宮」ですが、出雲大社の場合には、痛んだ箇所のみ修繕しますので、なぜ遷宮かとの疑問がわきます。これは、修繕の間、大国主大神が御本殿から御仮殿に遷られ、修繕後に御本殿に遷られるからです。自分の家を大規模に修繕する際、その間、仮住まいすると同じといえます。

【雲太、和二、京三】
 この御本殿は、今でも写真―4、5のように、高さ24mと大規模なものですが、かつてはその倍の48mであったと言われています。平安時代の数え歌では「雲太、和二、京三」として、当時の大規模な建物のベスト3として、出雲の出雲大社神殿、大和の東大寺大仏殿、京都の御所大極殿と言われていました。また、出雲大社の宮司を司る千家家に伝わる御本殿の平面図には、高さ48mを支える柱として、3本の柱を束ねて太い1本の柱とした絵が残されています。そこには、階段の長さも109mと記されています。これを元に、写真-6の様な復元模型が製作され、出雲大社に隣接する博物館に展示されています。さらにその昔は、その倍の96mとの伝承もあるとか。
 96mはともかく、48mもの高さの御本殿の真偽についても色々な論があるそうですが、平成12年(2000年)に境内で、直径1.35.mの大木3本を束ねて1本にした柱が発掘されています。13世紀頃の柱と分析されており、659年の創建当時からであったかはともかく、高さ48mという古代高層神殿の裏付けともされています。これも写真-7のように、博物館に展示されています。

写真-4 出雲大社/写真-5 出雲大社御本殿(北側より)

写真-6  出雲大社御本殿復元模型/写真―7 出雲大社から出土した御本殿の柱

 

【先人達の長寿命化への配慮】
 現在の社会インフラで用いている鋼材やコンクリートにとっても同様ですが、木材にとって水が一番の劣化要因です。屋根の素材としては、20年持てばよい伊勢神宮では萱葺き屋根となっているのに対し、出雲大社は檜の皮が使われています。全国各地の神社でも使われている檜皮は概ね75cmであるのに対して、出雲大社では長さ90cm、105cm、120cmと特別な檜皮が使われています。その厚さは最も厚いところで1mにもなります。
 また屋根の下の構造も特別なものとなっています。一般的な神社では、檜皮の下は、すのこ状の野地板があるだけですが、出雲大社は通常の屋根下地に加えて3層の野地板が重ねてあります。その一番上の板は「流し板」として雨水が流れやすいようにU字形のくぼみが設けられ、さらに板の継ぎ目には漆に刻んだ麻などを混ぜた防腐材が詰め込まれる等、水に対する各種配慮がなされていました。また、通常の檜皮葺きの屋根の勾配は約27°に対して、出雲大社は45°になっています。これにより水の流れが良くなります。これらの各種の長寿命化への配慮により、60年ぶりの補修でも檜の皮の交換のみで済み、その下の構造はそのまま使える状態だったそうです。
 柱の建て方についても、伊勢神宮は地面に掘った穴に直接柱を建て込む掘立式に対して、出雲大社は腐食しにくいよう礎石の上に建てられています。なお、出雲大社も当初は掘立式であり、老朽化のために幾度か建て替えられたようです。余談となりますが、木も完全に水中にあると長持ちします。東京の丸ビルや新潟の万代橋の基礎杭として用いられていた木杭は、改修時に掘り出された実物が展示されています。
 このような水に対する配慮は現在の構造物にも通じるものといえます。道路橋では床版に防水層を設けるとともに、万一雨水が浸透したとしても、部材中の滞水を避けるために、構造物の各部は排水が確実に行えるような構造を求めています。出雲大社も当初から現在の構造であったわけではなく、工夫を重ねることにより270年以上長持ちさせる構造にたどり着いたのではないでしょか。私たちも日頃の管理業務を通じて水の状態や損傷状況を把握し、工夫していくことが不可欠と言えます。国総研では、関係機関との共同研究により維持管理しやすい構造に取り組んでいます。今回紹介しようと考えていたのですが、長くなりましたので、次回とさせて頂きます。


写真―8 出雲大社御本殿の修復状況(清水建設WEBより)

【出雲大社にPC構造物】
 出雲大社は、我が国を代表する木造建築ですが、境内には幾つかのPC構造物があります。プレストレストコンクリート建設業協会が発行されていますPCプレスの第6号で取り上げられています。WEBでも公開されていますので、ご興味ある方はご覧下さい。
 PC構造の建築物の一つが、写真-9の庁の舎(ちょうのや)です。1953年(昭和28年)に焼失した木造の庁の舎の復興として、1963年(昭和38年)に竣工したものです。防火に配慮され、コンクリート構造とされています。構造としては、中に階段室をもつ両端の柱と、その柱をつなぐ約50mの2本のI型PC梁で構成されています。写真の手前の四角い柱の上方に、2本のPC梁が確認できます。また、プレキャスト部材やPCシェルも用いられています。設計者いわく、プレキャスト構造とされたのは、劣化したときに交換できるよう工場生産部材にしたとのこと。また、「交換できる構造とする際には、なぜここが傷むのかを考えることが必要」とも述べられています。内部も素敵な空間になっていますので、出雲大社に参拝される方は、前述の博物館とともに立ち寄られることをお勧めします。


写真-9 出雲大社 庁の舎

【60年ぶりの壬寅】
 今年の干支は「壬寅」となります。私が産まれたのも60年前の壬寅です。この壬寅にはどのような意味があるのでしょうか。12支は生命の循環を表しており、寅は3番目の芽吹きが始まった状態です。一方10干は陰陽5行を表し、壬(みずのえ)は「水の兄」となります。「水」は冬の象徴でもありますので、厳しい冬といえます。これらの組み合わせですので、厳しい冬を経てより生命力のあふれた芽吹きがやってくると解釈できます。本年が、皆様方にとって、よい年となりますことを祈念しまして、新年第1回とさせていただきます。本年も宜しくお願いします。(2022年1月26日掲載、次回は2月下旬に掲載予定です)

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