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-分かっていますか?何が問題なのか- 第55回 市民が好きになる橋の外観、そして塗替えとライトアップ ‐住民のニーズに応える行政判断とは‐

これでよいのか専門技術者

(一般財団法人)首都高速道路技術センター
上席研究員

髙木 千太郎 氏

公開日:2020.09.01

4.永代橋の旧塗膜調査について

 旧塗膜調査の目的は、平成年間までの塗装履歴及び建設当初の色相推定である。永代橋の塗装面積は、22,315.75㎡(橋梁本体21,232.19㎡)と先の清洲橋よりも僅かに少ない。また、架設年次は、1926年(大正15年)であり、供用開始後94年経過している。色相(色合い、色調)の違いの特定方法は、現況の塗膜片を採取し、それを分析することによって使用した顔料を推定する手法をとった。さらに、当時の塗料に関する文献を参考にして、先の調査で推定した顔料を基に、架橋当時に塗布した塗料を再現する配合で調合し、加えて塗膜片の断面写真で確認した上で、最終的な色相判定を行っている。まずは、興味深い90年を超えて供用し、技術の粋を凝らした震災復興橋梁の既存塗膜調査結果について説明しよう。

4.1既存塗膜の調査結果
図‐4に永代橋の上流側主桁側面のフランジ面から採取した塗膜の断面写真を示す。写真で明らかなように架設当初の塗膜➀の1926年(大正15年)鉛丹さび止め塗料から、⑥の2004年(平成16年)のふっ素樹脂塗料(上塗り)まで、永代橋において6回の塗替えで塗布された塗膜が確認できる。
 塗膜断面を確認して意外であったのは、現在資料として残っている、永代橋の塗替え記録には存在しない塗膜が確認できたことである。塗替え記録には存在しなかった塗膜とは、➁に示す塗膜層で、分析結果から下塗りが鉛系さび止め塗料、上塗りが長油性フタル酸樹脂塗料である。ここに示す鉛系さび止め塗料の歴史は古く、昭和初期から使われている、鉛化合物やクロム化合物をさび止め顔料として用いたさび止めペイントである。
 1967年(昭和42年)の橋台嵩上げ工事や1970年(昭和45年)に行った『隅田川筋橋梁調査』においても、重大な腐食指摘箇所が少ないことなどから推測すると、戦後の昭和30年代に東京オリンピックを迎えるにあたって塗替えを行ったと考える。架設当初、大正15年と昭和5年の塗膜内容を表‐1に、昭和47年と昭和62年の塗膜内容を表‐2に、最後に平成7年と平成16年の塗膜内容を表‐3に、塗装年月、塗膜工程、塗装種類を示し、前掲した図‐17の塗膜層と対比できるように取り纏めたので参考にするとよい。


 既存塗膜片採取箇所は、図‐4に示した以外にA1側の橋梁灯下やP1上流側吊材箱桁内面などがある。他の採取箇所は、先に示した主桁側面のフランジ面のように明確な6回の塗替え塗膜の断面を確認することは出来なかった。これは、今回既存塗膜を採取事例として詳細に説明した主桁フランジ面は、塗膜劣化や腐食進捗度が比較的少なかったこともあり、何度か行った塗替え時の素地調整において、鋼肌を露出する必要性が無かったと判断できる。他の箇所、例えば、橋梁灯下の場合は、著名橋整備事業で従来のフタル酸系樹脂塗料よりも防食性能に優れた塩化ゴム系塗料に変更、1995年(平成7年)の塗替え時も同様な塩化ゴム系塗料を採用し、塗替えを行っている。
しかし、2004年(平成16年)の塗替え時には、既に、長期の防食性に優れる重防食塗装系として現行の変性エポキシ樹脂塗料とふっ素樹脂塗料の組み合わせた仕様を『鋼道路橋塗装・防食便覧2005.12発刊』において取り纏め段階であったことから、その後示される技術基準を先取りし、環境に優しい弱溶剤形各塗料を使って塗布した。また、塗替え時の塗膜はく離については、塩化ゴム系の塗料等のPCB有害物質汚染問題が社会的に議論されている時期であったこともあり、塩化ゴム塗料のはく離を極力行わずに、旧塗膜を可能な限り残す塗替え方針があったとも考えられる。
 他の個所、吊材箱桁内面は、予想以上に塗膜の劣化や腐食の進行度が穏やかなことや、塗替え作業環境が特に厳しいことから、1972年(昭和47年)を最後に塗替えは行っていないと考える。この理由は、東京都においては、昭和末から平成にかけて既設塗装の塗替えを行う場合、手が入らない狭隘な箇所、例えば、π断面の主構造、トラス橋の主桁などは、塗替え対象から除外する考え方が主であった。その判断の根拠は、同様な施工環境の部材における過去の塗替え実績、腐食状態と進行度などを調査し、致命的な断面欠損に至る可能性は低いとの結論を得たのが理由である。次に、架設当初から、調査前最後の塗替えを行った2004年(平成16年)までの色相調査結果について説明する。

4.2色相の推定
 供用開始時の色相➀は、グレー色(淡灰色)であることが文献及び今回の分析結果からも推定できる。配合は白20の黒1となっているが、白は亜鉛華、黒は、すす(カーボンブラック)と思われる。永代橋の塗替え記録には無いが、1930年(昭和5年)に第一回塗替えが行われたとの記録があり、図‐4の塗膜断面からも確認ができる。しかし、当時の状況を判断すると、供用開始から僅か6年後に塗装の塗替えを行うとは考え難く、他の理由があった可能性は高い。ちなみに1930年当時は、帝都復興局が施工していた隅田川の主要橋梁の工事は完了しており、東京市が施工していた吾妻橋の完成年にあたる。
 色相は、白20、黒1、紺1の顔料配合に変わり、白と黒の配合材料は当初と同様であるが、紺は紺青と思われ、当初のグレー色に多少青みを持たせたるために追加しものと考える。顔料としての紺青は、鉄のシアノ錯体に鉄イオンを加えて得られる濃青色の沈殿を採用した材料と推定され、古くは1704年ドイツで始めて合成されている。今回掲載した表‐1には加えてはいないが、図‐4の➁で示すように記録に無い塗膜が存在し、色相も架設当初のグレー系から変更、色相はグリーン系(淡彩緑)となっている。戦後になると、高度成長期が終わりを告げる直前の1972年(昭和47年)に永代橋の塗替え行っている。使用塗料はフタル酸系仕様で、色相は建設当初のグレー系に戻されている。
 第一次石油ショックも一段落し、種々な景気浮揚策が打ち出される昭和50年代の末から東京都内の著名橋を対象に著名橋整備事業が行われ、隅田川に架かる震災復興橋梁もその対象となった。永代橋も当然対象橋梁で、著名橋整備事業で、橋詰め広場、歩道部の舗装や高欄などがお化粧直しされ、色相も従来のグレー色から、シンボリックな外観を際立たせる淡彩ブルー色(淡彩青色)に変更された。(表‐2の黄色に着色された部分参照)その後永代橋は、2回塗替えを行っているが、著名橋選定委員会及び隅田川主要橋梁色彩検討結果を踏襲し、色相の変更は行っていない。

 最後に、オリンピックを迎える東京の夜間景観イメージアップと、世界的な課題、地球温暖化防止への寄与を目的とした、隅田川の主要橋梁を対象に行っているライトアップについて、私の思い入れ深い橋梁の事例を基に考え方を紹介しよう。

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