3.おが屑をかき分けたその先に
さて、戦後の混乱期?に残した遺物、桁下が店舗等に占用を許可された(貸し出された)道路橋について私が忘れられないことがある。本当かと疑われる方も多いとは思うが、ノンフィクションの柔らかい?話を提供しよう。
鉄道や道路橋の桁下には、店舗や駐車場等に使うことを許可した事例は多々ある。建設当初から民間企業に橋下を使わせる、もしくは使ってもらうために設計・施工されているのであれば、問題は少ないのかもしれない。しかし、戦後の混乱期、東京オリンピック開催前の時期に桁下の使用を許可した場合は、当初からそれを想定していたケースとは大分異なっている。
道路橋の桁下を使わせるリスク(橋梁は永久構造物、朽ち果てることはないとの考え方。しかし、維持管理行為や架け替えの必要性が出てきた時は、極端な話、許可条件が不十分であると占用させた相手側から補償金を請求される)は考えず、主要な施策(東京オリンピック開催等)を進めることが優先となった。当然、維持管理を行うには不適切な状態となるにも関わらず、言い方は悪いが天井として道路橋を使ったのである。その結果、点検対象の道路橋は、橋面上からしか点検作業や維持管理作業が行うことができない状態となった。例えば、道路橋に変状が発生したとしても、直ぐ桁下に立ち入りことすら出来ないことを指す。このような状況下で、これから私の話す事件が起こった。
それは管理する全ての道路橋を対象に定期点検を始めた年である。私が点検を強行する前のD橋は、桁下が複数の店舗や映画館に使われていることもあって、どのような状態であるのかを調べようともしなかったし、それを口にする人もいなかった。時代も移り変わり、私はD橋も点検対象外とせずに、橋梁構造がどんな状態であるか診ることを提案した。
しかし、どうやって、だれが見るかが問題となった。D橋の桁下は、全ての部分が民間に使われていて、橋梁部材は何一つ露出していない。現地に足を運んで分かった、桁下に入る入り口が。それは人の行きかう通路の天井に、2箇所開いているマンホールのような円孔である。誰が円孔に入るかでまた議論となった。なんせ、天井裏、D橋の桁下を見た人がだれもいない中での点検実施。最終的に私を含めた4名の職員で現地調査を行うことが決まった。「何時やるか、今でしょう」で行えればよいが、使用者との調整は難航、実施する時間帯がなかなか決まらない。最終的に、店舗や映画館を利用する人の数が少ない午前中に行うことで関係者と了解を取り、通路に大型の脚立を置いて、円孔から天井裏に登った。登る前にD橋桁下店舗の店主に聞いたところ、過去に天井裏に潜り込んだのは桁下の建物を造った時のみとのことであった。
脚立の上から恐る恐る立ち上がってのぞき込むと、円孔から先は真っ暗で全く先が見えない。暗闇の先を見るために懐中電灯で照らした空間は、おが屑(木材をのこぎりなどで切る時に出る細かい木屑)がびっしり敷き詰められた世界が浮かび上がった。おが屑は、映画館の天井に隙間なく敷き詰められ、映画の上映が始まると音響振動でおが屑が躍る、びっくりするような空間だった。映画館の関係者から聞いた話によると、天井裏に敷き詰められたおが屑の目的は、音響効果を高め、音が漏れないようにするためだそうだ。私が読者の皆さんに話そうとしているのはおが屑の話ではない。
映画館の天井裏、おが屑をかき分け、鋼部材を伝い、這いつくばって外桁(耳桁)に移動した時、驚愕の事実が目のまえに広がった。私は心の中で、「見なければよかった。知らなければよかった」である。おが屑の先には、黒光りする鋼桁が何連かある。しかし、外桁の一部は何か所も大きく断面欠損し、一部は破断しているではないか。写真‐17は、断面欠損した部材、写真‐18は、破断した部材である。
写真‐17 著しく断面欠損した鋼部材
写真‐18 断面欠損から部材破断したD橋
ここに掲載した写真はまだ状態が良い方で、一部変形し大きく断面欠損した鋼部材は今回載せることは差控えた。橋面を車両が走行する音がかすかに聞こえるが、路面に窪みでもあるのか、時々叩くような音がし、そのたびに大きく穴が開いた桁は振動する。よくもまあ、こんなに大きく穴が開いた状態で耐えてくれたと感謝すると同時に、緊急措置はどうすれば良いのかの判断となった。断面が大きく欠損している桁は、路面上に上がって確認すると歩道と車道の境界にある桁のようである。当然、幹線道路の交通を一部規制し、鋼桁補強工事、それも即日施工と決定。そこからが一大事件。私は担当事務所や関係者から疫病神のように見られたのは事実である。
まずは、供用している路面の規制、歩車道境界から約2mの規制が必要と所轄警察に話に行った時、なぜ、D橋がそのような危機的状態となったのかについて説明を求められた。しかし、どう考えても交通管理者の担当警察官が納得できそうな理由が思いつかない。最終的には道路管理者の怠慢と決め付けられ何とか説得、緊急工事として発注した工事の請負会社もなかなか決まらず、苦難の連続であった。何とか桁下の映画館、店舗の経営者に協力してもらい、先の小さな円孔から交換桁、交換部位・支承、補強部材を何度も人力で運搬、時間はかかったが何とか補強工事は完了できた。良かった、とんでもない事故とならずに。ここでも、神は私達を見はなさなかった。写真‐19は、断面欠損した部位を交換した状況写真である。
しかし、人生長いと種々な経験をするが、この世の中に、おが屑の先に見える異様な空間を実体験した人は何人もいないと思うことから、今回道路橋の腐食、耐久性向上の話題提供に相応しいと判断、紹介した。その時の教訓は、事を決める時、時間にどんなに追われても最後の詰めまで考えることが必要で、安易に物事を決めると後に大きなしっぺ返しとなって帰ってくる、という反省であった。有能な技術者は、構造物に永久構造物はないと考え、想像力を最大限働かせ、将棋の藤井六段のように先の先まで考えることが必要と思う毎日である。
文末に、私にとって、とても悲しく、残念と思ったことを付け加えておこう。橋梁業界の重鎮である栗田章光先生が半月ほど前、突然お亡くなりになった。昨年、機会あって『プレビーム合成桁橋設計施工指針改定委員会』の委員に命じられた際、栗田先生のお身体があまり良くないとの話があった。私は、栗田先生と親交があるわけではなく、学会等でお目にかかった時も軽い立ち話をさせていただける程度であったが、眼鏡の奥から光る眼光の鋭さは忘れることはできない。
また、栗田先生の技術への取り組み、意欲は年を重ねられても薄れることは無く、私が委員となっている先の委員会でも「委員会には出られないが、何時でもアドバイスするよ」と、技術開発に意欲を示し、委員会顧問も引き受けていただいたと聞いている。国内の貴重な技術の星を失ったとの残念な思いと、私自身、栗田先生にもっと多くの事を伺っておけばと反省する2月であった。私は望んでいる、栗田先生の技術向上に向けた強い意欲と熱い心を引き継ぐ若手技術者、亡くなられた栗田先生が認める優れた専門技術者が育つことを。