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-分かってますか?何が問題なのか- ⑮ 「アセットマネジメント、予防保全型管理について」

これでよいのか専門技術者

(一般財団法人)首都高速道路技術センター
上席研究員 

髙木 千太郎

公開日:2016.07.01

2.アセットマネジメントを導入した最大の理由

 アセットマネジメントを導入した理由は、当然、道路施設の高齢化、更新ピークの平準化とコスト縮減をあげるとお思いの方が多いと思うが、実は主な理由は他にある。導入をしようと考えた最も大きな理由は、建設部門から管理部門に異動した際に強く感じたこと、消極的な執行体制の改善策として機能することを期待したからである。平成の初めは東京都において「世界都市博覧会」(図-2、図-3参照)を臨海埋め立て地域で行うことが鈴木都知事の元で決定され、開催に間に合うように関連施設の整備が大命題であった。


図-2 世界都市博覧会バッジ/図-3 世界都市博覧会記念で配られた私も持っている記念品

 当時の私は、会場となる臨海部に通ずる重要な交通手段として、東京港連絡橋(現在のレインボーブリッジ)及び臨海新交通(現在のゆりかもめ)の建設事業に携わり、土日も潰して設計・積算業務を行っていた。仕事は残業、残業の連続で体力的にも大変であったが、首都高速道路に関係する技術陣の悲願であった第一航路を跨ぐ「長大吊り橋」と約12㌔となる新交通システムであることから業界や学生の注目度も非常に高く、職員として久しぶりに「やりがい」を感じた職場でもあった。東京港連絡橋新交通システム建設室で得た貴重な体験は別の機会にするとして、レインボーブリッジ取付け部(芝浦と台場)及び新交通の主な設計、積算が終った段階で先の業務を離れ、新設橋梁の企画部門、管理部門へ異動した時に感じた話である。
 第一は、国の「道路局」所管予算を主とする組織の話である。新規道路及び改良、橋梁建設や更新事業は、確かに東京都の一つの顔を創る魅力ある仕事ではあったが、高度経済成長期・昭和の時代と比較すると「道路局」に関連する事業規模は縮小し、事業費が少ないことから組織存続が危ぶまれている時期でもあった。
 公務員の仕事を知っている方であればお分かりと思うが、行政において魅力の少ない事業、事業縮小が公に明白となるのは、議会及び関連委員会における議員からの質問数減少がある。一般的に地方自治体の場合、年間4回の定例議会が開催されるが、1年間に1度も議会質問及び答弁の機会がないことは、担当する局長や幹部だけでなく、担当する部長にとっても屈辱的な事である。要はその組織が行っている事業に注目度、話題性が無いから議会質問が無いと言える。道路を建設する組織としては、東京都のように膨大な事業費を抱える街路事業があれば問題は無いが、道路事業を中心とする組織の場合はこれとは違う。
 東京都にも道路事業を主とする組織があり、首都であることから都市計画事業が主であり、「道路局」関連予算を主とする組織縮小案は何度もあった。要は、都市計画事業を主とする「都市局」事業費は膨大となるが、「道路局」事業は執行予定箇所が無いのである。当然のごとく、議会質問も右肩下がり、議会での出番も無くなる。そこで、幹部の「檄」が飛ぶ。組織存続危機を回避し、議会での出番を創る(言い過ぎかもしれないが)ため、企画担当が新たな道路局に関連する事業として成り立ちそうな箇所を都内全域で酌まなく調べることになった。
 その結果、これなら事業化が可能として残ったのが道路事業は国道411号線と並行するバイパス路線「新滝山街道」(図-4参照)、橋梁事業は、「多摩川中流部架橋」(写真-2参照)であった。

 
図-4 道路事業で計画された「新滝山街道」


写真-2 多摩川中流部架橋事業のスタート「多摩水道橋」

 「新滝山街道」を新規事業化として目論見、基礎資料づくりの段階で行った現場調査の時、肌で感じたことを今でも忘れられない。それは、秋川を渡河する旧秋留橋の右岸、当時の著名なリクリエーション施設である東京サマーランド入口で国道411号線と「新滝山街道」が結節点となる場所である。旧秋留橋には、コンクリートゲルバー部分に大きなひび割れ損傷が発生したことから何度も現地に足を運び、当時施工実績の少ないPCケーブル補強工法を採用することで緊急事態を回避したこと、新たな橋に架け替えるために橋脚本数を含め構造形式を検討、何度も詳細構造を変更したことなど思いで深い橋梁でもある。苦労した秋留橋の取付け部(秋川と並行して走る国道と河川に直交していた旧橋)の曲線処理、それが、「新滝山街道」が開通すればあの時の払った苦労も意味がなくなる。初めからこの道路を計画していれば、と左岸側斜面のトンネル坑口予定箇所を何度も確認、架け替え事業に着手していた秋留橋を後ろに見て心の中でため息をついた。参考ではあるが、現在の秋留橋は2000年(平成12年)に架け替えた4径間連続鋼箱桁橋であるが、旧秋留橋は、1939年(昭和14年)に供用開始した7径間の鉄筋コンクリートゲルバーアーチ構造の後に国道昇格した3等橋であった。旧秋留橋と姿が同じであった写真-3に示す下流に架かる東秋留橋(人道橋として保存してある土木遺産)で分かるので、機会があれば是非現地を見てもらいたい。外見は古いが哀愁を感じ何故か美しい、周囲の景観とコンクリートアーチの外観がマッチするのである。


写真-3 秋川を渡河する美しい土木遺産「東秋留橋」

 先に示した新たな道路事業と「多摩川中流部架橋事業」など橋梁事業を立ち上げたことで組織縮小論を断ち切り、議会での出番を創ることにも成功した。民間企業であれば、このようなことは無いのかも知れないが、行政の組織防衛論と定数確保に使われる職員が費やすエネルギーはかなりのものである。いずれにしても道路、橋梁いずれも担当者が頭を抱え、四苦八苦して新事業の立ち上げを行い、それら事業が財政当局や首長から認められたからこそ成果となったが、一歩誤れば組織は無くなる事態であった。ここに示した組織防衛論はその後も継承され、先に示した「臨海新交通(ゆりかもめ)」が終ると次は「多摩モノレール」、次は事業化が一度頓挫した「西日暮里舎人新交通」の再事業化、そして「中央環状線」施工組織の立ち上げと組織防衛をその都度行い、今日に至っている。国内の多くの行政組織が行っている事ではあるが、この考えも将来の先読みと組織全体の努力と関係職員の熱意が無いと行き詰る。この組織防衛論、定数確保が後に障害となる。
 さて、ここで本題のアセットマネジメントを導入した主な理由についてである。建設部門から管理部門の組織に異動して、道路管理に関連する議会質問の少なさには閉口した。道路を建設すれば管理は増えるため組織廃止の危機とはならないが、組織定数を減らす話は常に付きまとっている。それよりも大きな事は、道路管理部門への異動希望者が少ないことであった。当然、若手、特に新卒の希望者がほとんどいなかったのが当時である。そこで考えたのが、私が平成7年秋から8年の春にかけて海外研修制度で米国の東海岸と西海岸で学んだ時、連邦政府FHWAで知った「アセットマネジメント」である。「アセットマネジメント」何とも響きが良い。暗いイメージが付きまとう「維持管理」、新しいようで何となく後ろ向きな言葉「メンテナンス」、これら暗く、保守的なムードを打ち消すにはまずはイメージ創りが第一と考えた。「アセットマネジメント」外向き(議会や報道)にも、組織内の事務職、計理担当の職員にも受けが好い。
 そこで、当時、土木学会でスタートしたばかりの東京大学小澤教授が委員長であった『アセットマネジメント小委員会』のメンバーに加えていただき、委員会開催のたびに情報収集である。その後、平成15年の秋に徳島大学で開催された土木学会全国大会において忘れもしない討論会開催(私も討論会のスピーカーに成りたかったが実績が無いので無理!)と並行するように、東京都の中で「アセットマネジメント」の有益性を唱え、何とか平成13年度以降の「道路アセットマネジメント事業」に関する予算化及び「道路アセットマネジメント係」の組織新設を勝ち取った。その後、全国に「アセットマネジメント」導入の波が一巡した後、何故かインフラ業界において話題に上る数が激減したのである。要は種々な地方自治体が流行であるので「アセットマネジメント」に取り組んではみたものの、大きな障害があるのに気付いたのである。
 効率的な投資と事業費の平準化やピークカットを成果目標とする「アセットマネジメント」の主たる考えを実行するには、組織を超えた横串的な事業展開が必要となるが、従来の縦割り組織からの予想を超える抵抗で計画が実行できない場合が多いからである。ここでは、先に示した組織防衛論が強力な抵抗勢力となるのである。これが現実で、「アセットマネジメント」が浸透しないとしたら日本の未来は暗い。

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