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増渕基氏の足跡をたどり、日本の橋梁デザインについて語る

2024年新春特集③ 『橋をデザインする』座談会

(座談会参加者)
(写真上)
三井住友建設株式会社
執行役員副社長
春日 昭夫 氏

(写真中)
大日本ダイヤコンサルタント株式会社
CSR本部 理事
松井 幹雄 氏

(写真下)
富山大学
教授
久保田 善明 氏

公開日:2024.01.01

コンペに積算が追い付いていない現状

 ――コンペを行って作った建造物は官民一体となってお祭りのように盛り上げますよね
 春日 ただ、少し私の中で答えが出ていないのは、橋はやっぱり公共インフラです。コストが倍ぐらいの案でも発注者側が良いといった場合、納税者はそれをどのように受け止めればよいのか、という点です。その辺はどのように解決していけば良いんですかね、久保田先生。

 久保田 コンペ段階でのコストコントロールは難しい問題です。コンペでは、通常、募集要項の中で発注者から事業費の上限が示されていますが、提案者はたいていその上限に収まると説明はするものの、実際に詳細設計をやってみると収まらなかったというケースはありがちです。神戸市の三宮駅周辺歩行者デッキのコンペでは、提案時に、概略とはいえ、数量計算書の提出が求められました。その代わりに、提案負担に配慮して、2次審査に進んだ4者には2次審査検討費として一律150万円ずつが支払われています(あらかじめ募集要項に記載)。

 ――積算という意味ではどうなんでしょう久保田さん
 久保田 コンペで選ばれた案は、構造やディテールが特殊なケースも多く、標準的な歩掛では工事費が適切に積算できない場合があります。そのような工事は、施工者にとっても未経験な部分があり、施工者はリスクを感じて見積りすら出したがりません。この部分は特に難しいところで、コンペ実施時点では十分な精度で評価できない難しさもあります。橋など難易度の高い構造物ではデザインビルドでコンペを実施する方が発注者側のコスト管理はしやすいと思います。
 松井 積算に関しては、その体系を何十年も前から変えていない現状を憂いています。示方書と積算体系の関係はワンセットなところもあると思いますが、そこがあまり議論されていないように感じています。
 この本を出そうとした背景にも関わりますが、「橋梁設計全体に関わる哲学を揉まずに、目先の課題解決を急ぐあまり、手当てが小手先になっている」事への危機感がありました。「全体を見通して考える人」が今、不足している気がしています。
 久保田 松井さんの会社でも平和大橋(広島市)の歩道橋で苦労されたと思いますが……。
 松井 積算で苦労した訳ではありませんが、コンペ後の詳細設計まで完了している段階で、一旦事業が中止になって、世界に公開されたコンペで選定された案が破棄されてしまいました。
 久保田 しかも、設計業務の契約も折り合いがつくまで時間がかかっていましたよね。
 松井 最初は、いわゆる「横断歩道橋」の積算体系を参考として積算されていたと聞いています。その金額では、デザインと構造が融合した橋の設計は出来ませんので、様々な調整をお願いしながら設計を進めていました。
 当社の事例として、2006年のコンペで選定された各務原大橋も設計に関わるフィーについてはいろいろ課題を感じながら進めました。まず、コンペ勝利後に実施した予備設計段階は、懸案事項を入念に検討したので、業務としては赤字でした。それは、積算体系が予備設計段階で入念な検討をする前提になっていないからですし、プラスアルファの設計費の予算計上のハードルがとても高いからでもありました。そして、その赤字分は詳細設計段階で取り返せるかな?と思って、やるべきことを優先して前倒しに仕事に取り組んだ次第です。
 久保田 でも、詳細設計はとれなかった・・・。土木学会のガイドラインでも、設計者の継続性は非常に重要だとしています。コンサルタントのビジネス的にも詳細設計は重要ですが、ものづくりの観点からも、やはり、設計者が途中で変わっていたのでは良いものはできません。その点、各務ヶ原大橋では先回りして予備設計段階からしっかり品質を作り込んでおられたことはさすがだと思います。


各務原大橋(松井氏提供)

磨くのは「個人の哲学や感性という有機」
 官民の垣根が低いヨーロッパ

 ――この本は、その「哲学」を示したいわけですね。
 松井 春日さんは「私淑」の大切さを書いていますが、そういった人が育つ環境が、業界にあることが大切だと思います。創造は個人の着想、発想から始まり、そのあとに、チームワークが機能し始めると考えます。こなれたチームになれば、チームで創造することも可能になると思いますが、基本は個人だと思います。ですので、橋を設計する個人に焦点を当て、その個人が哲学を有しつつ成長することがまず大事であると思います。「技術という無機的なスキル」も大事ですが、それ以上に「個人の哲学や感性という有機的な在り方」が大事で、そこに「私淑」が生まれるのだと思います。それがなければいくら技術レベルが高くても、仏作って魂入れずの類になると危惧しています。

 ――しかし、そうした話を聞いていると、評価する側の人間のレベルも高いものが要求されますね。総合評価やデザインビルドでも言えることかもしれませんが
 春日 難しい。でもね、総合評価やデザインビルドは結構クリアなんですよ。プライオリティがはっきりしているから。
 コンペのエピソードとして面白いのはフランスのミヨー橋です。私が小田原ブルーウェイブリッジに携わっていた時にミヨー橋のPFIのコンペに参画したジャン・ミュラーと親しくなったんですが、彼は600mのPCアーチ橋を私に説明しました。ビルロージュ(ノルマンディー橋の設計などで有名)は連続斜張橋案だったんです。


ミヨー橋(春日氏提供)

 ビルロージュが後に私に話したのですが、なんでミヨー橋で連続斜張橋を設計したかというと、600mのアーチをミヨー側から見ると下が見えなくなるんです。谷が深いから。私はとても納得しました。ビルロージュは当時、発注者側にいましたが、彼は斜張橋案を実践したいがために役所を辞めて民間の提案する側に転職しました。そんな人、日本にいますか? それぐらい力がこもった橋なんです。
 松井 あの斜張橋案にはそういう経緯があったのですね。
 春日 ミヨー橋は特殊なPFIの案件で施工会社が70~80年間料金徴収権を有しているから早く作らなければなりませんでした。多分連続斜張橋も費用はかなり掛かったと思いますが、あっという間に作ってしまいました。ビルロージュは凄くエキセントリックだけど情熱があるエンジニアです。
 松井 日本にもかつてそういうエンジニアはいました。増田淳さん等はそうした方だったかも知れませんね。今から40年以上前の1979年発行『山河計画(橋)』には、「橋を文化としてみれば」と題する座談会とか伊藤學先生(東京大学教授(当時))の「身内からみた橋」というエッセイなどが収録されていて、今言われているような問題点が様々書いてありました。たとえば、「大鳴門橋の主塔の設計にさいして、公団本社では従来の殻を破った新しいデザインを提案したが、現地の技術者の賛意を得られず、結局、在来の関門橋タイプに落ち着いてしまった。」と書かれていました。どんな案だったのか見てみたいと思いましたし、その反論も聞いてみたいと思いました。経緯を知れば、より深くその橋や社会状況を知ることになり、愛着も湧くと思うからです。
 春日 大鳴門橋は検討初期段階では、吊床版案もあったんですよ。
 松井 そうなんですか? でもそういうデータはほとんど私たちの目には触れないですね。そういった橋梁計画の初期段階からの議論がオープンであったなれば、次世代の糧になったと思います。次世代の人材育成のためにも、その当時、何をどう考えたのか、それをオープンにする制度とか環境作りをしていかないといけないですね。

 ――知見を多く学び、判断する力をインハウスエンジニアが養うには、今のような3年周期で職場を変える大量生産時代の習慣をやめ、少量多品種の状況に対応できる本当の専門家を養っていくしかないですよね
 松井 その課題は役所側だけでなく、民間でも課題になりつつあります。本当の専門家を育て保持することの大切さを、社会や組織の経営層の多くの方々に分かって欲しいと思いますね。

優秀な人材が独立することにより新陳代謝が進む
 日本の橋梁技術者の系譜を作りたい

 ――まあ、本当に自分の腕に自信があり、現場に携わって我が道を行きたい技術者は、出てしまいますよね
 春日 欧州などの設計会社は会社自体がそんなにでかくないですね。100人ぐらいおれば多いくらいです。
 こじんまりしているからボスのコントロールが効くんですよ。橋のデザインでも。百人ぐらいだったら目が届くわけです。
 松井 欧州の設計エンジニアの活動を眺めていると、優秀な人材は独立していっていますね。その人がコンペで勝って新しい会社を興すわけです。その繰り返しで新陳代謝や競争が活性化しています。
 久保田 それで思い出しましたが、増渕さんは日本の橋梁技術者の系譜を作りたいと常々言ってました。ただ、日本では難しいよと彼には伝えました。欧州だとレオンハルトがいて、シュライヒ親子がいて、ローラン・ネイもルネ・グレイシュ事務所で修業してとか、系譜のようなものが比較的分かりやすいのですが、日本は組織名が前面に出てくるので個人がわかりにくいのです。各組織の中には技術者の系譜のようなものがあると思いますが、日本として技術者の系譜を作るのは簡単ではありません。
 松井 一方、優秀な人はすぐ管理職になってしまいます。

 ――しかし本当に橋の設計をやりたい、デザインをやりたいという人は、辞めて転職したり独立したりしますよね。本来はそういうスペシャリスト志望の人材こそ生かし、その人の下で同様の志望を有する若手を育てることこそが、我々の業界の発展に寄与するんだと思います。そういう意味では増渕基さんが造ろうと考えていた系譜を明らかにする作業は有益ですね。それを意識することこそが有益です。
 春日 私は専務時代にも設計監理技術者をやっていましたよ。桶川高架橋(圏央道に建設したバタフライウエブの連続高架橋)で、カウンターパートナーが本間(淳史・当時NEXCO東日本関東支社さいたま工事事務所長)さんでしたからね。


桶川高架橋(春日氏提供)

 ――本間さんは所長でしたが、精力的に現場を見ておられましたね
 松井 そうなんですね。個人のキャリアは人それぞれですが、橋梁スペシャリストとして、役員待遇のような形で、自由に動けるような仕組みがあると、働き方の多様性にも寄与するし、良いと思いますが、そういった例はあまり見ませんね。
 春日 日本の社会は橋梁も含めてエンジニアをあまりリスペクトしていないともいえます。経営者は圧倒的に文系が多い。
 松井 現在はどの会社でも仕事の属人化を嫌うでしょう? あれはどうかと思っています。
 春日 駄目だね。属人化するからこそ、ネットワークが広がる。私たちが増渕さんのために動くにも組織に即しているわけでなく、彼が人として魅力があったからです。彼の哲学やそれをもとにした行動力に惹かれた。本当はそうしたものをこそ、組織は尊重すべきなんだと思います。そういう若者が我が国からはいなくなってしまいました。
 松井 だからこそ、僕らはその余白を今からでも作らなくてはならないと思います。

 ――属人化を許さない、出る杭を打つ組織の悪弊、すごくよく分かります。本当にそれは打破しなくてはならない。組織は個の集合体であるわけですから
 松井 増渕さんはドイツでは異邦人であることも含め苦労していたかもしれません。
 久保田 ドイツでは苦労していたようです。上司や同僚からドイツ語で議論を吹っ掛けられるんですが、彼もドイツが長いとはいえ、ネイティブのようには喋れないですから、「日本語で議論すれば勝てるのに!」と悔しがっていることがあったようです。
 松井 欧米の会社は自分の居場所は自分で作らなくてはいけないと聞きました。それは個人が技術の根源であることを認めているからだと思います。得意を持ち寄ってチームを組む。
 春日 ドイツに日本人が行って、ネイティブの中で議論されたら100%凹みますよ。
 松井 特に増渕さんは、これから残そうという立場で、名刺代わりの作品がまだなかったから大変だったと思います。

作り方から橋をデザインする
 5%のスペシャルの大事さ

 ――設計と施工間の課題の問題は第3、6章で書かれていますが、これについて述べてください。
 久保田 3章の「作り方から橋をデザインする」というタイトルは、実は増渕さんが同じタイトルの論文を『橋梁と基礎』で書いており、そこから付けさせていただきました。彼が論文に書いていた橋についても、私なりの視点で紹介しています。
 この本は、どちらかというと学生や若い技術者に向けて書いた本ですが、施工というのは学生や若い技術者にとって分かりにくい世界です。ある程度の現場経験がないとイメージするのが難しく、しかも、個別事例的に紹介されることがほとんどなので、知識としては学びの効率が悪いのです。しかし、全体が俯瞰できていなければ良い発想にもつながりません。つまり、若い人たちにとっては、施工の知識不足がネックになることが多いのです。もちろん、本当にスペシャリストになるためには、しっかりとした経験が必要ですが、この本では入門書に相応しい基礎的な体系を見せたかったんです。工法をバラバラに示すのではなく、統一的な考え方をベースに様々な工法を理解することができ、そして自分でも考えてみることができる、施工とデザインにまつわるそんな知識体系を見せようとしました。デザイナーというのは、それぞれが頭の中に自分なりの体系をもっています。書物から学んだ体系と実務を通して学んだ体系、そして自分なりに考え抜いて見出した体系、それらが頭の中でひとつにつながっているのです。そこにちょっとした早道を示したいと思いました。本を書くことの意味はそういうところにあると思っています。おそらく、熟練したプロよりも、若い人の方が3章を読んでよく理解できると思います。
 春日 3章のようなまとめ方をしている本は、今までありそうでなかったですね。


さまざまな橋梁形式を構造システムの連続性と対称性の観点から整理
ここから施工プロセスの体系が解説される

 ――橋梁設計者は単にデザインや設計だけが出来るだけでは不足しており、本来は計画から設計、施工に至る工程が全て網羅できることが必要だという事は議論を俟たないと思います。私はそれに少し警鐘を鳴らしているようにも感じましたが、それは考え過ぎですかね。
 久保田 その意味もあります。全体を通したエッセンスは、橋梁形式が施工プロセスに従ってどう変化していくか、ということで整理して考えると理解しやすいよ、という観点で書きました。
 春日 私は幸い、設計及び施工を同じ会社の中でずっとやってきました。シビアな現場か否かというのは設計や施工初期の段階ですぐわかるんですよ。そして設計が悪ければ怒られる。そういう緊張感はありました。
 久保田先生が示されているのはあくまでベーシックな例で、それに当てはまらない現場も沢山あります。そして、自社の機材を使って特殊な工法を当てはめる時もあります。
 とりわけデザイン性に「優れた」橋梁は、施工の際の苦労も増します。ここで考えるべきは橋のデザインコンペの際に、どの程度そうしたコスト増を容認するかという事です。デザイナーは、施工法はベーシックなものを提示しますが、あくまで完成・供用系のデザインであり、施工法は施工会社に投げます。しかし作り方は非常にコストに関わってきます。基本的には作る人とデザインする人がチームを組んで、どれだけコストがかかるかを概算すべきだし、デザインと施工法ですり合わせ、時には妥協することも必要だと思います。また、どうしてもデザインを実現したいとすれば、どのような施工法が最適か、議論していくべきだと思います。そういう議論は、デザイナー、エンジニア両方の質を高めていきます。そういう議論が今はありません。
 「新しいこと」に挑戦する際はみんなド素人なわけです。新しいデザイン、工法についてはコスト面も含め、みんなわかりません。だけど新しい工法を行う際は既存工法の±10%ぐらいのコスト変化に抑えるなど、ラフに設定を行い、それで行けると思えば、提案を行っています。幸い、大きな赤字を招いたことはありません。
 プロフェッショナルと言われる人々でも95%は、新しいことに難色を示します。しかし、5%のスペシャル所長がいて、方法を理解して自分で考える人がおり、そうした人々に私は新しいことを提案し実現してきました。

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