道路構造物ジャーナルNET

「何があってもこの鉄道を残す」鉄道マンの志

南阿蘇鉄道 2023年の完全復旧めざし工事は最終盤

南阿蘇鉄道株式会社
専務取締役

津留 恒誉

公開日:2022.05.25

 阿蘇地方は、記者も小学生のころに修学旅行で初めて訪れて以来、たびたび訪れている。ただし近年では残念ながら災害で訪れることがしばしばある。2012年7月の九州北部豪雨、2016年4月の熊本地震、2017年7月の九州北部豪雨などを思い出す。とりわけ2016年4月に起きた熊本地震では、阿蘇地方も大きな被害を受け、大規模な橋梁では阿蘇大橋が落橋、阿蘇長陽大橋や南阿蘇橋などが長期間不通となるなど甚大な被害を受けた。南阿蘇鉄道もその例外ではなく、2つのトンネル、2つの橋梁を含めた路線の多くが被災し、長期間の運行停止、部分的運行を余儀なくされている。しかし、それも過去のものとなりそうで、来年夏ごろの完全復旧を目指し、復旧工事は終盤を迎えている。南阿蘇鉄道の津留恒誉専務に現状を聞いた。(井手迫瑞樹)

熊本地震の沿線震度(南阿蘇鉄道発表資料『地域鉄道の復旧と今後 熊本地震から南阿蘇鉄道の復旧に向けて』より抜粋、以下注釈なきは同)

土工部だけでなく2つのトンネル、橋梁が大きく損傷
 トレッスル橋脚の立野橋りょうは下部工を補修・補強

 ――熊本地震での被害を改めて教えてください
 津留専務 全線が17.7kmに対して、全線の中央から立野駅に向かうにしたがって被害が激化している状況にありました。構造物は2つの橋梁、2つのトンネルが大きく損傷しました。土木的な被害では法面変状、落石、地盤変状、ホームの変状、軌道の変状、路盤の陥没などが生じました。


主な被害箇所一覧

被害発生状況
大雨による二次災害

 ――正直、高千穂鉄道などが頭をよぎり、心配していました。鉄道復旧への使命感は強かったと思いますが、よくここまでこぎつけることが出来ましたね
 津留 並大抵のものではありませんでした。熊本地震の影響で、あれだけの甚大な被害を受けたのは事実です。しかし私たちは鉄道マンです。何があってもこの鉄道を残す、それしか考えませんでした。被災後の取締役会で鉄道をどうこうするということは私の頭にはなく、残すためにはどうするか? しかありませんでした。可能な限り南阿蘇鉄道を全線復旧するという案しか出していません。廃線も含めた議論は我々がすることじゃないですから。
 ――鉄道ファンとしては非常に心強い言葉です。さて個別の構造物について聞きます。2つの橋とトンネルとは
 津留 第一白川橋りょうと立野橋りょう、戸下トンネルと犀角山トンネルです。トレッスル橋脚が特徴的な立野橋りょうは復旧を完了しています。


復旧が完了した立野橋りょう(左)、桁上では敷設した線路の供用前点検が進んでいた(右)。(いずれも井手迫瑞樹撮影)

1P橋脚柱部のうきによる損傷状況(左端)、同補修完了(左中)、2P橋脚基部のアンカー破断(右中)、同補修完了(右端)
(南阿蘇鉄道提供)

4p橋脚柱部のうきによる損傷状況とその補修完了状況(左端、左中)、2A橋台基部のアンカー破断(右中)、同補修完了(右端)(南阿蘇鉄道提供)

 ――立野橋りょう(大正13年に供用されたトレッスル橋脚を有する鋼プレートガーダー橋)は、どのように損傷していたのですか
 津留 1P橋脚(コンクリート形式)では全周ひび割れ、2P橋脚基部(トレッスル橋脚)では一部でアンカー破断、3Pおよび4P橋脚(トレッスル橋脚)ではトレッスル橋脚基礎のひび割れ、石積みブロックの浮きが確認されました。その復旧方法として1P橋脚は鋼板巻き立て、2P橋脚は基礎コンクリートを拡幅し、ブラケットを取り付けて新たに設置したコンクリートブロックにアンカーで繋げる補強方法、3P、4Pについては鋼板による補強を行いました。石積みブロックは鋼板接着により巻き立てて補強しました。化粧板を一部活用するなど、景観的には違和感はさほどありません。

犀角山トンネルは被害が大きく崩して平場に
 安定した運行を考慮し独自で判断

 ――犀角山トンネルの損傷状況は
 津留 全長125mのトンネルでした。当初は、損傷が大きかったこともあり、これを崩して、平場にしました。今は第一白川橋りょうをかけるための地組ヤード及び部材置き場になっていますが、同橋りょうの架設完了後は軌道を通していきます。


犀角山トンネルは平場にした(南阿蘇鉄道提供)

 同トンネルは熊本地震の要因となった布田川断層の一部がかかっていたました。具体的に言うと同トンネルと第一白川橋りょうの境目付近で、それからトンネル側40~50mが断層による影響を一番ひどく受けました(南側に217mm~最大490mm横ずれ)。トンネルの損傷も顕著な浮きや剥離が生じるなど大きなものでした。
 復旧方法を模索した結果、当初は40mほど高森側(第一白川橋りょうと隣接する側)を切り取って、あとは補強するという案もありましたが、最終的には125mのトンネルを全て撤去することにしました。約7万㎥の土砂量が生じましたが、土捨て場も確保しつつ施工しました。100m以上の一つのトンネルを全撤去して平場にするのはあまり例がないと思います。


犀角山トンネルの変状展開図(国土交通省発表『南阿蘇鉄道の鉄道施設災害復旧調査参考資料』より抜粋)

40mほど高森側を切り取って、あとは補強するという案もあった(国土交通省発表『南阿蘇鉄道の鉄道施設災害復旧調査参考資料』より抜粋)

 ――思い切った判断ですね
 津留 被害の状況からして、復旧するにしても損傷がひどく、列車を安定的に運行するには不安要素が大きすぎました。地震後に間髪入れず九州北部豪雨が来たことも大きいです。トンネル地山への雨影響によって地盤が弱まり再損傷を招く可能性もあると懸念されました。全体最適の観点から全撤去に踏み切りました。
 ――トンネル撤去自体はどれくらいかけて行ったのですか
 津留 1年間ぐらいかけて施工しました。
 それと同時に土工工事、立野橋りょうの補修工事に着手しました。

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