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水中梁はボルト・ナットを含めすべて二相ステンレス鋼を採用

鳥取市 擬宝珠橋 水中梁の上に木造橋を乗せる日本初の工法で復元

 鳥取市は、国指定史跡である鳥取城跡の内堀に架かる擬宝珠橋の復元工事を行い、2018年10月8日に完成式を行った。堀底に残る橋脚の遺構を保全するために、既設コンクリート橋の基礎の上にステンレス製の水中梁を設置して、その上に木造橋を復元するという日本初の工法を採用したことが特徴だ。文化庁が認めた城郭の復元橋としては国内最長となる橋長36.652m(幅員6m)の同橋復元工事をレポートする。


3世代にわたる橋脚遺構を保全して下部工を構築

 水中梁は既設コンクリート橋の基礎を使用して設置

  擬宝珠橋は鳥取城の大手橋として1621(元和7)年に創建され、何度かの架け替え、修繕の後、1868(明治元)年の最後の架け替えを経て1897(明治30)年まで存続していた。鳥取市は、国指定史跡内での復元であり、遺構の保存に万全を期すことを大前提として、発掘調査の結果や学術成果を反映したほか、明治12年に撮影された同橋の写真なども参考として復元に臨んだ。



発掘調査の様子/明治12撮影の写真(鳥取市提供。以下、注釈なき場合は同)


 復元で最大の課題となったのは、発掘調査で判明した3世代にわたる69本もの橋脚遺構を保全して下部工を構築しなければならなかったことだ。検討段階では、杭で固定した橋台を重りにして橋全体を支える片持ち構造(出島表門橋形式)とする案や遺構を埋め立てる案も出たが、橋台周辺の遺跡保全や景観上の観点から見送られた。そこで、遺構を跨ぐように水中梁を設置して、その上に木造橋を乗せた二重構造の橋とする日本初の工法を採用することにした。水中梁は既設コンクリート橋の基礎を使用して設置することになるが、基礎の健全性と荷重の点で問題ないことも確認された。

 また、水中梁採用では、橋脚遺構の上面にホゾと呼ばれる凸部が残っていて、そのホゾを使用して3本の橋脚を結びつける横木を水中に渡し、その上部に設けた橋を定期的に修繕したり、架け替えたりしていたと考察できる発掘調査結果もひとつのきっかけとなった。



擬宝珠橋(復元)一般図


水中梁の木造橋を乗せた復元イメージ/橋脚遺構上面のホゾ


橋脚基底部はコンクリートの増打ちと拡幅を実施

 復元位置には1963(昭和38)年に架設されたコンクリート橋(橋長35m、プレテンション方式PC単純中空床版橋)が架かっていたので、まず撤去工に着手した。



大手登城路全景。本復元工事は鳥取市が進める「大手登城路復元整備事業」の一環として行われた。左下が1963年架設のコンクリート橋。


既設コンクリート橋一般図


 舗装撤去後、床版を湿式カッターで1個約6tのブロックに切断し、堀の南側に盛土をしてつくった仮設ヤード上に配置したクレーンで吊り上げていった。床版切断時には、汚水が堀に落ちないように足場に敷いたシートに水をためて、ポンプで中和をしていく作業も行っている。

 2本の既設橋脚(P1、P2)は、橋脚遺構を保全するという観点からカッターで横方向に切断後、縦方向に切断し、1ブロック約1tにして撤去していった。橋脚基底部には水中梁を設置するが、高さ調整のためにコンクリートを増打ちする必要があるので、チッピングも行っている。また、橋脚基底部のサイズでは水中梁が設置できなかったので、横断方向で両側1mの拡幅を行った。



版と橋脚の撤去


橋脚基底部の拡幅


橋台部は出土鋼管杭の杭長と健全性を確認

重力式橋台を構築

 水中梁は既設コンクリート橋の橋台の上に設置するので、既設橋設置時に構築された石垣(練積)を一度解体する必要があった。そこで石垣を解体したところ、A1(城内側)、A2(城下側)ともに重力式橋台が存在することを想定していたが、橋台がなく、石垣背面の土砂中に直接鋼管杭が露出していた。そこで、杭長と健全性の確認を打音検査で行うとともに、水中梁端部を支えるための重力式橋台を新たに構築して、水中梁設置後に伝統技術に基づき石垣(空積)を復旧した。



石垣の解体/石垣背面の状況


新設された橋台/石垣の復旧